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哲学を研究する人は何らかの真理を求めないといけない。元来哲学者は真理の探求に向けて思索を行ってきた。しかし過去哲学者の思想をなぞるだけでは新しい発見はない、加えて本来の目的である真理の探求からは離れてしまう。特定の人を研究するのはもはや文芸批評に過ぎず、源氏物語を読解する人と変わりない。

はじめに

哲学を研究する皆さんこんにちは!哲学って奥深くて面白いですよね。過去の偉大な哲学者たちの思想に触れることは、まるでタイムスリップして彼らと対話しているかのよう。しかし、過去の哲学者たちの言葉をただ繰り返すだけでは、新しい発見は生まれません。今回は、哲学研究における真理探究の重要性について、ちょっぴりユーモアを交えながら、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

  1. 過去の巨匠たちとの出会い:偉大な遺産

哲学研究の入り口で、私たちは過去の偉大な哲学者たち、例えばソクラテス、プラトン、アリストテレスといった巨匠たちに出会います。彼らの著作を読むことは、まさに知的興奮の連続です。彼らの言葉は、何世紀も経った今でも、私たちに深い洞察を与えてくれます。これは本当に素晴らしいことです。彼らの業績は、私たちがこれから進むべき道の羅針盤となるでしょう。例えるなら、偉大な冒険家たちが残した航海日誌のようなものです。

  1. 過去の思想をなぞるだけではダメ?:文芸批評との境界線

しかし、過去の哲学者たちの思想をただなぞるだけでは、真理探究という本来の目的から逸れてしまう可能性があります。彼らの言葉を解釈し、解説することだけに終始してしまうと、それはもはや文芸批評と変わりません。例えば、源氏物語を研究する人が、作者の意図や時代背景を考察するように、過去の哲学者の思想を分析するだけになってしまうのです。これはこれで重要な作業ではありますが、哲学研究の本質はそこにはありません。哲学は過去の遺産を整理する図書館司書ではありません。

  1. 真理探究こそ哲学の本懐:未知への挑戦

哲学研究の本質は、真理探究にあります。それは、まだ誰も見たことのない、未知の領域への挑戦です。過去の哲学者たちの言葉を参考にしながらも、彼らの思想を乗り越え、新しい視点、新しい概念を生み出していくことこそが、哲学研究の醍醐味と言えるでしょう。それはまるで、未開の地に足を踏み入れ、新しい地図を作る探検家のようなものです。

  1. 現代社会との対話:生きた哲学を求めて

真理探究は、現代社会との対話を通してこそ、その意義を深めます。現代社会が抱える様々な問題、例えば環境問題、倫理問題、情報社会の問題などに対して、哲学的な視点から考察を加え、解決の糸口を探っていくこと、これこそが、生きた哲学と言えるでしょう。過去の哲学者の言葉を現代社会に当てはめるだけでなく、現代社会の状況を踏まえて、新しい哲学の地平を切り開いていくことが重要なのです。

  1. ユーモアと情熱を忘れずに:知的冒険を楽しもう!

真理探究の道は、決して平坦な道ではありません。時には迷い、時には壁にぶつかることもあるでしょう。しかし、そんな時こそ、ユーモアと情熱を忘れずに、知的冒険を楽しむことが大切です。難解な哲学書に頭を悩ませながらも、時にはクスッと笑えるようなユーモアを忘れずに、知的好奇心という名の羅針盤を信じて、前進していきましょう。

終わりに

哲学研究は、過去の偉大な思想に敬意を払いながらも、真理探究という冒険に挑む、知的でエキサイティングな旅です。過去の巨匠たちの肩に乗って、遠くを見渡しながら、自分自身の足で新しい道を切り開いていくこと。それこそが、現代の哲学研究者に課せられた使命と言えるのではないでしょうか。この記事が、皆さんの哲学研究の一助となれば幸いです。そして、いつか皆さんと学会でお会いし、熱い議論を交わすことができたら、とても嬉しいです!(もしかしたら、お茶でも飲みながら、哲学とは全く関係のない話で盛り上がってしまうかもしれませんが…それもまた一興ですね!)

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