【渋谷区】渋谷区役所は監獄
流行の発信地、若者の聖地、渋谷。
私のような田舎者にとっては、日当たり悪くてうるさくて居心地は良くない場所。
何かあるんじゃないかと思って渋谷の街をぶらついても、広告や雑誌に惑わされているだけの目的のない放浪者には何も見つからなかった。
栃木のズーズー弁丸出しで18歳で東京に出てきてから、方々転々としながら、なんとなしに渋谷区に住んで10年を越えつつ45歳のおじさんになった。
いまから20数年前の自分に
「若者よ。この街にはなにもないんだ、楽しそうな事は全て商業ベースに乗った幻想なんだ。」
と教えてあげたい気もあるが
結婚届も渋谷区役所で出し、子どもの出生届は渋谷区本町の寂れきった出張所で出し、子どもの七五三は東郷神社であげさせてもらった身となれば
渋谷は私にとってはもはや故郷。
妄想でも過去に戻って軌道修正などとはあり得ない。
運よく奥さんと出会って運よく子供が産まれて、それが過去に戻って方向を違えば出会う人も違うわけだ。それは怖い。
人間は前を向くしかない。現在を大切にした先に未来がある。過去を振り返って何になる。なんちゃって。
私にとって愛すべき場所、渋谷。
さてさてその区役所は古地図を辿るとどうか。

現在の地図。
NHKは新社屋建築に15年以上の年月をかけるようだ。
NHKスタジオパークには子供が小さい時に何回もお世話になりました。
入館料200円でたっぷり楽しめて、スタッフさんは小さい子に優しい(小学生くらいにはめちゃ厳しかった。それも小さい子の安全の為)
NHK万歳、公共放送万歳、NHK万歳。

バブル期 1984-1990(昭和59年〜平成2年)
バブル期の地図
区役所一帯は改修前。多くの人の記憶にあるのはこの区役所だと思う。

文明開化時 1876-84(明治9〜17年)
明治初期、ここは上渋谷村の畑であり、宇田川沿いに建物が3軒あるだけだった。
明治末期 1906-09(明治39〜42年)
一気に住宅が増えた。
現在のNHKと代々木公園は代々木練兵場となり、軍隊強化の場所になる。
そして渋谷区役所の敷地には
「衛戍監獄(えいじゅかんごく)」が出来ている。エイジュ地というのは日本陸軍の駐屯地の事で、この地は陸軍務刑務所ということになる。
全く知らなかった私にとっては衝撃的だ。もちろん知っている人は知っているだろうけど。(近くには後述する226事件の慰霊碑などがある)

関東大震災前 1917-28(大正6〜昭和3年)
1922年には陸軍刑務所と改名するとウィキペディアには書いてあるが、地図的には戦後まで衛戍刑務所の名称で書かれている。
それにしても今は憩いの場所である代々木公園は100年前は練兵場だったり、区役所一帯は東京陸軍刑務所だったり。
NHKから代々木公園に抜ける道は今でも変わらなくあるが100年前と今では通る人の心持ちも180度違うものだろうと思う。

昭和戦前期 1928-1936(昭和3〜11年)
1936年2月、近代日本史を揺るがす大事件が起こる。
2・26事件だ。
青年将校がクーデターを起こす。
現在の六本木ミッドタウンにあった歩兵第一連隊と新国立美術館にあった歩兵第三連隊の将校らが、高橋是清ら大臣を襲撃殺害。
以前ミッドタウンを訪れた時に調べたのがこちら。
https://note.com/aratanamai/n/ne2e8927ffcf7
首謀者の青年将校ら17人は衛戍刑務所内で銃殺刑となる。
僕は気軽に近所の区役所は昔どうだったのかなと、本当に気軽な気持ちで東京時層地図をみただけなんだけど、超ヘビーな流れになっている。
そういえば、区役所の南側って人通りなくて、ちょっと近寄りがたい雰囲気の碑があって、まじまじと見ることもなかったのだけれどあれは事件の慰霊碑だったんだ。と気がついた。

高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)
戦後、代々木練兵場はハーバーバラックスという米軍将校の居住地になった。
東京オリンピックに合わせて、ここを買い取り放送局であるNHKを作ったというのは2019年の大河ドラマ「韋駄天」でやっていた。
昭和の激動の時代の場所といえるだろう。

今回は何気なく行った場所が、教科書に出てくるような話とつながっていた。
東京は狭い。狭い故に土地に歴史が積み重なっている。
まさに東京時層だ。