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演奏活動を辞めたわけ。
こんにちは、こんばんは、Mariaです。
さて今日はいきなりお題へ。
● 外国人枠なし
スペインに嫁いだ際、当初は音楽活動、プロとしてお金は取れなくても、愛好家の団体に加入できる可能性があれば、と探してみました。
しかし、近所にはアマチュアバンドすらなく、偶然隣の州のオーケストラがメンバー募集を出したのでオーディションを受けようと思ったら、
「採用資格は、ユーロ出身もしくはユーロ圏内の音大卒業、もしくは見込みのみ。」
とありました。それでも、オーディションだけでも受けたい、と思い、事務所にメールを送ってみると例外はなし、というお答えが。
● 不景気の煽り
それでも諦めきれず、バルセロナに住む交流のあった演奏家に、レッスンを受けるので弟子として推薦状を書いて欲しい、とお願いをしたところ、
「君の熱意に応えたい。でもこの不景気、僕の生徒たちも職にあぶれているのです。もし君にチャンスを与える余裕が僕にあるなら、その分、自分の弟子たちを優先したい。」
という返事がきました。
私が嫁いだ年は、スペインに不景気が本格的に押し寄せました。そこから数年、どの分野でも経験が薄い若者には全く仕事などなく、都会は物価高なので彼らはどんどん田舎に帰り実家暮らしを始めた頃でした。
私たちの新婚生活もそのあおりを食った2年半を過ごしました。私は相棒のお荷物でしかありませんでしたが、相棒は文句ひとつ言いわず練習を続けさせてくれました。私も自宅で仕事をする彼の邪魔にならないように工夫をしました。
しかし、更なる難関がありました。
● 隣人との戦争
日頃から私たちを敵視していた階下の夫婦が、私が音を出すことに大きな怒りをあらわにし始めたのです。
練習を始めると、踊り場にCDプレーヤーが置かれ、アルゼンチンタンゴやアイリッシュ音楽が流れるのです。私は気にせずその音楽に乗せて演奏を続けると、今度は部屋から鋭いキーという叫び声が上がるのです。
相棒がやめて欲しい、と言いに行くと、さらに音量を上げて
これが本物の音楽というものよ!!あんたの「中国人女」にそう言っときな!
と怒鳴り、私が練習をやめるまで続けるのでした。(あ、私は生粋の日本人です。)練習時間以外でもその夫婦からはいろんな嫌がらせをされました。
ある日、玄関ホールですれ違った際、その奥さんにおどけたように「ニーハオ」と言われた後、肩を強く突かれました。そして、旦那さんが私に向かって暴言を吐き二人は行ってしまいました。
● 職業音楽家としてのモットーに振り返った
私たちも彼らが嫌いで、嫌がらせに反発する思いもあって練習をやめなかったのですが、私はその日をもって考えました。
いくら最初から私を嫌がる人たちであっても、人が嫌ということを繰り返してそれが本望なのだろうか?
それは日本では梅雨の季節でした。じめじめしたまるで海の中で演奏するような感覚とは違い、ここでは初夏の乾燥した空気に乗る音色は清々しく、私が今まで欲しかった音だなぁって思っていました。
でももう潮時。相棒に「もう練習はしないよ」と言いました。
● 人間関係を考えた
そもそも、日本で既に燃え尽き症候群のような風情だったのに、急に巻き返しは無理だったのです。
オーディションを受けにいきたい、と言った時、相棒からも、
オーケストラの人間関係に疲れてたんじゃなかったの?今またここで同じことするの?もし受かったら、僕たち離れて暮らすの?
と言われ、ハッとしました。
そうだった、私はこの人にいつも仕事の愚痴をこぼしてたんだっけ。そうだった、日本ではあんなに大変だったもんね、、と思い起こしました。
● その後。。
コロナ前に日本に帰りました。全部楽器を売ってしまおう、と決心したからです。数本大切にしてくれる方々に譲った後、1本だけ残り、一緒にスペインに帰ってきました。
今でも棚に置いてあります。もう今後演奏することのないオーケストラ曲のスコアたちとともに。