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ぶっちゃけ話。そして引越し熱。

この土地にもう住むことはないだろうな。

就職を機に実家を離れるとき、ワタシは心の底からそう思っていた。大学は実家から通っていたにもかかわらず、関西の実家から遠い関東の会社に就職を決めたのも、ここから離れたいという気持ちが少なからずあったからなんだろう。

しかし、ワタシが関東のとある場所で結婚子育てをしていた、今から四捨五入すると20年前。戻ってこないだろうと思っていたこの場所に、戻ってくることになった。

きっかけは、いつかは来るとわかっていたけれど、ワタシの中ではまだまだ先のことだろうと思っていた父の死だ。還暦を迎え、定年退職をし、のんびりとした生活を送った後に訪れるだろうと想像していた、父の最期の日。それがいきなりやってきた。

父は、毎年健康診断で高血圧を指摘されていたものの大きな持病もなく、まだ現役会社員だった。死因は不明。突然死だった。

葬儀から3ヶ月ほど子と一緒に実家に滞在したのち、ワタシは関東に戻った。そして、それから少しした頃、母が弱気なことばかり言い出すようになった。

突然、仲のよかった父がいなくなってしまったのだから、当然と言えば当然だろう。それに兄もワタシも実家から離れた場所にいる。ご近所の仲良しおばちゃんたちがいるとはいえ、彼女たちが賑やかなぶん、誰もいない夜の家が今まで以上に静かに感じていたのかもしれない。

暗い家にポツンと1人。そんな母の姿を想像してしまったワタシは、実家のそばに引っ越したいと思ってしまったのだ。あれだけ戻っては来ないだろうと思っていた実家のそばに。


ワタシは両親と仲が悪いわけではない。父には怒られたことが無いし、母にはあれやこれやとしてもらっている。
しかし、ワタシは母がちょっと……なのである。客観的にみて見れば、ワタシの我儘以外なにものでもないのだろうけれど。

一緒の空間に居れば話もするし、誘われれば買い物だって一緒に行く。
しかし、ワタシは母親に触ることができない。
隣の椅子に座ることは出来るけれど、触れ合うのだけは無理だ。今後、介護の事などを考えだけで、鳥肌が立ってしまう。それくらい母と触れ合うのは生理的に受け付けないのである。

にも拘わらず、なぜかあの時、実家の近くに住まなくてはいけない。とワタシは考えた。そして、家人の優しさに甘え、実家のそばへと引っ越してきたのであった。


しかし、想像していなかったのはここまでの話だけではなく、ここからである。

なんなら、ここからが本番だ。


1人になった母のいる実家のそばに引っ越してきたのは、まぁ、想像していなかったとはいえ、想像が出来なかったことではない。

しかし、その母が実家から出て、他の場所に住んでしまうだなんて誰が想像しただろう。

あれは実家の近所に引っ越してきて四捨五入で10年経った頃。母は地元で行われるという同窓会へと出かけて行った。

我が母の地元は、ここから車で3時間ほど離れた場所にある他府県である。当時の友達たちと電話なり年賀状なりで連絡を取っていたのは知っている。が、父がいた頃、母が同窓会に顔を出していたかはわからない。その地で開かれた同窓会。そこで再会した学生時代の元カレが、どうやらお付き合いをして欲しいと言っているとかいないとかだそうで。

まぁ、これからの人生もまだあるんだし。父が居なくなってから結構経ったし。「まだお付き合いとかそこまで話は進んでないし、アンタらが反対っていうなら無かったことにするし」と、まぁ、彼女なりにワタシに気を使っているのもよくわかった。

自分の人生だし、自分の好きなようにしてくれたらいいと思う。だから反対はしなかった。

ただ「同棲でもなんでもしてくれていいけど、紹介なんかしてくれるな。そして籍を入れるのだけは絶対に反対だ。ややこしい問題を持ち込まないでくれ。もし籍を入れるというなら、ワタシはアンタの子どもでもなんでもない。親子の縁は切らせてもらう。二度と会うことは無いと思ってくれ」とだけは言ったけど。

でね。ちょっと聞いて。

それはそれでいいとして、こんな話になった時期がね。

子が不登校になって2年目とかの、一番ごちゃごちゃした時期は過ぎてちょっと落ち着いてはきたものの、まだまだジェットコースターみたいな乱降下が無くなってない時期なんですよ。これが。

表立っては言わなかったけど、「ばばあ、なめとんか」と正直思った。
やっぱりあの時、ここに引っ越してくるって言わなかったら。思わなければよかったのかも。とか。何のためにここに住んでるんやろ。と、ムカついたりもした。

でも、子が小さい時はアホみたいに、手伝ってくれと言わなくても色々と手伝ってくれたのは事実だし。本当にめちゃくちゃ感謝はしている。でも、え?今?それ今なん?っていう気持ちは無いわけではなくて。
助けてもらわれへんことに文句(?)を言うのは、タダのワタシの我儘以外ナニモノでも無いよなぁ。自分てほんまイヤなヤツやな。そら、子も不登校なるわな。とか、関係あるような無いようなことを全部ひっくるめてモヤモヤし続けた。

そんな中、道端でふとご近所の仲良くしてもらっているおばちゃんに出会った時、「なにも自分の子供と孫が大変なこんな時期にそんなことせんでも。ってアタシも散々いうたんよ。なぁ。ほんまに。」と言ってもらえたときに、あぁ、別に自分勝手なことを思ったわけじゃなかったんやな。と、ちょっとだけほっとしたことを強烈に覚えている。

ぶっちゃけ、「学校に行けないとか何をふざけたことを。そんなことじゃこの先生きていけない。世の中そんなに甘くない」という考えの母には、学校へ行かない孫や、厳しく学校へ行けと必死になっていないワタシが耐えられなかったのだろうとワタシは思っている。
渡りに船。そんな感じだったんじゃないだろうか。

そして、母は母の地元の近くの市へと旅立っていった。

ワタシの実家はそのままに。

誰がそんなことを想像しただろう。

実家のそばに戻ってきた理由である母親が、まだまだ元気なうちに家をそのままに実家から出ていってしまうだなんて。

ちょっと意味がわからない。


毎月、月命日あたりに帰ってきて、ご近所のおば様たちとご飯を食べに行き、墓参りなんかをして2泊ほど実家に泊って帰っていく母は、今のところワタシの実家を処分する気はないっぽい感じである。

片付けが死ぬほど嫌いな母なので、ものすごく大量の荷物を処分するのが面倒くさいのと(死んだら業者に頼んでね。よろしく。と言われている。しかし今現在、使う主のいない実家のものを勝手に捨てるとぶちぶち文句を言われる)父親関連のモノを手放したくないのかなぁ(これは勝手な想像)なんてことをワタシは思っているけれど、本当のことはわからない。もしかすると、近くだから好きに使っていいよ。という、彼女なりの優しさなのかもしれない。よくわからんけど。

もし、万が一、何かが起こった時にどうして欲しいのか全部紙に書きだしておいてくれ。とは言ってあるものの、まだ書いてはいないようだ。
むこうで最期を迎えたいというのならそうしよう。こっちで面倒を見てくれというのならそうしよう。でも、そこは自分で決めてくれ。顔を合わせるたびにそう言っているが、まだ明確な答えはもらっていない。


そして、今。
ワタシは猛烈に引っ越しがしたい。

でもこの地を離れていいものやら悪いものやら。踏ん切りはつかない。

あと数年もすれば、母が毎月ここまで帰ってくるのも大変になるだろうというのは想像に易い。となると、これからこの場所を離れるというのもどうなんだろう。もっと母が若いうちに引っ越してしまえばよかったな。そう思わずにはいられない。そもそも彼女は、こっちに帰ってくる気はあるんだろうか?

なんてことを考えていること全て、ワタシの独りよがりだということはわかっている。こんなことを言ったら「こっちのことはなんとでもなるから、すきにしたらいい」と、言われるのもわかっている。でもどうしても考えてしまうのだ。

しかし、これは最後の最後の段階で、自分にものすごく面倒なことが押し寄せてくることが想像できるから、それを少しでも軽くするための打算的な考えからきていることもわかっている。結局、ワタシも心の底では逃げ出してしまいたいのだろうね。

これから先のことを色々と想像してみても、どうもしっくりこない。今想像している範囲内で収まるのか。それともこれっぽっちも想像していないところに着地するのか。
流れに身を任せるしかないと思いつつ、何とかしたいとも思いつつ。


いきたい場所なんて決まってないけれど、とりあえず、ワタシは今、ものすごく引っ越したい。引っ越しがしたいのである。

#想像していなかった未来

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