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桔梗の花が香るとき  3



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真相


斉田克之は留置場から拘置所に移され、拘置所の中で寝転がって考え事をしていた。

「ったく…バカなことしちまったな…。飲酒運転で信号無視で事故を起こして二人死なせちまった…。大バカ野郎だな…俺…。
…危険運転致死傷罪、逃げちまったからオマケの救護義務違反か…これじゃ何年刑務所にいるんだろう…。また姉ちゃんに迷惑かけちまうな…」

被害者はもとより、いつも自分を気遣う姉に申し訳ない気持ちで自分を責める克之だった。

斉田克之の姉、瞳は克之の4つ上の30才。
母親を早くに亡くし、瞳が20歳の時に父親を亡くしていた。
父親の財産は殆ど無く、当時高校生だった弟の克之と共に小さなアパートで細々と暮らしていた。

克之は高校を中退してアルバイトをしていたが、バイクに夢中になり、暴走族のグループに入りバイトのお金はバイクの部品や遊ぶお金で足りなくなると、盗みなどをしては警察に捕まり、傷害や警察への公務執行妨害で少年院送りとなり二十歳で出院となった。
その間も、たった一人の弟への姉としての想いは色褪せずにいた。

克之も、自分を更正させようという姉の気持ちを汲んで、アルバイトとはいえ休むことなく真面目に働いていた克之だったが、事故の前日たまたまアルバイトが休みの日で、克之は当時の暴走族仲間5人と友人宅で朝まで酒を飲んでいた。


『頭いて~』

事故当日、午前10時過ぎに友人宅で起きた克之。

友人3人は既に起きていて、日曜日なので3人はまたも酒を飲んでいた。

『お前ら、また飲んでんの?』

克之が呆れたように3人を見て言った。

『いいじゃねーか、今日は日曜日だぜ?皆仕事休みなんだからさ。克之!お前も一緒に飲もうぜ』

そう言って、友人の一人が克之の前にコップを置いて缶の焼酎を荒々しく注いだ。

『お前らふざけんなよ。俺は午後から仕事なんだぞ』

『何時からなんだ?仕事』

『4時から…』

『なんだまだ時間あるじゃん。一杯飲めば頭痛いの治るかもよ?ほら、よく言うじゃん。寝起きの二日酔いには迎え酒って』

『ほんとかよ…嘘くせーけど…じゃあ、まぁ一杯だけな』

『おっ、さすが克之!飲みねぇ飲みねぇ寿司食いねぇ!ってやつ?』

『なんだそれ!』

『お前知らないの?清水の次郎長…』

『何時の時代の話だよ、知らんわっ、そんなの!』

『ほんとは俺もよく知らねぇけど、飲め!』

友人にそそのかされてコップ一杯の焼酎を飲み干した克之。

再び寝てしまい、起きたら正午を回っていた。

克之が起きると、朝起きていた3人と入れ替わるように、朝寝ていた友人二人が起きていた。

『おっ、克之起きた。お前今日仕事だったよな。何時から?』

『ん?あぁ、4時からだよ』

大きなあくびをしながら応える克之。

『4時か…朝まで飲んでたからな…。まだ時間あるんだろ?もう少し休んでから帰った方がいいぜ』

『…うーん、そうだな…でも風呂にも入りたいからな…。そろそろ帰るよ』

そう言ってスマホを何気なく見る克之。

姉からのメールが届いていた。

「飲み会だったんだよね?ちゃんと酔い覚ましてから車乗るんだぞ。わかったか!姉ちゃんより😼」

時計を見ると午後零時半。
こうして何時も自分を心配する姉を、時には煙たがる克之だが、今まで迷惑をかけてきた姉には頭が上がらない克之。
もう少し酔いを覚ますことにするのだった。

『やっぱ、もう少し休んでくよ…。まだ酒残ってる感じだから…』

『あぁ、そうした方がいいぜ。万が一捕まって酒残ってたら洒落になんねーからな。少年院じゃなくて今度は刑務所行きになっちまうからよ』

それから一時間後、克之は家に帰る途中黄色信号に変わったことに気付くのが遅れ、赤信号で大きな交差点に入って今回の重大な事故を起こしてしまった。

自分の犯した罪を悔やんでもどうしようもないこと、と思いながらも悔やまずにはいられなかった。

国選弁護士も弁護をするのも難しい、と匙を投げるような感じだった。

留置所から拘置所に移されて3週間がたった時、克之にとって最悪な知らせが届いた。

姉の自殺だった。


遺書


弁護士から聞いたのだが、克之の事故がニュースで報道された日から、連日、酷い誹謗中傷を受けていたとの事だった。

克之の自宅に貼られた、姉を詰る言葉や克之自身を責める言葉が書かれた貼り紙が貼られる度に、克之の友人達が剥がしていた事も弁護士から聞いた。

その友人達により克之の姉、瞳の自殺未遂が発見されたのだった。

発見が早かったのが幸いして、一命をとりとめた瞳。

睡眠薬を大量に飲んでの自殺未遂だった。

克之は拘置所の中で子供のように声をあげて泣いた。

発見された瞳の横には、克之や、克之の友人に宛てた遺書が置いてあった。


「私の弟たちへ…みんなありがとう。どうしようもないバカな弟だけど克之を支えてあげてね。
克之へ…ちゃんと心から反省して、どうしたって償える罪じゃないけど、死ぬまで亡くなってしまった人の事を忘れるんじゃないよ。
姉ちゃんは、お前が起こした事故で亡くなった方の家族に会ってきました。
一人の遺族の方には追い返されました。
もう一人の遺族の方は、姉ちゃんの話を聞いてくれて姉ちゃんを責める気は無いって言ってくれました。
ただ克之本人の謝罪がない限りお前を許さないと言っていました。
克之が謝罪したところで亡くなった人が帰ってくる訳じゃないけど、姉ちゃんはお前自身が心から、亡くなった方の家族に謝ってほしいと思ってる。
お前の友達、私の弟たちが私を支えてくれてたけど、姉ちゃん疲れちゃった。
ごめんね」



克之の暴走族時代からの友人達は、悪ガキではあったが、克之の姉を慕っていた。

それは現在も続いていた。

克之の事故後、克之の友人達が瞳を心配して訪れたとき、アパートの玄関のドアに無数に貼られた瞳を詰る言葉や、克之を責め立てる言葉を書いた貼り紙を見て、皆で綺麗に剥がしてから、毎日一人ずつ交代で新たに貼られた紙を剥がしていた。

そんなある日のこと、友人の一人が一晩で数枚貼られた紙を剥がして玄関のチャイムを鳴らした。

瞳は出てこなかった。

出掛けたのかと思ったが、玄関横のキッチンの電気が着いているのを、克之の友人は不思議に思った。

克之の家に遊びに行ったときは、こまめに電気を消す習慣のある瞳を見ていたからだった。 

友人達もトイレの電気を消し忘れると、その都度注意されていたことを思い出した克之の友人。

玄関のドアノブに手をかけると、ドアノブは回り鍵が掛かっていなかった。

『姉ちゃん?いるの?鍵掛けとかなきゃダメじゃんか』

玄関ドアを開けて顔だけ突っ込むと、テレビの音が微かに聞こえてきた。

玄関横のチャイムを3回押してみた。

返事がないことに違和感を感じた克之の友人。

『姉ちゃん!居るの?要るなら返事してよ!』

瞳の返事はなかった。

電気はつけっぱなし、テレビもつけっぱなし、玄関の鍵は開いたまま…。

克之の友人は一抹の不安を感じた。

『姉ちゃん、上がるよ?』

やはり返事がない。

不安に駆られ、克之の友人は部屋に入った。

瞳の部屋からテレビの音とテレビ画面の明かりがカーテンを閉めた薄暗い部屋を、ぼぅっと照らしていた。

ベッドには瞳が服を着たまま仰向けで寝ていた。

克之の友人は慌てて部屋に背を向けた。

『姉ちゃん、居るんじゃん。勝手に入ってごめん。玄関の胸くそ悪い貼り紙剥がしたからね』

部屋の入り口で背を向けて瞳に話しかける克之の友人。

瞳の返事はやはりなかった。

『…姉ちゃん?』

恐る恐る克之の友人は、再び瞳の部屋に目を向けた。

テーブルに手紙のような紙が置いてあり、酎ハイの蓋が空いた缶と、何かの薬を大量に飲んだ形跡が見えた。

『姉ちゃん!部屋に入るぞ!』

克之の友人はテーブルに置かれた紙に横書きで書かれた文字を読んで慌てて瞳に向き直り瞳の身体を揺すった。

『姉ちゃん!何やってんだよ!起きろよ!姉ちゃん!バカなことしてんじゃねぇよ!起きてくれよ!なぁ、姉ちゃんよぉ!』

それでも目を開けない瞳を見て、克之の友人は気付いたようにスマホを取り出し救急車を呼んだ。

そして瞳は一命をとりとめたのだった。

警察も来て、克之の友人は事情聴取を受けて真実をそのまま話し、警察も数年前は問題児だった克之の友人達を知っていて、斉田瞳への誹謗中傷の貼り紙を毎日剥がしていたことも知っていたため、克之の友人の証言は信用性があるものとし、状況から自殺未遂として事件は処理された。


裁判


そんな姉の事を聞いた克之。

子供のように泣きながら、弁護士に自分の想いを告げるのだった。

『弁護士さん、俺…被害者の遺族に謝りたい…。許してもらおうとは思ってない。
でも…土下座でもなんでもする!
それくらいしかできないけど…
ここにいる俺はどうすればいいんですか?』

『そうだね…。あなたがここを出ることはできない。
だけど、あなたの今のその気持ちを裁判を通して伝えることはできるから、その気持ちをこれからずっと忘れないでほしいです。
あなたの償いの気持ちが亡くなられた方のご遺族に伝わるまで忘れないでいてほしいです。
たとえそれが何年かかっても、その気持ちを忘れないでください』

克之より遥かに歳上の弁護士は、克之を諭すように言ってその場を後にした。


そんな瞳の事を朝刊の片隅に見つけた内藤由紀夫。

「この前、家に来た人だ…。自殺未遂…か…。誹謗中傷なんて相変わらずバカがいるんだな…。被害者でも加害者でもないのに。斉田さん、思い詰めていたもんな…。でも未遂で良かった…」

由紀夫は心の中で呟いた。

「もうすぐ美咲の四十九日か…。その前に裁判だな…。終わったら報告するからな」

由紀夫は美咲の写真を見ながら、胸の中で呟いた。


由紀夫の生活に、美咲の居ないぽっかり穴が開いた日々が続いた。

涙を落としても底まで届かないような深い穴。

「お前との想い出だけじゃ埋まりそうにないな…」

由紀夫はそんなことを思いながら、カレンダーを見て今回の事故の裁判の日を確認した。

美咲の四十九日の三日前。

由紀夫は美由紀をあやしながら、美咲と出会った時からの想い出を一つ一つ手繰り寄せるように思い出していた。


そんな日が暫く続き、裁判の日が訪れた。

被害者側の傍聴席には、美咲の両親と美樹と悟志。

由紀夫と美由紀、そして両親。

更に、息子を亡くした母親木ノ内と、亡くなった息子の妻が子供を抱いていた。

加害者側の傍聴席には、自殺未遂から回復した克之の姉、瞳と克之の友人5人だった。

瞳は、席に座る前に由紀夫と木ノ内に深々と頭を下げた。

裁判が始り、被告人である斉田克之が手錠と腰縄を付けられたまま刑務官二人に連れられ入廷した。

裁判官が入廷して、傍聴席も含め全ての人が起立して再び着席したところで裁判が始まった。

被告人確認の冒頭手続から始まり、人定質問、起訴状の読み上げと続き論告・求刑が言い渡され最終陳述で被告人である斉田克之の発言が許された。

『本当に申し訳ありませんでした。どんな刑でも受けるつもりでいますが、自分が刑を受けても亡くなった方は戻らないのは分かっています…。でも…しっかり刑を受けて、そのあとは…』

ここで涙ぐむ克之は言葉を詰まらせた。

裁判官は克之が落ち着くのを待った。

『そのあと、…その後は自分で出来る限りの償いを…したいと考えています。
亡くなった…亡くなってしまった方たちを自分が死ぬまで忘れない…忘れません…。償いきれない事だと…わ、分かっていますが…決して忘れません』

克之はそう言うと、深く頭を下げて声をあげて泣き出した。

法廷内の傍聴席からすすり泣く声が聞こえてきた。

その後、評議が行われて判決宣告が言い渡された。

『主文、被告人を懲役12年、執行猶予3年に処する。理由は社会に与えた影響は大きく、事故を起こして逃走の事実は身勝手極まりない事であり、情状酌量の余地無しと判断したものであります。
ただ、本人は心から反省していると私は見ました。
最終陳述で言ったことを、被告人はどうか忘れないで下さい』

裁判官の判決言い渡しで法廷は終了した。

木ノ内も斉田瞳も美咲の両親に、美咲の妹美樹は泣き崩れた。



許し



法廷を出たところで、克之の友人に支えられた斉田瞳は被害者遺族に深々と頭を下げた。

そんな瞳の姿を見た木ノ内が瞳の側へ歩み寄った。

『貴女…2度と自殺なんか考えちゃダメよ。私は…貴女の弟さんの涙を信じることにしました。
貴女が家に来たとき、私は冷たく罵り貴女を追い返しちゃったけど…私、そのあと反省したの。
貴女が悪い訳じゃないのにって…。
冷たい態度をとってごめんなさいね…』

木ノ内は裁判を終えて、正直な気持ちを瞳に打ち明けた。

『ありがとうございます…ありがとうございます…』

木ノ内の言葉に涙が溢れて止まらない瞳は、それだけしか言えなかった。

克之の友人達も、それぞれが深く頭を下げていた。

木ノ内は話を続けた。

『私の気持ちが整理つくのは、まだずっと先の事だと思うの。それでも、私は貴女の弟さんの涙を信じることにしました。だから、貴女も弟さんの涙を信じて、絶対自殺なんて考えないで。ねっ?』

『はい、ありがとうございます…本当にありがとうございます』

瞳はその場で泣き崩れた。

『姉ちゃん、良かったな!あの…自分からも言わせてください。克之の涙を信じてくれてありがとうございます』

克之の友人の一人が瞳に声をかけたあと木ノ内に深々と頭を下げると、仲間皆が次々と木ノ内に頭を下げた。

そこへ由紀夫も瞳に近付いてきた。

『斉田さん、私も貴女の弟さんの涙を信じることにしました。許せると言うには時間がかかると思いますが弟さんの涙を信じてみます。
貴女も弟さんの涙を信じて、誹謗中傷なんかに負けないでください。貴女が責められる理由なんて無いのですから』

『はい…本当に…本当にありがとうございます』

瞳に続き、克之の友人達も『ありがとうございます』とそれぞれが頭を下げた。

そのうち3人は涙を浮かべていた。



こうして裁判は終わり、由紀夫は家に帰り美咲の写真に報告をした。

四十九日が近付き、余り動き回ることができなくなった美咲は、家と家の回りだけの移動しかできなくなっていた。

由紀夫の報告を聞いた美咲は、自分がこの世を去ることになった切っ掛けを作った克之の涙の事を由紀夫から聞いて、悔しさや未練が少し癒された感じがした。

九月に入り、窓の外の桔梗もそろそろ枯れる頃だろう…。
その時、自分が天国に行くときかな…。

そんなことを思う美咲だった。

裁判が終わってから3日後。

美咲の四十九日の法要が行われ、美咲は自分の身体が徐々に天に向かって上がっていくのが分かった。

お寺で行われている美咲の四十九日の法要に集まった両親、由紀夫の両親、美咲の妹美樹、美樹の夫悟志、そして今でも愛してやまない夫の由紀夫と娘の美由紀。

それぞれの愛しい人の顔を見ながら、美咲は四十九日目に天国へ旅立っていった。


その日…美咲が愛でていた紫の桔梗の花も静かに短い生涯を終えたのだった。


永遠の愛


月日は流れ、美咲が天国へ旅立ってから21年目の夏が訪れた。

美由紀は淑やかな22才の大人の女性となり、デザインの学校へ通いながらボタニカル、フラワーデザイナー目指して修行中だった。

美由紀が一歳の時に母親の美咲を亡くしていたので、美咲の顔は記憶に無く、写真とビデオの中だけの母親しか美由紀は知らない。

しかし、美咲の写真やビデオには美由紀と同じくらいの割合で写っている紫の桔梗の花。

『ねえ、お父さん。お母さんてこの花好きだったの?なんていう花?』

美由紀が高校生の時に、母親である美咲の写真やビデオを観ては、母親と同じくらい興味を持った花の事を父親である由紀夫に聞いたことがあった。

そして紫の桔梗の花だと知り、花言葉(永遠の愛)ということを父親から聞いて桔梗を好きになった美由紀。

好きになった理由は花言葉だけではなく、母親が桔梗を愛していたからだった。

『ねえ、お父さん。桔梗の花が好きだったお母さんの気持ちは、お父さんへの想いなのかもね…なんかそんな気がする…』

『それなら父さんも嬉しいな。でも母さんが好きでいてくれるのは父さんより美由紀のことの方だろうな。美由紀が母さんの歳を越えてお婆ちゃんになっても30歳の母さんは何時までも美由紀の母さんだからな。ずっと見守っててくれるよ、美由紀のこと…』

『うん…ねぇ、お父さんは再婚しないの?』

『父さんはしないよ。母さんと離婚した訳じゃないんだからさ。
今でも…これからもずっと、俺の奥さんは美咲の母さんだからさ。再婚なんて考えたことないよ。
美由紀は俺に再婚してほしいのか?』

『ううん、してほしくない。再婚なんて考えたことないって聞いて良かった。父さんと母さんはラブラブで永遠の愛だね』

美由紀がまだ高校生の時の会話を由紀夫は忘れずにいた。

その時のまま、素直に育ってくれた美由紀は、だんだん美咲に似てきた。

そして一年が経ち、美由紀が19歳になった年の初夏。

美由紀が紫の桔梗を買ってきて、いつの間にか庭に植えていた。

それから三年。桔梗は枯れることなく、現在二回目の開花時期を迎えた8月の穏やかな日曜日の午後。

庭から美由紀の声が由紀夫に聞こえた。

『父さん、桔梗の花って確か香り無いんだよね?』

『あぁ、桔梗は香らないよ、確か…。何でそんなこと聞くんだ?』

由紀夫は窓を開け庭に顔を出した。

『うん、なんか凄く良い香りがするんだよね…』

『え~、桔梗に香りは無いはずだぞ。あっても微かに香るくらいだよ』

そう言って庭に出た由紀夫の鼻を、懐かしくも愛しい香りが掠めた。

紛れもなく、由紀夫には忘れられない美咲の髪の香りだった。

『…美由紀…この匂い…お前の母さんの髪の匂いだ』

由紀夫の胸に熱いものが込み上げた。

『もしかしたらと思ったけど…やっぱりシャンプーの香りなんだ。母さんてこんな良い香りの髪してたんだ…』

『あぁ、母さんと付き合い始めた頃からずっとこの香りだったんだ』

『そうなんだ…。この香りなんの香りなの?アタシも母さんと同じ香りにしたい』

美由紀はそう言いながら、大きな瞳にみるみる涙をためてすすり泣きを始めた。

『母さんの使ってたシャンプーは椿というシャンプーだったよ。
 なぁ美由紀…お盆にはちょっと早いけど…これから母さんに逢いに行こうか。
 きっと母さんも美由紀に逢いたくて早めに帰ってきたのかもしれないよ』

『うん…行く…』

美由紀は顔を上げて美咲と同じような大きな瞳から溢れた涙を手の甲で拭って父親に笑顔を向けた。

二人は香るはずのない桔梗が良い香りを放ったことに、美由紀は母の存在を、由紀夫は妻の存在を香りで感じていた。


由紀夫と美由紀は支度をして、車に乗り美咲が眠る場所へと向かった。

『ねぇ父さん…』

『うん?どした?』

『母さんのお墓、また花いっぱいかな』

『うん、たぶんな。前にお寺さんに聞いたら毎月花が入れ替わっていて花が絶えたことがないそうだ…』

『もう20年続いてるんでしょ?父さん顔見たことあるんだよね?その人の…』

『あぁ、父さんは知ってる。もう母さんのことは許してるんだけどな…。
美由紀はどう思う?毎月母さんに花を持ってくる人のこと…』

『父さんは許したんでしょ?父さんが許してるなら、アタシも許す。
 てゆうかアタシももう許してるんだけどね。最初の頃はその人のお姉さんが花を置いていたんでしょ?
15年も…それも毎月欠かさず…。
その後は弟が続けてるんだよね?
 アタシももういいんじゃない?って思う。5年前から毎月お金も送ってくるし…』

『父さんも、もう十分気持ちは伝わってますって言ってるんだけどね…。
 それでも続けさせて下さいって12年の刑を受けて執行猶予も終えて刑期も終わってるのにな…』


由紀夫と美由紀が、そんな話をしながら美咲の眠るお寺へ着く少し前、斉田克之は美咲の墓に花を手向け、手を合わせて歩いて寺を出ていった。



おしまい。。。

あとがき

桔梗の花が香るとき…如何でしたか?
それぞれの人物の心模様を書いてみました。

 何か重大な過ちを犯してしまった場合、謝罪の誠意は形として見えること(金銭、贈答、許しを乞う手段)も多く、その場しのぎのお許しください…的なイメージに思えてしまうワタクシ(^^;
 北の国から'92 巣立ち'で誠意を見せようとカボチャを持ってきた五郎さん🎃のイメージが強いのかも?💦
誠実や真心は許されるまで、ではなく許されてもなお心を尽くす…というイメージを持つワタクシ。
 そこに誠心誠意が絡んでくると、社会的礼儀のようになる気がするのであります。
上手く言えないけど、相手の心を揺り動かすただの謝罪ではなく、成しうる限りの心の意を尽くしつくす…それでも尚…みたいに…。
でも度を越すと相手に不快を与えてしまうかもしれない。

『誠意って何かね?』と菅原文太さんの台詞を思い出す(*^^*)

自分本意の償いは押し売りになってしまう。

ということでここで一首。

真心は持てる真の意を尽くし信念曲げず悦に溺れず

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

            小麦

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