
【大田区】羽田空港第二旅客ターミナル
羽田第二ターミナル搭乗口です。
人が大勢いて今では考えられない社会的距離ですね。
時は2019年12月末。
この頃はコロナという言葉もビールとガスファンヒーターと太陽の周りくらいしか存在しませんでした。
もう世界は変わってしまったんです。
それなのに世界の変化というのは、普通に生活していると実感しにくいですね。私生活ではマスクをつけたくらいしか変わった感じがしません。
人間はある程度順応性があるのでしょう。
さて希望に満ちた2019年末から東京時層地図で明治時代まで遡りたいと思います。

現在 羽田の第二ターミナルからです。
文明開化時 1876-84(明治9〜17年)
当然のように海です。荏原郡とあります。エバラですね。
海なので陸のある部分を追いかけて範囲を広げすぎて 字が見難くてすみません。
羽田村鈴木新田と書いてあるところが今の羽田空港第三ターミナル付近になります。
おそらくは鈴木一族がこの地を統治していたと。
海の民鈴木氏。海老取川から東は我らの土地よ。(最近12国記にハマっています。)

明治末期 1906-09(明治39〜42年)
穴守稲荷と書かれている場所と鴨猟場と書かれている場所があります。ここは現在は滑走路になっています。穴守稲荷は西側に移転しました。
鈴木氏は勢力を広げ、鴨猟場を作り、そして土地の鎮守である穴守稲荷を祀った。(最近12国記にハマっています)

関東大震災前 1917-28(大正6〜昭和3年)
埋め立てが進み羽田飛行場、羽田競馬場ができました。
穴守線という鉄道が通り、終着駅は穴守です。
地図からも穴守稲荷は多くの人の信仰を集めていたのではないかと思われます。

昭和戦前期 1928-1936(昭和3〜11年)
鴨猟場は明治後期からこの時代まで存在していたようです。
穴森神社のある羽田穴守町の栄えている様子がわかります。
競馬場もあるので当時の賑わいは競馬場からの道はまさにオケラ街道
ちょっとした飲み屋街みたいなものもあったのではないかと空想します。
もう一点。いわゆる大井埠頭の地図が無いんですよね。
アプリに取り入れていないかもしれない。本当の古地図を買うしかないですね。

高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)
戦後、穴守町、鈴木町は空港になっていました。

バブル期 1984-1990(昭和59年〜平成2年)
ドドどんと大井埠頭が出現。昭和35年くらいから作り始めて、出現したということですかね・・・それ以前はただの海。本当かな。
30年近い年月で高度成長期ならそれもそうなのかな。
空港そっちのけで、湾岸地帯の変化に驚かされた今回の地図の旅でした。