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アスペ小学生としげたのばあさん

よく考えたら、私は子どものときから、ひとり行動が多かった。

私が小学生の頃、近所には3軒の駄菓子屋があった。
静岡おでんのみうら
賞味期限ギリ菓子のすばる
駄菓子のしげた商店

静岡おでんのみうらは、近所の子どもたちがワイワイと集まる場所だった。
みうらに行けば誰か知っている子がいて、ナチュラルに駄菓子やおでんを一緒に食べるコミュニティ型。
しかし私は、みうらには行かなかった。

賞味期限ギリ菓子のすばるは賞味期限ギリアウトのお菓子をふつうに売っていて、どのお菓子もしけっていた。
10円で遊べるゲームがいくつかあったので、子どもにはそこそこ人気があった。
しかし私は、すばるには行かなかった。

私のお気に入りは、駄菓子のしげた商店。
しげたのばあさんはけして笑わない。
子どもが店に入ると、奥からのそのそと出てくる。
子どもがだらだらと駄菓子を見ていると、はよ帰れという無言の圧をかけてくる。
近所の子どもたちは、しげたのばあさんにしばかれると言って、しげたには行かなかった。
しかし私は、しげた商店に通いつめた。

私はしげたで別の子どもと会った覚えがない。
記憶にあるのは、いつもしげたのばあさんとサシの時間が流れていたこと。
しげたは商売の基本である、他2店の駄菓子屋との差別化をはかっていた。
しげたにはおでんもないし、ゲームもないが、
全国のくじ引き駄菓子を召喚したのかと思うほど、ここぞとばかりギャンブル系くじ引き菓子がランナップされていた。
私は50円を握りしめ、週3日ほど、しげたに通った。

先に断っておくが、私はギャンブルはやらない。
しげたではギャンブル菓子をたしなんでいたが、くじ引きに熱くなったほどではない。

私は、誰もこない駄菓子屋という空間を愛していた。
4畳半ほどの土間の店に、私としげたのばあさんだけ。
私は無言で店に入る。
私は無言でくじを吟味する。
私は無言でくじを引く。
くじをしげたのばあさんに手渡す。
しげたのばあさんの表情は変わらない。
しげたのばあさんは無言で景品を私に渡す。
これを3回ほど繰り返す。
くじが外れても大当たりしても、ばあさんも私も、無言だ。

私は、私としげたのばあさんとの1対1の関係に満足していた。
あいさつもしない、何も言わない、何も聞かない、子ども扱いもしない。
小学生の私は、誰とも会いたくない、話したくない。
私が人と交わらず無言で放っておかれる心地良さを感じていたのは、おそらく私のアスペルガーの特性からだろうと、今では思う。

先日読んだ本に「あなたのサードプレース(心の落ち着く場所)はどこですか」という問いかけがあった。
52歳の私が心落ち着く場所は、ふとんの中、一択だ。
ただ、私の50年の人生のなかでサードプレースがあったか、と聞かれたら
私はまよわず、しげた商店、とこたえる。






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