冷酷な人格に耳を貸す

あけましておめでとうございます。

新年早々なんだかおめでたくないことを書こうとしているので気が引ける。が久々に書こうという気になったので、書きます、書かせていただきます。

寒いです、寒いせいか気分が滅入ることが多いです。

大体において気分が滅入っている時というのは、否定的で冷酷なもう一人の人格が優位になっている状態で、それを払いのける思考力がなくなっているのだと思います。

そんな状態にいるとき妙に納得してしまうことを、考えだすことがある。それはたぶん、冷酷な人格こそが、現実をしっかり把握しているからだと思います。

自分は今まで、自分のやりたい、活躍したい仕事(建築家、インテリアデザイナー)を目指して頑張っていたつもりではあったけれど、4年前くらいからメンタルに異常をきたし勤めていた設計事務所を辞め、今は簡単なアルバイトすらままならない状態にいる。

今となっては、なぜあの時それなりにでも働けていたのかが信じられない。そして今でもそれが、足枷のように、「なぜ以前のように戻れないのか」と自分を苦しめている。

そして気が付いたというか、今の自分を納得させるかのように、でできた考えが「ただ現実というものを正しく理解した」ということです。

要するに、ごまかしごまかしやっていたんだと、もともと能力的に無理のあることをしていただけであると。できるんじゃないかと、思い込みの世界で生きていたから、ぼろが出るのも時間の問題であったのだと。

人によっては当たり前だろ、自分のことなのに今更気が付いたのかと思うかもしれない。が、今更気が付いたんだと思う(笑)

夢、希望というのは、先が見えていないから夢、希望であって生きがいになる、先が見えた瞬間に生きる気力がなくなるのは当たり前だから、多分メンタル異常は自分を正確に把握したサインなだけであった。

しかし、それであきらめても面白くないしまだ人生長い、あきらめたって時間をつぶさねば、今度は暇で頭が狂ってしまう(笑)

だからもう一度、思い切り、思い込みで生きてみることはできないかと考え始めている。

そうするためには、ある程度自分を理解した今、どうやったら先の想像できないことを見つけることができるのだろうか。

2年前、東京から逗子の山奥へ引っ越し、テレビ・映画・本・インターネットなどから自分に入れる情報を最小限にし、自分の頭で考えられる環境を整えようと考えた。(その当時そこまで考えていたかはわからないが、本能的に過剰に情報に触れるということが危険であると判断したのだと思う)

今は、インターネットによって、先が見えることが多すぎると思う、身の丈というものがわかっている人ほど、先が見えすぎてしまっているのではと思う。

そりゃ、しんどいだろう。予定調和すぎるというか、何を楽しみにすればいいんだか、何を生きがいにしたらいいんだか、わからなくなるのは普通だと思う。

関係ないが、子供を育てるというのは、先が見えないことだから子供が欲しくなるのだろうか。。。

人と比べなければいいとか言いうけれど、それは偽善だと思う。比較するという能力は人の基本的な能力でそれを考えるなというのは、なかなかの修行がいることだ。会得するのに多分一生かかる(笑)

自分の先が予測できないことを見つけられれば、現状を打破することができる道なのではと考えて、不安定な世の中で生きがいを見出そうともがいている。

答えのようなものやアドバイス的なものは嫌いだし、書きたくないし、余計なお世話だと思っているので、ここまでにする。





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