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「キャリア自律」疲れにならないために

さて今週もnoteの更新行ってみましょう~~!
今は日曜日の朝。
この後は今年に入ってから頑張ってきた産業カウンセラーの養成講座最終日です。18時までPCの前。
今日で受講終了で、あとは1月の試験ですね。
こうして学んでいるのを公開しているので一発で合格しないと恥ずかしいよな、と思ってしまうこともあり、あえて自分を追い込んでます笑

さてさて、今日は「キャリア自律」とそれに取り組んでいる人が何だか疲れてきてしまっている状況もあるようなのでその辺りを率直に書きたいなと思います。


キャリア自律とは

キャリア自律って何でしょう?言葉はよく聞きますという人と、全く聞いたことがないという人と、分かれますね・・。
まずは定義から確認してみましょう。

キャリア自律(Career Self-Reliance)という考え方は、1990年代半ばにアメリカで広まったんですよね。
この概念を提唱した「キャリア・アクション・センター(Career Action Center:CAC)」では、キャリア自律を「絶え間なく変化する時代に、自身のキャリア形成や継続的な学びに主体的に取り組む、生涯を通じた責任」と定義しています。

1980年代のアメリカでは経済不況の影響でリストラが進み、雇用が流動化していきました。特にシリコンバレーでは、1990年代に正社員の割合が全体の約3分の1にとどまり、他の多くはフリーランスやパートタイムの雇用形態でした。このような状況下で、個人は会社に頼るのではなく、自分自身の責任でキャリアを築く必要性が高まりました。

従来のキャリア論とキャリア自律が異なるのは、自己変革や新しい気付きに重きを置いている点です。以前は、自分の経験を通じて「自分がどのような人間か」を理解することや、自分に合った仕事を見つけることが中心でした。しかし、変化に対応する力に対してはあまり注目されておらず、安定志向に偏りがちでした。

キャリア自律は、単に特定のスキルを高めるだけでなく、環境の変化に応じて自己認識が変わる可能性を認め、柔軟に自分のキャリアを切り開いていくことを求められます。


要は自分のキャリアの道を他者や組織に委ねず、自分で責任を持って切り拓いていく姿勢や考え方を言っているわけで、本来これは多くの人が求める方向性じゃないのかなと私は思っています。
それは、環境や状況が変わっても、継続的に学び、成長しながら自らの将来を見据え、主体的にキャリアを築いていくことを意味します。
つまり、外部に依存せず、自分自身でキャリアの方向性を決定し、変化に柔軟に対応していくことが求められる自己主導型のアプローチなんですよね。

これを知った時にはやはり、私はこれこれ、こういう生き方、働き方が理想だと感じました。

が、そういう人ばかりでもないし、一時はこれを自分も求めていたと思っていた方が徐々に疲れてきているなんて話をよく聞きます。



キャリア自律が注目される背景

これまで日本では、新卒一括採用や終身雇用が一般的で、企業が社員のキャリア形成を主導するのが当たり前でしたよね。企業は長期的な雇用を提供し、社員は企業が用意したキャリアパスに従うという関係が成立していました。社員は年功序列に基づいて昇進し、企業内の配置転換を受け入れながらキャリアを積み重ねていく形が一般的だったのです。

しかし、1990年代以降、経済の悪化や企業の破綻、リストラが相次ぎ、終身雇用の崩壊が進みました。その結果、成果主義を採用する企業が増え、勤続年数に関係なく成果に基づく評価が行われるようになりました。このような背景から、社員自身がキャリアを自ら管理し、考える必要性が高まり、企業側も社員のキャリア自律を支援する動きが広がってきました。

そういう意味ではアメリカで80年代に起きたことが今、外部環境の変化により日本でも起きている、だけ、なのかもしれません。

社会が変化していく中で働き方が多様化したことはいいことだろうと思います。柔軟な働き方ができる、そして企業もそれを受け入れて対応している、喜ばしいことですよね。
ただ、企業側の事情からすると、この「価値観の多様化」が、企業の在り方の多様化にもつながっていて、そして厳しい事業環境からすると、社員に「自律」的でいることを求めることが実は経営戦略の一環になっているというのは否めません。


今回の自民総裁選で、某Kさんがしきりにリスキリングの話をしていました。労働市場の自由化、これは企業側にどれだけ解雇権を認めていくのか(制度設計をしっかりしながら)という問題で非常に難しいですが取り組まねばならないことなんでしょう。
しかしそれは国全体のことを考えたら、という意味であって、「個人」にとってそれがいいのかどうかは分かりません。
いつどうなるか分からない時代だから、「自律」的に働き、生きる人が増えていくようにグランドデザインを描かないといけないんでしょうね。社会や政治を語る人も。

その辺りの、社会システムを考えている人、企業の都合が一番先に頭で考えている人(一応私も経営者なのでこのあたりすごくわかります)、と
「個人」でキャリア自律が大事だよと言っている人(キャリコン界隈とか)はおそらく全く別の背景で語っていると思われます。



なぜ疲れが生じているのか

なぜ「キャリア自律」がらみで自らが「自律的」になることに疲れが生じているのでしょうかね。

こちら、リクルートマネージメントソリューションズさんの3年ほど前の自律的なキャリア形成に関する意識調査です。

この調査によって分かってきたのは、
約8割が「『自律的・主体的キャリア形成』をしたい」が約6割は「ストレスや息苦しさを感じる」
ということなんですよね。
そして企業側はそうした中堅の人材の気持ちも理解したうえでの支援が求められるとしています。

社会の変化もわかる、企業側も自律的な人員を増やし強い組織にして生き残っていかねばならないのもわかる、
だから「自律的になれ」と我々「個人」は自分以外の「外」のひとから言われ続けて「自律」できるようになるのでしょうか???

そもそも「自律」という意味は、
他に強制されず自らをコントロールする
ことだと私は考えています。他に強制されずに自らをコントロールすることを、色んな事情がある「他」の人から求められ続けている、
こんな状況になっているんではないでしょうか?

これを感じ始めた中堅の人たちはまるでいちいち口出してくる大人に対して反発する思春期の子のように、
「そんなこと言われなくても分かってるって!!!」
と言いたくなる気持ちが本当によくわかります。


そもそも「自律的」であることは自らの中から出てくるものであるはず

そもそも自律的な状態にある個人とはどんな人でしょうか。
他人から何を求められているのかもよく理解しつつ、周囲との調整もはかりながら、自分自身をコントロールし自らを律しながら、自己実現を目指すことができる状態、これではないでしょうかね??

だからこそ、繰り返しになりますが、
誰かに自律的になれと言われてなるものでもなれるものでもないのです。

社会や周囲に求められていることを、かろやかに受け止めつつも、一体自分はどうしたいのか(これはアイデンティティになりますかね)を
いくつになっても見失わない、
内なる自己の声にふたをしない。
この辺りがとても重要なんじゃないかなと私は思います。

つい先日、近県の高校生のキャリア授業に仲間と参加してきました。
そこで提供した内容の一部は、
まずは「私」が何が好きか、そしてなぜそれが好きなのか、理由は何か、っていうところを深ぼりしていきます。

ここって本当に大事なところです。
何がしたいのか、「want to」のところがないと、進路選択とか、大学選びなんて本当はできるはずがないですよね。

何が好きか、没頭できることか、まずはそれを知る。
次になぜそれが好きなのかを知る。
またその好きな理由を自分で反芻しながら、大事にしていく。
これは学生も、社会人も変わらないと思います。

社会人はここに、周囲(他人・会社等)が何を求めているのかというニーズも感じ取りながら、自らの中の好きな事との整合性を図っていく。

これがキャリア自律なんじゃないかなと思います。
自律的であることを求められて、そうでなければならないんだ!と思ってしまったら「have to」であって、ねばならない思考に陥ってるだけだなんだろうと・・・。

まずは自分と向き合って、一体どうしたいのかを心を落ち着けて考えてみる、見つめてみる、こんな時間が必要ではないかなあ。

私もそんな時間が欲しいから一人でドライブに出たり、近くの温泉に行ってひとり考え事したり、18切符で友人と学生時代のように安旅行をしながら、自らの「アイデンティティ」と向き合っています。

今日の内容は以上です^^


さてさて、今回書いてきたnoteの内容と少し関連しているかと思いますが、私が仲間とやっているYouTubeliveの今週のリンクを貼っておきます。
法政大学教授の廣川進先生をゲストでお招きしました^^
わずか30分なので一気に観られるかと思います!
是非こちらからどうぞ!



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