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【港区】超有名YouTuber 朝倉兄弟さんの本拠地ビルにいってみた。(溜池山王編)
実際にビルの前まではいきましたが、今回の目標は朝倉兄弟さんにお会いする事ではありません。
このビルからほど近い赤坂の溜池山王駅付近。
名前の通り、溜池があったんですね。
まずは溜池記念碑にて撮影
碑には江戸時代のはじめ、外堀兼用の上水源として作られたとのこと。
上水源ですよ。驚いちゃうな。
この石碑を見るまで水は玉川上水から引っ張ってきているだけかと思っていたのですが、水源があるとはね。
左が現代の地図、右は明治初期の地図です。(東京時層地図)
現在地が青い丸
外堀はそのまま外堀通りになっています。
北に首相官邸があります。これは明治時代だと鍋島邸になっています。(上の赤いライン)
ほー やっぱり大名だと代々いい所に住んでるんだなぁと、思いますよね。
じつは違う。
鍋島家は肥前藩。明治維新で新政府側だった大名です。
薩長土肥の有力者は明治維新を境に皇居近辺に居を構えます。
近世稀に見る権力者の交代。それが明治維新であるわけです。ある意味明治政府は今でも続いています。何百年後は明治・大正・昭和・令和で区切られるのではなく、東京時代とかそういった括りで区切られるのだと妄想しています。
大江戸今昔巡り制作委員会の地図によると(1860年ぐらい)
明治維新前は「御老中 越後村上藩 内藤紀伊守信親」
幕府の老中が住んで居たんですね。内藤信親は戊辰戦争時に幕府方についています。 幕府方についたので明治維新後は蟄居を命じられました。
現在の首相官邸は 老中 内藤家→ 肥前藩 鍋島家→ 首相官邸となったというわけです。
もう一度明治時代の地図に戻って「下の赤いライン」には黒田邸と書かれています。
明治期の黒田といえば「薩摩の黒田清隆」だと思いますよね。
これも違う。
ここの黒田家は江戸時代からいました。筑前福岡藩 松平美濃守 長溥 黒田長溥
黒田長溥は薩摩藩主の島津重豪の子。
バリバリの開国派で、もちろん官軍側、明治維新後も屋敷を追われることはありませんでした。
そして黒田邸の池が広大で気になります。
溜池山王の溜池ってここからきているんじゃないかなと思うほど、大きな池です。
竹林に囲まれた大きな池。
そこに行ってみることに。
住宅街のこの辺りが黒田家の池の真ん中あたりですね。
そして奥の方には何かのお店でしょうか、人の行列あり、近くには水子供養のお寺あり、東側は再開発をまつ空き地あり。
大通りを一本入って、なんだか不思議な空間に迷い込んでしまったような気がしました。
追記
僕は信心深いほうで、水子供養のお寺は由来が由来なので、写真は撮りませんでしたが、お寺までの看板は撮りました
しらべると戦後にできたようです。
好奇心のみで古地図を辿っていったら、なんだか神妙な気持ちになってしまった一例です。