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煙突掃除の男たちとデヴィッド・ボウイ――ダーグ・ヨハン・ハウゲルード『Sex』のリアリズムが描く言葉にならない変化
煙突掃除の仕事は単調だ。指先がかじかむほど寒い。屋根の上からオスロの街を見下ろす。煤が舞い、息が白くなる。煤にまみれた手を洗い流すと、あとは家に帰るだけ。妻と子どもが待つ家。夕食のテーブル。テレビの音。眠りに落ちるまでのわずかな時間。それが日常だった。
ある日、男は目を覚ました。デヴィッド・ボウイの夢を見ていた。そこにいたのは女性としての自分だった。ボウイが自分を見つめ、微笑みながら頷く。肌の質感も髪の流れもまるで別人のようだ。目を覚ましたあとも、その違和感が体のどこかに残る。だがそれが何なのか言葉にはできない。
もう一人の男は酒を飲んでいた。仕事を終えたあと、偶然が重なった。言葉を交わした男に触れられたとき、自分が何を感じたのかすぐには理解できなかった。息が詰まるような感覚が走る。家に帰ればいつもの妻がいる。何も変わらないはずなのに、何かが違う気がする。
男たちは沈黙する。何も変わっていない。仕事は変わらず続く。家に帰り、妻と向き合い、子どもの話を聞く。ふとした瞬間にあの感覚がよみがえる。消えてしまったわけではない。ただ奥深くに押し込められただけだ。
人生がひっくり返るような出来事は起こらない。日常の小さなズレが積み重なり、それまで確かなものだったはずの自己像が少しずつ崩れていく。問いを発することもなく静かに日常が続いていく。
男たちは自分の変化を説明しようとするが、適切な言葉はない。沈黙が続き、たどたどしい言葉が交わされる。その間に見え隠れするのは、混乱、恐れ、そして少しの期待だ。
北欧の淡い光、グレーがかった空、時折挿入される無機質なオスロの街並み。暖房の効いた部屋の中でもどこか冷たさが漂う。登場人物たちは、変わっていく自分を否定することもなく、かといって肯定することもない。何かを決断するにはまだ時間が必要だった。
ダーグ・ヨハン・ハウゲルードはノルウェーの小説家であり、司書でもある。オスロ大学で文学を学んだのち、図書館学を修めた。長年にわたって司書として働きながら小説や映画の脚本を書き続けた。
作家としてのキャリアを積んだ後、短編映画の制作に取り組み、2012年に長編映画『I Belong(原題:Som du ser meg)』で本格的に映画監督としての道を歩み始めた。文学、映画、司書という異なる世界を行き来しながら、ハウゲルードは「言葉にできないもの」を描き続ける。
オスロの冬は長い。性とは何か。アイデンティティとは何か。愛、欲望、社会の期待、それらすべてが重くのしかかり、時に解放へと向かう。家に帰りいつもの生活を続けたとしても、それが元通りであるはずがない。『Sex』は人間の戸惑いをすくい取る、自己の再定義をめぐる物語だ。
ダーグ・ヨハン・ハウゲルード『Sex』『Dreams』『Love』三部作の1本目。2024年ベルリン国際映画祭パノラマ部門で上映。2本目の『Dreams』が2025年ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。時期は未定だが3本とも日本公開予定。