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セバスティアン・シルバ『Rotting in the Sun』―― SNS時代のアイデンティティと現実との曖昧な境界

 現実とフィクションの境界線はどこにあるのか。セバスティアン・シルバの『Rotting in the Sun』(2023年)は、消えた男を追うミステリーの構造を借りながら、いつの間にかSNS時代のナルシシズムや虚構の消費をアイロニカルに描き出す物語に様変わりする。監督自身が主人公として登場し、自身の鬱屈や逃避をさらけ出しながら観客をフィクションと現実のカオスへと引き込む。

 主人公は創作意欲を失い無気力に過ごすセバスティアン・シルバ自身。メキシコシティでの生活に飽き、日々の刺激を求めるかのようにドラッグと自虐に浸っている。ある日、ゲイ向けクルージングビーチでSNSインフルエンサーのジョーダン・ファーストマン(こちらも本人役)と出会い、意気投合する。ジョーダンはシルバの過去作に感銘を受けており、一緒に仕事をすることを提案する。だが、その約束を果たす前にシルバは突如失踪する。

 ここから映画はジョーダンの視点へと移行し、彼がSNSを駆使してシルバを「捜索する」様子が描かれる。彼はSNSでシルバについて投稿し、DMで情報を集め、捜索を続ける。彼の行動はシルバの安否を気遣うものではなく、その出来事を利用して自らのストーリーに仕立て上げようとしているように見える。その姿は事件をコンテンツ化する空虚な在り方そのものだ。

 この映画は作り手と被写体の境界が曖昧だ。シルバとファーストマンは実名で登場し、二人のキャラクターも現実のパブリックイメージを下敷きにしている。映画内のシルバは憂鬱で皮肉屋、社会との接点を最小限に抑えようとするが、それは彼の実像なのか、それとも観客が彼に期待する姿なのか。ファーストマンのキャラクターは、インフルエンサーとしての自分を前面に押し出し、日常の些細な出来事もコンテンツ化することに長けている。

 映像はドキュメンタリーのようなリアルなカメラワークとSNS上の画面が交錯する。日常の風景とスマホ越しの世界の差異はほとんどなく、むしろSNSの中にある「物語」の方が現実よりも強い影響を持つように見える。映画の終盤に至るまでシルバはこの不安定なバランスを崩さずに維持する。観客はどこまでが現実でどこからが虚構なのかを考え続けることになる。

 『Rotting in the Sun』は現代における自己演出と消費についての映画だ。SNSが個人のパフォーマンス化を称揚し、アイデンティティがコンテンツとして流通する時代に、シルバは自己とは何かという問いを提示する。少なくともこの映画の中では現実も虚構も太陽の下で腐敗していく。

 2023年サンダンス映画祭でワールドプレミア。日本公開未定。

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