【新宿区】今年の火薬庫オリンピックミュージアム
東京オリンピックを間近に控えた今、このタイミングしかないと思ってオリンピックミュージアムのモニュメントを見に行ってきました。
このモニュメントは今、毎日毎日テレビでその姿を見ることができます。毎日テレビに映るのは今だけ。旬です。いまここで書くしかない!
開催一か月前になってもやるかやらないか論争があるんですから現代の火種ですね。雨が降っていたので長靴です。
オリンピックはやるのかやらないのか。このクーベルタン男爵さんの表情をみると
「ヤルです!」
という決意にあふれているように見えます。
現代の地図 位置関係を確かめるために引いて撮影。体育館から国立競技場に向けて深い谷になっています。
いまでもお寺さんは多いですね。2、3年前に新国立競技場建設に伴ってご遺骨が180体以上出てきたとニュースがありました。
下は江戸時代の地図。(アプリ・大江戸今昔めぐり)
主に御奏者番 水野忠精の敷地ですね。絵画館あたりは同心や甲賀者の敷地だったことは絵画館編でやりました。
水野忠精(1832ー1884年)山形藩。父は天保の改革を行った水野忠邦。幕府での地位は老中 山形藩は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に加わり、のちに降伏。
大名は領地は明治政府にめしあげです。そのかわり爵位が授けられたという形になります。
明治時代後期の地図。(明治39-42年 1906-08年)
これです。東側は青山練兵場になっています。そして南は近衛歩兵営。
そしてオリンピックミュージアムの場所は「火」
これは火薬庫の表示です。
オリンピックミュージアムは明治期には火薬庫だった!
と。センセーショナルに書こうとしましたがそうでもなかったです。明治初期にはここから東に大きい火薬庫があったので、それと比べると小さい火薬庫になってます。
大正時代 練兵場は無くなり、明治神宮外苑となりました。近衛歩兵第四連隊 北には競技場ができつつあります。
日露戦争時の近衛歩兵第四連隊の写真です。KAOFENGSSU での交戦と書かれています。余談ですが日露戦争は中国で戦っていたのを初めて知りました。
下は昭和10年頃の地図 この地図は日中戦争の時期で、重要施設は改描してあったり白抜きだったりします。近衛歩兵営も改描されていますね。火薬庫は健在みたいです。
下は戦後高度成長期前夜 (昭和30~35年)(1955~1960年)
64年の東京オリンピック直前です。国立競技場はできたてほやほや。現在地は国立庭球場となっています。
バブル期 国立競技場の南には日本青年館、明治公園があります。日本青年館は2代目で、現在この敷地は新国立競技場建設のために無くなっています。
僕のiPhone(正確にはGooglephoto)に2012年4月に明治公園で撮影したと残っていました。日本青年館が見えます。
当時は仕事中に通りすがった広々としたところを映しただけでしたが、いまはこの風景を見られることはないと思うと貴重な一枚です。広々とした公園でした。日本青年館は2017年に新築移転しています。
今回はオリンピックモニュメントはこの夏限りの期間限定だと思い、記念に行ってみました。
最初は周辺地域にお寺が点在していることから「火」を火葬場と思っていましたが、よく調べると近衛兵付属の火薬庫ということがわかりましたので、今火種となっているオリンピックと関連付けてみました。