【太夫、傾国の娼妓(やり手爺)ときて今世悪妃とは、これ如何に?】第38話
「何です、これは……」
顔を顰めているのは丞相。
「……」
無言でドン引きしているのは陛下です。
「くあっ」
子猫は私の隣で欠伸をしています。
と思ったら、何処かへ去りましたね。相変わらず足が速いです。もう姿が見えなくなりました。
「いつの間にやら、情念置き場がどすこい修羅場舞台に……」
と呟いたのは、私です。
「梅花宮の貴妃は癇癪持ちでございましょう! だから陛下に見向きもされないのではありませんか! そんな夫人付きなど、程度が知れております!」
「何ですって! それはそっちだって同じでしょう! たかが秋花宮の嬪付きのくせに、偉そうなのよ!」
「だから何ですの! 私の生家の方が、貴女より家格は上よ!」
「それこそ何! アンタは嬪付きの女官! 私は貴妃付きの女官よ!」
言い合いしながら、石で囲っていたはずの土俵の上で土埃にまみれて取っ組み合いをする二人の……ええ、破落戸に違いまりませんね。
元は綺麗に化粧をして、髪も結っていたのでしょう。見る影もありませんが、身だしなみにかけた時間がもったいないという発想にはならないのでしょうか?
どすこいと相撲を取るには、やはり狭かったようです。石は方々へ蹴り散らかされております。
しかし随分と遠くに散った石もありますね。初めはわざと蹴散らそうとして、中に入ったのかもしれません。
とりあえずあの黒い水を踏むと、こうなるのですね。良いお勉強になりました。
開いたままになっている出入り口から、小屋の中を覗きます。入ってすぐに置かれていた差し入れらしき物は、無事なようです。何よりですね。
恐らく中を荒らす前に、情念置き場に足を踏み入れたのでしょう。他意はなかったのですが、罠に引っ掛けたようで面目ありませんね。まあ、不法侵入したのだから自業自得です。
「情念置き場とは何だ。犯人はお前か」
ジトリと陛下が私を見やりますが、事実無根も良いところ。
「まあ、犯人とは心外な。そもそもどのようにすれば、このような事態を引き起こせると? それより中にお入りになりませんか?」
「……あれを放置すると?」
陛下が今度は私にドン引いた視線を向けましたね? 何故でしょう?
「ひとしきり暴れて気が済めば、治まるのでは? 元来、喧嘩とはそのようなものかと」「殺生沙汰になったら、どうするつもりだ」
今のところ刃物は出ておらず、張り手か髪を引っ張るかしか、技は出ていないようですが……。まあ石もありますし、火事場の馬鹿力で首を絞めて殺す可能性も、なくはないのかもしれませんね。
「無断かつ、不法に侵入した者同士の争いです。結末など、私の知った事ではありませんよ。破落戸達の主が私に罪を被せようとしても、今は運良くお二人がいらっしゃいます。一心不乱にどすこい中で、私達の姿が目には入らない程、素晴らしい集中力を発揮されているのです。邪魔するのは気が引けますね。聞く限り梅花宮と秋花宮の破落戸のようですし、責はそれぞれの宮の貴妃と嬪に問えばよろしいのでは?」
「貴女の良心は痛まないのですか?」
丞相は今更、何を試すような事を言って私の反応を窺っているのでしょう?
「昨夜は首を切られ、本日は毒入りの菓子が贈られ、このような破落戸が当然のように不法侵入。これ以上ない程に私は身の危険に曝されておりますのに、良心とは、これ如何に?」
クスリと冷たく微笑めば、陛下は何かを言いたげながら、結局は何も告げられずに口を噤みます。
丞相は……どうやら私は期待通りの反応を返したようです。満足そうに微笑まれております。今世はまだ十四歳の少女のはずなのに、なかなかの非道っぷりではありませんか?
「そもそも勝手に自滅して下さるなら、これ程良心が痛ませずして楽にこなせる仕事もありません。そうそう、少し前には春花宮の破落戸と下女も不法侵入していますよ。主の嬪が明日茶会を開くから来い、だそうです。そのようにしたためたらしき文まで押しつけようとしておりました。 今朝の皇貴妃と私の話はどうなったのでしょう?」
皇貴妃に挨拶はしないし、できないと他の貴妃達に知らせるようお願いした話です。
もちろん皇貴妃はが陛下達の前で了承したのです。話が守られていない事を、チクリとつついて差し上げます。
この後宮において嬪の不出来は、皇貴妃や貴妃の落ち度になるのか。陛下達の反応を見て、確認する意図もございます。
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