「光る君へ」 第13回 進むべき道
前回から4年が経ち永祚2(990)年、正月一条天皇元服。そしてついに定子が入内する。兼家に老いの兆候?道長の妻となっていた明子が呪詛開始。まひろ家の窮状を知った倫子が娘彰子の指南役を打診して来た。まひろと道長は気まずい再会をする。
【この時点での主な登場人物の官位】
・兼家…太政大臣(従一位)
・道隆…内大臣 兼 左近衛大将(正二位)
・道綱…右近衛中将(正三位)
・道兼…権大納言(正二位)
・道長…権中納言 兼 右衛門督(正三位)
・実資…参議(正四位下)
・俊賢…右少弁 兼 五位蔵人(従五位上)
・公任…蔵人頭(頭中将)(正四位下)
・斉信…右近衛中将(従四位下)
・行成…左兵衛権佐(従五位上)
【今日の行成】
まず、前回から飛んだ4年間に起こったことをざっと書いておこう。
永延元(987)年
・実資、蔵人頭に(三代の蔵人頭)
永延2(988)年
・正月…一条天皇、詮子とともに朝覲行幸
永延3(989)年
・2月‥実資、参議に
兼家、賀茂社詣
行成、伊周、斉信らが舞人として奉仕
・3月…一条天皇、詮子とともに春日社行幸
・6月‥頼忠薨去 ハレー彗星出現💫
永祚元年(989)年(8/8改元)
・8月…行成、源 泰清女と結婚
・10月…殿上の御遊で一条天皇、笛を吹く
定子、着裳の儀
・11月…隆家、元服の儀
・12月…兼家、太政大臣に
永祚2(990)年が今回の舞台
さて例によって雑な感想を。
正月5日、一条天皇元服。兼家が加冠役。いやー、御帳?帳台?から出てくるの、一瞬最終形態主上かと思って焦ったわ(背が高く見えた)。
ドラマではやらなかったけど、7日、直後の宴(南殿後宴)で自ら笛を吹く。
ちなみに笛の師は実資の実兄 高遠。
11日元服式報告のため父 円融院がいる寺へ(円融寺朝覲行幸)。
その時「赤笛」を贈られた。源氏物語の柏木→薫に伝来していく横笛のモデルとも言われている。この笛の来歴が面白い。
陽成院→貞保親王(陽成院同母弟)→師輔・安子→村上天皇→頼忠・公任→円融院→一条天皇と伝来したとか。
あの陽成院のものとは!
なお、下記引用では「頭中将(道頼)」となっているけど(道頼=伊周らとは異母の道隆の長男、兼家の養子)、この時期の「頭中将」はもう一人おり、それが公任。小野宮流の頼忠が九条流の道頼に伝来の笛を伝えるとは考えにくいので、頼忠→公任から円融院に伝わったと考えるのが自然(「陽成院の御笛」考/山本夏希)で、『大日本古記録』の傍注が誤ってると思われる。
主上の笛を吹く場面が来たら(公開写真にあった)「あれが赤笛だ!」と思ってご覧くださいw
そういえばこの数年前から、円融院の人事介入が顕著になるんだけど、ドラマではもう出ないの?円融院は一条を托せるのは実資しかいないと見込んで推してたんだけど、兼家はかなり渋っていた。道隆の内大臣任命と引き替えに実資の参議入りを認めさせたのは円融院なのに。
中関白家の団欒。伊周の人、声もいいのね。
貴子、平時でこの溺愛ぶりだもんなぁ、後年のアレの前振りなんだろうな。
まんまる顔の隆家!日焼けしていかにもきかん坊タイプ。
大きくなってからもあの「母上ー!」と同じ感じでお隣の「実資殿ぉー!」って行くんだろうかw
改めて見直したら、実資の幼体と言ってもおかしくない気がしたw主上と定子、ひたすらカワイイ。それにしても前回も書いたけど、最終形態主上から遡っての各形態のキャスティング、本当にすごい。
やっと繁子、しゃべった!でも出自はスルー。いつの間にか生まれてた尊子がすでに7歳。道兼、これまでキーマン的扱いだったわりにそのプライベートの描き方はずいぶん雑じゃない?
ちなみに繁子についてはこちらに短く書いてます。ここに来てやっと市女笠を装着するまひろ。市で読み書きが出来ないばかりに子を売られた女を見て、辻で乙丸と芝居をうつ。
百歩譲って縦書きではないだろうか…。
あと、なんか先の展開が見えたようでちょっと「フーン…」な気分に。国司の横暴を訴える上訴にあまり乗り気でない公卿たち。道隆は主上に奏上の必要なしと言うが、道長だけは反対。だと思ったよ!!
音声解説でも「実資だけがうなずく」
この場面、一番手前に映ってるのになんか兼家が小さく見える。
猫背でしぼんだ感じ…演技ってすごいね。今まで恰幅よく見せるために衣装の中に何か仕込んでたのを抜いただけかもしれないけど(無粋)。道隆は兼家の衰えといつ何が起こるかわからんので心しておけと貴子に伝える。でも貴子はまったく動ぜず、自信満々。
伊周は100%貴子似だな。。公任邸で接待を受ける道兼。頼忠、セリフ死(?)。
公任は父の言いつけを守って道兼アゲに精を出してた。お疲れ…。為時邸。御嶽詣帰りの派手な装束姿の宣孝が立ち寄る。為時は驚くも、まひろは全然気にしてない模様。
為時が宣孝の息子のことを聞いてたけど、一緒に御嶽詣に行った隆光のことなのかな。彼も「青色の狩襖(狩衣)に紅の衣や手のこんだ摺り文様の水干という袴」というハデハデ衣装だったらしい(枕草子114段)。
隆光は973年生まれだから、970年生まれ設定のまひろの3歳下…確かに為時よりは釣り合う。宣孝死去後、紫式部に懸想したと言う説もあるとか??
ちなみにwiki情報では、この隆光の娘が行成の息子の妻になっているらしい。明子のキャラ設定は源氏物語の六条御息所モデル説、ほんとかな。流刑地の大宰府までついて行って父の源 高明が亡くなった時もう大人だった俊賢があんななのに、当時わずか8歳の明子があそこまで兼家を恨むのってちょっと無理ない?そんなにドロドロ要素入れたい?
「腰抜け」呼ばわりの俊賢にはちょっと笑ったけど。
そろそろ、朝廷で働いてる日中の勤労俊賢を見せてください…wそして今回のハイライト✨定子様と主上のかくれんぼシーン。あんな風に一緒に育った相手はそれは特別になるでしょうよ…。
数を数える乳母、橘 徳子の後ろ姿の裳が美しい。そういえば、前に書いた気もするけど、室内なのに男性貴族の裾を引いたシーンが全くないのが残念。
予告で見てたけど、やはり詮子の険のある表情…こわ!
詮子in 、outまでの音声解説を並べて見る。
「ひれ伏す定子」
「その懐から顔を出す帝」
「笑顔を作る詮子」
「定子を見る帝」
「とぼとぼ歩く帝」
「定子を振り返る」
「微笑む定子」
「そのやりとりをツンとした顔で見ている詮子」
「笑みをたたえ詮子を目で追う定子」詮子は「帝は大人の中で育ったから遊び仲間がいなかった」と言ってたけど、第3回(983年)で一緒に遊んでる(主上3歳、定子様7歳)。
だからここは「帝の遊び仲間はそなたしかいなかった」と言って欲しかったな。そしたら、
定子様「はいよく覚えています」
主上「そうだったの!?」
定子様「鞠投げを一緒にしたのを今でも覚えてます」
…なんていう会話も可能だったのに。
覚えてないけどそんな前から一緒にいた人なんだ、と主上はもっと早く打ち解けたんじゃないか。詮子がそう望んだかは別として。一瞬正気に戻った兼家に「民を虫けらのように切り捨てる」道隆の政はおかしいと言う道長………。うん、だと思ったよ!!(2回目)
自ら就活をするまひろ。紹介状とか文とかを乙丸に持たせて、じゃないんだね。逆にあれで「よし!雇おう!」ってなったらすごいわ。
本編後の「紀行」で春日行幸の話。これ、自分の家の力を強力アピールした兼家の最後の大花火だったのに本編でやらないのもったいなかった。体の弱い一条を心配して反対する円融院との攻防や一条の無事を祈願するために賀茂社や石清水八幡宮などに何度も実資を派遣したこととか、本編でやったら面白かったのに。
【今日のソウルメイト】
定子様と主上のことで忘れてたけど(!)そういえば、二人のシーンって最後のお互い凝視場面しかなかったね。
会うかもしれない(いや、絶対会うと思ったけども!)危険がある土御門殿に行くのはどこかで期待があった?
てかこの4年、道長とは完全に音信不通だったんだよね?
…4年って結構長いけど…そんなに気持ちキープできるもん?
漢詩を見せられて「ずっと持っててくれたんだ…♡」⤴️「え?あの足でここに直行したの…!?」⤵️まではともかく、明子のことは知りたくなかっただろうに。
そして案の定、バッタリ鉢合わせ。だと思ったよ!!(3回目)
そういえば百舌彦はどうしたんだろう?(それと小麻呂も)
来週は予告では兼家死去間際の関白就任、後継問題、あの暴言は道兼?
一条天皇はまだ第三形態継続か?
そして相関図アップされた瞬間目に飛び込んできたのが「婉子女王」!!
(「きのう何食べた?」のミチルの人)
服藤先生の論文では993年秋頃の結婚とされているんだけど、それより早い登場のようだ(次回もドラマは990年)。
キャスト紹介に「明子の姪」とあえて書いてるけど、まさか自分の呪詛に利用したりしないよね…?
ガイド本には婉子女王のことは載ってない。
これからもサプライズ登場人物がいるのかも?
定子様と主上の写真、すごい破壊力だ…(粉々)。。
最終形態が来たらどうなるんだろう…。