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コラリー・ファルジャ『サブスタンス』――美を更新し続ける身体が「わたし」の輪郭を失うまで

(🚨Spoiler Alert🚨最初からネタバレ🚨)

 この映画はラスト20分にすべてが集約される。そのためラストに触れずに作品を語ることは難しい。しかし事前に内容を知ってしまえばこの映画が持つインパクトは確実に薄まる。ネタバレを避けながら語ることが不可能な特殊な映画だ。

 この映画が辿り着く結末は、美しさへの執着を描く物語の終着点としてはあまりに異様でありながら、そこに至る論理は一貫している。

 身体を若く美しく保つことへの欲望は、やがて美しさという概念そのものを飲み込んでいく。かつて目指していた理想像はもはや目的ではなく、更新されるプロセス自体が身体の中心に置き換わる。鏡に映る自分は何層にも重なり合い、どの層がオリジナルなのか分からない。それは皮膚だけではなく自己像そのものを食い尽くすプロセスでもある。

 ラストシーンはその崩壊を容赦なく可視化する。皮膚は溶け、膨張し、ただの素材として表面に浮かび上がる。かつて美しく整えられていたはずの顔はもはや顔ではなくなり、身体の形は内部の不安や欲望が押し出されたかのように膨らみ、裂け、絡み合う。

 最初の注射が打たれた瞬間からすでに誕生のプロセスは始まっている。怪物とは美しくなろうとした結果生まれたものではなく、自分自身を何度も作り直した果てに生まれたものだ。更新に次ぐ更新は、新しい皮膚を得る行為ではなく、更新されるたびに古い自分を否定し切り捨て続ける作業に他ならない。

 繰り返し続けた行為が最終的には「そもそもわたしは存在するのか」という問いを生み出す。その問いは形を持たないまま身体に沈殿し、ある時ついに「わたし」の輪郭を反転させる。ラストシーンは身体の内側に押し込めていたものが皮膚という境界を突き破って現れた結果だ。抑え込んだ老いへの恐怖、美への執着、失われることへの不安。すべてが分離し、ひとつの身体の中で共存できなくなった瞬間、その矛盾が具体的な形となる。

 『サブスタンス』は身体を巡るホラーであると同時に、「自己イメージはどこまで管理可能なのか」という問いを結晶化した作品でもある。見られるための身体が最終的には誰にも見られたくないものへと変貌していく。この逆転こそが本作が投げかける最も冷ややかで残酷なメッセージである。

 2024年カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞。第97回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞を含む5部門にノミネート。2025年5月16日日本公開。


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