One's own Wonder Rail #1
「一刻も早く、脱走した被験者を発見しろ!」
全体的に新しいが、隅々の掃除が不完全な病棟。
研究員達の声と、走り回る足音、異常を示す警報が鳴り響く。
「くそ!どこにも見当たらないぞ!」
「必ず施設内にいるはずだ! 探せ!」
「逃げられるはずはない! 必ず探し出せ!」
焦っていた。
決死の思いで出てきたはいいものの、すぐに
脱走したことが見つかり、今は施設内にある
掃除用具を仕舞うロッカーの中で息を潜めている。
「もう無理だ」と思った。
自分はじき見つかり、然るべき罰を受けるだろう。
一縷の希望に賭け飛び出したが、待っていたのは非情な現実。
たかが子供1人の力では、世界を変えることなどできないのか…
こんなことならいっそ……
小さく覚悟を決めた時、ロッカーの扉が開いた。
「探したよ」
とても優しい声に思わず騙される。優しい研究員も少なからずいたから。
来るな! と震えない喉から声を出す。
「大丈夫。もう心配はいらない。
僕はここの…卒業生さ。厳密には中退、なんだけどね」
卒業?中退?言っている意味がわからない。
起きている事象の把握もできぬうち、また1つ声が鳴る。
「おい、そろそろ行かないとまずいぞ」
「! 了解。そろそろ始めようか」
優しい声が、再度降り注ぐ。
「あ、えっと……太陽は知ってる……よね? 資料で見てるはずだ。
この建物には時計が無いから知らないだろうけど、今は夕暮れ時でね。
皮肉にも、この建物を照らす夕陽は、世界一美しいんだよ」
自然光が入らない、綺麗な牢獄の中で。その瞳は太陽の如き輝きを放っていた。
「僕と一緒にここを出るんだ。君に太陽を…世界を見せてあげる。
それとも…その狭い世界にずっと居続けるかい?」
「そこにあるモップより、俺のこの銃の方が重たいし…何より面白いぞ」
突然現れた2人の男達。その日、私の世界は変わった。
*
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「えー、ここ中央研究所では主に人体実験を行なっている。皆も知っているように、人体実験には複数種類があるが……本部であるここは!
後天的に能力者を生み出す実験をしている! 後天的というのはつまり……」
所長が話すのをやめるときは食事中とトイレ中、そして
宝物のダイヤを見つめる時だけだが、そのどれでもない今。所長が口を止めた。
「君! 私の話をちゃんと聞いているのかね?」
所長の視線の先に、皆も視線を集める。そこに居たのは特に特徴のない男だった。
「……えっ?やだなぁ、聞いてますよ!
所長がせっかく施設内の説明をしてくださって
いるっていうのに、聞いてないわけないじゃないですか」
「……では、当施設の警備設備について説明してみたまえ」
「…………えっ?」
「えっ? ではない! 話を聞いていたというのなら、
当施設の警備設備について説明してみろと言っているのだ!」
小さく笑い声が聞こえる。恒例の新人いじりだ。
自分にも振られるのでは、と不安になっている者もいるようだ。
「どうした? 説明できんか? 今のうちに謝るというのなら、
罰は今晩の夕飯抜きで済ませて…」
被せるようにして、彼は説明をし始めた。
「当研究施設内部に窓はなく、外に繋がる扉は正面に1つあるのみ。
そこには警備員が常駐しており、無許可での通行は不可能で、通行には許可証が必要。
また、被験者が収容されている部屋には強固な領域展開魔法が三重に
かけられており、魔法を解除、あるいは上書きしない限り部屋に出入りすることはできない。極め付けは被験者及び入館者に着用させる、着用者の
危険度レベルに応じた強さで発動する、行動制限術式が入った手首のリングだ。スイッチをONにすると、たちまち体の動きが制限され動けなくなる
という強力な呪具だ。最強レベルであれば、その場で命を奪うことも可能……ん?」
所長も含め、その場にいた全員が唖然としていた。あっけらかんと続ける。
「あの……どこか間違いでもありました?」
「いや、間違いは無い、のだが……ワシはそこまで、説明しとらんぞ……」
所長はいじめてやろうと、まだ説明していない警備システムについて説明をする様に指示を出した。
そうとも知らず、彼はペラペラと語ってしまったのだ。一般職員では知り得ないトップ機密である、行動制限リングまで。
「貴様は一体……」
「まぁまぁまぁまぁ、過ぎたことは良いじゃありませんか!
私はここの……いわゆる、“オタク”でして!
色々と詳しいんですよ……そ、そうだ!
実験ルームが見たいんですが、可能でしょうか?」
必死の弁明は、会場のざわめきによってかき消された。
「このリング……だよな?」
「俺たちも殺される……?」
他の新人職員達は、平和な日常に唐突に現れた「命を奪う」という言葉に動揺を隠せない様子だった。
「せ、静粛に! 落ち着くのだ! いいか、こ奴が話したことはほとんど
正しい。が、その中で間違いが1つだけある! リング! リングについてだ!
そのリングに命を奪う術式は入っておらん! まだ成功して……」
「所長!!!」
途中で釘を刺される所長。しかし、つい口から漏れたその言葉は、意外にも全員の安心感を募らせた。
「まだ成功して……ってことは、未実装ってことだよな」
「俺たちがすぐに殺されるって事はなさそうだな」
「術式が入っていたとしても少し体を痺れさせるぐらいじゃない?
それなら平気そうね」
「………………」
1人を除き、新人職員達は勝手に安心しきった。
依然動揺したままの所長に案内され、今後の説明を受けるために
食堂へと移動した。
「まだ成功していない、だと……?
記録では現時点でかなりの威力だったはずだが……」
誰もいなくなった廊下で、ぶつぶつと呟く。
「成功していないというのが仮に本当だとすれば……プランに変更が必要だな……」
*
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「どこをほっつき歩いていた! このバカモノ!」
遅れて入ると、当然だが、もう全員席についていた。
「せっかくだ、貴様から自己紹介をしろ」
「えっ?」
「えっ? じゃない! 貴様の名を名乗れと言っているんだ!
貴様以外にもやらせる! だが貴様からだ!」
これから新人職員達はこの施設内で寝泊まりをしていく。
10人余りだが、共同生活をするということで、自己紹介をするのは当然の流れであった。
「なるほど……分かりました。ではやらせていただきます」
悪目立ちしていた彼が真面目なトーンで始める。
「私の名前はシグナル・ノース。皆さんと同じ……
中央科学研究所 人間進化研究部門配属となった者です。
担当は研究対象への教育、及びメンタルケア……となっています」
不満そうな所長。
だがここで、先程釘を刺してきた副所長が口添えする。
「所長。早速ですが、彼の"能力"を確かめてみては?」
「む。能力試験か……たしかに見る予定になっていたか。
よし、ここで披露してもらうか……おい! ちょっといいか!」
好きな食べ物について話していたシグナルに所長が声をかける。
「早速で悪いが、君の実技試験の結果を今ここで見せてもらえないか?
なに、軽くやってくれればいい。確か貴様は……"魔法"が使えたはずだな。
火でも出して私を驚かせてみろ!」
まぁどうせ火花を出す程度だろうがな、とでも言いたげに、所長がシグナルを挑発する。
「火……ですか。それと所長。申し訳ありませんが、私の専門は"魔法"ではなく"魔術"です」
「……なに?」
「ご存知でしょうが、魔法は術式を外に展開し元となるエネルギーを
外部から取り込んで発動させるもの。
それに対し魔術は、内に術式を展開し自らのエネルギーを元に発動させるもの……という違いがあります。
私がいた環境では外部のエネルギーを得辛く……もっぱら内部のエネルギーを使っていたので、魔法より魔術の方が得意なんです」
「そ、そうか……」
「訂正も済んだところで。火、でしたか?
火はあまり使わないんだけど……な!」
差し出した手の上が微かに光る。次の瞬間、彼の手の上に火柱が登った。
「うわあ!!!」「火デカっ!!!」「何この火……温度も熱量も桁違い」
新人職員達はおろか、自己紹介を見ようと集まっていた他の職員達もが驚く。天井は一瞬で黒ずみ、炭化が始まっている。
「おっとと!
すいません、調節が苦手で……いつもこんな風に暴走してしまうんですよ」
「フン。なんだ暴走か。少しはできるものかと期待したが、
扱えない力は無価値だ。端に座っておれ! ワシの視界に入らんように!」
「はいはい…」
そうしてシグナルは素直に席につき、他の職員達の自己紹介を聞いていた。
「よし、これで全員だな。今日はここまでだ。明日からは業務についてもらう!
今日はゆっくり休む様に。シグナル! 貴様は反省文でも書いていろ!」
やる気などさらさら無さそうな態度で返事を返すシグナル。
今日はここで解散の様だ。
「……む、言い忘れておった。詳しくは明日、教育担当の職員からも
説明を受けるだろうが…」
一日中、シグナルのせいで格好のつかなかった所長が今日一番の真剣なトーンで話し始める。
「研究対象が出歩きでもしていたら、即座に捕縛し!
私か副所長の元へ連れてくるように。然るべき処罰を与える必要があるためだ。
シグナルの馬鹿が説明してくれた様に、この施設の研究対象者用の部屋には
幾重にも張り巡らせた魔術、結界、呪術が施されている。
そこを自らの力で抜けられるものはほぼいない…と考えているが、
施設の性質上、いずれ突破する者が現れてもおかしくない。
その場合…そのサンプルは大変貴重な存在となる。
サンプルは慎重に扱う様に。いいな!」
「「「はい!」」」
そうして説明会は終了したのだった。
*
*
*
「……こちらシグナル。だれかいるか?」
職員にそれぞれ割り振られた個室内で、静かに呟く。薄暗いのは蛍光灯が切れかかっているからだろうか。
「………………こちらシグナル! だれかいないか?
オリジン!! オリジンはいないか!?」
『……オリジンはいない。今いるのは……俺だけだな』
「! ビースト……お前でもいい。安心したよ。早速で悪いが、報告させてもらう。オリジンには君から言ってもらえるかい?」
『構わねぇけどよ……俺だぞ?適当に言うぜ、多分』
「ふふ……大丈夫だよ。オリジンやペンタゴンがいれば、理解してくれるさ……っておい!悪かった!悪かったから像を壊すのはやめろ!
追求されて……怒られるのはどうせ俺なんだから!」
思わず声が大きくなり、辺りを見回す。幸い近くには誰もいないようだ。
「それじゃ……報告するよ。施設内に侵入成功。対象は未確認。
こちらの時刻で明朝になった後、捜索を開始する。
……っと、問題が1つ発生。任務で使用する予定だったリングだが……
まだ術式の完全実装には至ってないらしい」
『なに!? おい、そっちは今何年だ!? ちゃんと時代は合ってんだろうな?』
「お、落ち着いてくれ……時代については問題ない。ズレは生じてない。
そちらについても明朝より動作確認を行う。………………最悪の場合、ぎ……」
『犠牲についてはやむを得まい。致し方ねぇ、割り切れ』
「……了解した。現状ではそんなところだ」
『了解。オリジンには俺から伝えておく』
「助かるよ。…………1つ確認なんだけど」
『? なんだ、言ってみろ』
「もし、リングが使えなかったり、対象に問題があったりして
想定の事象が発生しなかった場合……任務は……どうしたらいい?」
『……前にオリジンが言ってたが。多少過程が変化するってのは、
起こりうる展開だそうだ。しかし結末に変わりはない、と』
「でも、そこに僕たちが介入するから……!」
『そうだ、結末が変わる。未来を変えられる。"俺達"はそう信じ、今までずっと動いてきた』
「……………………」
『だから、あくまでもサポートに徹するんだ。
変えるべきでない結末は変えず、変えたいところに俺たちが介入し
未来を変更する……いつも通りやれ。お前なら、大丈夫だ。』
「わかった…了解、ありがとう。ビースト」
『礼なんかいらねぇよ。"俺達"にはな。…誰もそっちに行ってやれねぇんだ。気をつけろよ』
「……あぁ、ありがとう。じゃあ、また」
不安要素の残る手首のリングを見てため息をつく。
壁に体を預ける。体の疲労より、重圧による心労が大きい。
「俺1人の任務なんて……何年振りだよ」
「任務って?」
突然聞こえる自分以外の声。すぐに臨戦態勢に入る。しかし…冷静さをすぐに戻して気づく。今の声は…明らかに子供だった。つまり…
「……出歩いちゃいけない、って所長が言ってたぞ?」
「知ってるよ。でも、出れちゃうんだもん」
所長の言葉を思い出す。
幾重にも貼られた結界を突破する存在……貴重なサンプル……
「ほぼいないと考えている」ということから、所長や他の職員には存在を……実力を認知されていない……
……間違いない。この子が"対象"だ。
「……君、名前は?」
「名前?名前なんかないよ。強いて言えばA-013、って呼ばれてる。
でも、それは名前じゃないよね?」
なるほど。どうりでデータに名前が無かった訳だ。
「A-013ってのはどう言う意味なんだ?」
「そんなこと聞かれても分からないよ。僕は何も知らない、本当だよ」
まぁ、当然か。子供達本人が知っているはずはない。明日にでも誰かに聞いてみよう。それより、今解決するべき問題が他にあった。
「……話を戻そう、坊や。君はなぜこんなところにいるんだい?出れてしまうというのは確かに不思議だが、こんなところまで散歩かい?」
「それはね、今年も新しい先生達が入ってきた、って聞いたから見に来たんだ。
貴方以外はもう寝ていたし、起きている人も眠らせてみたらすぐ眠っちゃったよ」
「……眠らせてみたら?どういうことだ?」
――この子にはすでに能力が発現しているのか?眠らせる、というのが本当なら精神汚染の類となる能力の可能性もあるが……
「うーん……難しいんだけど、とにかく眠らせられるんだよ。さっきからお兄さんにもやってるけど、お兄さんは強いんだね。全然眠くなってないや」
もう試されていたとは。子供の好奇心は恐ろしい。
「……僕にそういうのは効かないよ。試すなら、他の技にした方がいい」
「! 試していいの?今までの先生達は皆ダメだ、って言うのに……」
うれしそうな表情に、ノースの頬も緩んだ。
「ふふ……まぁ、僕は他の先生達とは違うかもね」
「? どういうこと?」
薄暗い灯りの下で、彼は少年に告げる。
「僕の名は…………シグナル。シグナル・ノース。
君をここから、脱出させるために来た者だ」
「脱……出……?」
「そうだ。……君に、この世界の美しさを教えよう。
脱出したら……そうだな、夕陽でも見に行こうか。
綺麗だよ、ここの夕陽は」
そう言われ、幼い少年はシグナルを見つめる。
シグナルの瞳は、とても優しく輝いていた。