『Re:mind Vol.1』の一部を公開します
荒川出版会初の書籍『Re:mind Vol.1』(りまいんどぼりゅーむいち)を先日刊行しました。すでに数名の方にはご購入いただきました。ありがとうございます。
『Re:mind』は、心をもういちど考え直すために、を合言葉に作られています。心について関心のある方ならどなたでも、読むこと、読んで考えることができることを目指して、ひろく心についての論考、コラム等を集めています。
しかし、創刊号ですし、またネットだけの販売であることから、中身がいったいどうなっているのか、確認する術がないと思います。ですので、中身を少しだけ公開いたします。具体的には、『Re:mind Vol.1』の「創刊に寄せて」、および、目次を公開します。
また、実際の論考、コラムの内容が気になる方のために、編集部員(仲嶺)による記事の概要と、当該原稿に書かれている文章の一部も併せて今後noteで紹介していく予定です。
ぜひ多くの方にご覧いただき、すこしでもご関心をもっていただけたら、本書の購入をご検討いただけますと幸いです。
それでは、よろしくお願いします。
創刊に寄せて
仲嶺真
「心理学」を始めて10年近くが経った。心とはいったいどういうものか、いまだにわからない。一般にはそれは、「心を捉えるのが難しいから」と考えられている。半分はその通りだと思うが、もう半分は間違っていると思う。何が間違っているのか。それは、「心を捉えるのが難しいから」というよりも、「心理学では一定の心理観を前提にしているから」ではないか、ということである。
たとえば、「心理学」では、心を捉えるために心理尺度というものを使う。自尊心を捉える心理尺度の場合、「少なくとも人並みには、価値のある人間である」「いろいろな良い素質を持っている」などの質問項目に対して、「強くそう思う」「そう思う」「そう思わない」「強くそう思わない」という4つの選択肢から1つの選択肢を選ぶ。そして、「強くそう思う」と回答した数が多いほど、その人の自尊心が高いとされる。このような方法で自尊心がわかるとされるためには、一定の心理観が必要である。たとえば、「自尊心はその人に備わっている」「自分で自尊心を把握できる」「自尊心は量的なものである」などなど。このような心理観を前提にしなければ、心理尺度は使えない。
また、「心理学」では、実験を行う。フィードバックの仕方(声か文字か)がモチベーションに及ぼす影響を調べたいと思った場合、声でフィードバックした場合のその後の課題の取り組み量と、文字でフィードバックした場合のその後の課題の取り組み量とを比較して、モチベーションを高めるには、どのようなフィードバックが有効かを調べたりする。このような方法でモチベーションを調べるためには、一定の心理観が必要である。たとえば、「モチベーションという心理要素がある」「モチベーションは課題の取り組み量に反映される」「モチベーションは操作可能である」などなど。このような心理観を前提にしなければ、心理実験は行えない。
このように、「心理学」では、「心は人に備わる要素的な何かである」「心は量的なものである」「心は直接把握できず、行動に反映される」「心はコントロールできる」といった心理観がすでに前提とされている。すなわち、「心とは〇〇である」という前提のもとで、たとえば自尊心と自己愛は関連しているのかといった個別の心同士の関係について探究しているのが「心理学」であり、「心とはいったいどういうものか」といったことは問われていないのである。問いがないところに、その問いの答えはない。「心理学」では、一定の心を捉えることはできても、その心理観を問い直したり、あたらしく答えを与えたりすることは難しい。
もちろん、そういった「心理学」を批判する動きも「心理学」の中に存在しなかったわけではない。「心は人に備わる要素的な何かである」「心は直接把握できず、行動に反映される」といった心理観を批判する立場も存在した。しかし、「心理学」は自分たちを「自然科学」として定立してしまったがゆえに、そのような批判をする立場(同立場は「自然科学」とは異なる考え方に親和性がある)を「心理学ではない」とか、マイナーな「心理学」として、切り離していった。そして、両者が分離していった先に生じたのは、「あれは心理学ではない」という互いの分断と、心の見方の蛸壺化であった。互いが互いに違う心を見ているから、話し合うこともできず、さらに互いの距離が遠くなっていく。溝は深まるばかりである。
どっちが良くてどっちが悪い、ということではないように思う。考えなければならないのは、それぞれを互いにどのように結び合わせるか、ということである。自然科学的心理学であろうと、非自然科学的心理学であろうと、果てはいわゆる「心理学」ではない分野であろうと、心の考え方をいかに結び合わせ、新しい考え方を創造できるのか。研究であろうと、実践であろうと、それらをつなぎ、心理観をどのように更新していくか。何でも「心の問題」になる現代においては、それこそが必要なことのように思う。
本誌は、心についてひろく考える土壌を培うために創刊される。私たちの日常のすぐそばにある心について、誰もが自分なりに考えることのできる、そのような土壌を作りたいと思っている。それは研究発表を通して達成されるのかもしれないし、小説を通してなのかもしれない。エッセイを通してなのかもしれない。書評や、誰かの体験談を通してということもありえる。形式やジャンルは問題とならない。誰が書くかにも依存しない。心について考える契機になるのであれば何でもありである。
本当の意味での心理学をつくる。それが本誌の使命だと考えている。
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