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能『箙』初シテを務めて〜第二章:The Sense Of Wonder part 1
子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。
このブログをお読みの皆さん、
子どもの頃、家族と一緒に野原を駆け回ったり、宇宙に浮かぶ星の数を数えたり、
何か心躍るような経験はないだろうか?
スマホを触る手をそっととめて、思い出してみて下さい。
家族でピクニックに行った記憶、はじめて飛行機に乗った記憶、海に入って遊んだ思い出...
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序、私にとっての”the sense of wonder”
私の生まれは石川県白山市の小さな田舎町だ。
茶の間より心を澄まして窓の外をみれば、雲上に白山が聳え、近くには轟々と流れる手取川。
動植物でいっぱいの、自然豊かな場所であった。
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私の親愛なる母は、まだ幼い私を連れて朝早く外に散歩に出たり、少し足を伸ばして白山比咩神社に参拝したりすることが多かったと常々誇らしげに語っている。
母は私に、自然との触れ合いを通して感性を育み楽しむきっかけを与えてくれた。
“THE SENSE OF WONDER”
一、アンテナの手入れと不具合
ここで話を舞台当日に。
着付が終わり、幕の前に立つ私。
演者は、幕が上がる5分前には幕の前でその時をじっと待っている。
カマエ(能楽に於ける基本姿勢)を早い段階で作って控えている人もいれば、幕が上がる直前にカマエをする人も。
私は、身体が凝り固まりやすい人なので後者を選び、囃子の音をじっと聞き、直前でカマエをすっと整えてお幕を待った。
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そして、「お幕」
ゆったりと幕が上がり、ハコビを始める私。
ここで想定外?の事態が。
実は今回の舞台、急拵えの仮設舞台で、且つ地面は檜の板ではなく絨毯を敷いてあるのだ。
檜の床以外で摺り足をするのはもちろん初。
ましてや能のシテを務めるのも初めて。
これは面白い状況になった、と心のなかで思った。
絨毯での摺り足...何か懐かしい気分になってきたぞ...
その時私の脳裏を過ったのは、実家の茶の間だった。
雪国で冬の寒さが厳しい実家の茶の間の床には、一年中絨毯が敷いてある。
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自主稽古をする時はいつも茶の間...
橋掛りに差し掛かり
舞台照明が私を捉えたその瞬間は、
小さい頃から慣れ親しんだ絨毯の感覚を思い出すことで、
五感の凝りを解す絶好のチャンス
と転じたのだ。
凝りが解れた私は同時に、ある懐かしい薫りにつつまれるのを感じた。
それは、私の地元の鎮守の杜、白山比咩神社の境内の、あのなんとも言えない清涼で暖かな空気だ。
白山さんの参道を一歩進むごとに、私の細胞が穏やかに整列していく、あの感覚。
この世に生を受け、生きていることへの感激と感謝。
霊峰白山の恵みを全身に漲らせて、舞台に向かって橋掛りを進む私。
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ハコビ始める際、観客からほとんど見えない位置で、ハコビのテンポと上半身の連動をほんの一瞬だけ意識した。
能の世界では、様々な「型」と呼ばれる動きがある。
「型」は演目を超えた全曲共通のもので、型のパズルで能が行われる。
白足袋で地面に足の裏を擦って静かに進む、「ハコビ」もその一種。
こういった型は、演じる登場人物によって、そのやり方を変えていく必要がある。
箙の前シテの場合は、主に以下の六つの要素をもとに型を構成する。
・年齢:若者 ・性別:男性
・区分:勝修羅 ・役柄:前シテ
・感情表現:拘らず ・身分:武士
これらを踏まえてハコビ方やテンポなど、師匠の指導のもと丁寧に細かく再現度高く行う。
こんなことを舞台当日その場で考えていては忽ち混乱してしまうので、混乱が生じぬようとことん稽古をやり込む。
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通常の能舞台だと、舞台に上がってから型についてとやかく考えることは決してない。
しかし、今回の舞台はハコビ慣れない仮設舞台。
そしてそれに追い討ちをかけるように、剥がれて一部捲れがっている足元の絨毯。
絨毯を目にして心乱れることは一切無かったが、念の為ハコビのテンポに、気持0.1秒だけ気をつけて進む。
箙の前シテは直面(※能面を着けていない状態)である。
しかし演者は、能面を着けている心持で舞台を務める必要があるため、キョロキョロ周りを見回したり首を動かすことは許されない。
したがって、絨毯が捲れ上がっている危険な箇所は、視認困難なのだ。
橋掛りの切れ目に差し掛かる私。
そこで、事件は起きた。
擦っていた足が、捲れた絨毯のなかに一部入ってしまったのだ。
ここで慌てて足を引っこ抜いては、舞台の厳かな空気が崩れてしまう。
そう悟った私は、ハコビのペースをほんのわずかに落とした。
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絨毯に引っかかってない方の足で絨毯を押さえるが如くスローでハコビ、足と足が交差して観客から奥の足が見えにくくなるその瞬間、
スルリと足を引き抜き絨毯をゆったり撫でるようにハコビを進めた。
時間にしてわずか2、3秒の出来事だったかもしれない。
しかし私にとってその瞬間は、時が止まったかのように感じられた。
アクシデントはあったものの、無事に目的地まで到着。
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さあ、いよいよ私がうたう番。
二、来る年の矢の生田川
喉の調子は朝よりはかなり改善されており、あとは息を信じるのみ。
今回の舞台で一番心して掛かったのがこの場面。
第一声を舞台に放つ...
謡の調子やテンポ、曲の流れなど、全てを占う大切な瞬間。
「来る年の矢の生田川 来る年の矢の生田川
流れて早き 月日かな」
申合せの際、稽古通りやれと言われて丁寧にうたいすぎて、調子が若者らしからぬ落ち着きになった反省。
そして、師匠から常々注意されている、意気込まずさらりと穏やかにうたえという注意。
一見相反する両者...
このギリギリのラインを攻めた第一声は、喉の不調をものともしない過去最高の謡になった。
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「飛花落葉の無常ハまた。常住不滅の栄をなし。一色一香の縁生ハ。無非中道の眼に應ず。人々個々園成の観念。猶以って至りがたし。あら定めな乃身上やな」
調子をヲサメてかるく謠ふの注釈どおり、占い通りのまずまずなシテ謡が続く。
客席の方をみてうたう私。観客の中には見知った顔もちらほら...
観客の表情はよく見えなかったが、観客の側から、静かな跳ね返りというか、観客が舞台に溶け込んできているような感覚を感じた。
そこに観客がいて、空間はこれくらいの広さで音がこういうふうに飛んでいっているのが見えてきた私。
なんだろう、この感覚は...?
そして何より、ちゃんと観客に謡が届いている...
届く声でうたえていると確信した私は、囃子方や観客、地謡、ワキ方の創り出す空気にノって、無心で謡を続ける...
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「人間有為乃轉變ハ眼時の中に現ハれて」
よく能を始めて観にくる方から、
「謡って何言ってるか分からないけど、あれって意味を理解してうたってるの?」
と聞かれることがある。
結論、殆ど理解してません...笑
勿論理解されてうたっている人もいらっしゃるかとは思うが、
私の場合謡は頭で理解するものではなく
最初に身体に刷り込んでいくものだと認識しているので、頭を使って理解しようとしたりはしていない。
教わった通りに謡をうたっていて、
「こういうニュアンスのことを言ってるのかな?」
とすこーし思う程度である。
多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、
「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。
わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」
と嘆きの声をあげるのです。
わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなに大切であるかわかりません。
私としては、知識や知恵をもとに舞台を観ること以上に、能楽を通して何かを感じたり空想の世界に浸ったりして、五感の凝りを癒やす一期一会の時の移ろいを楽しんでいただけると嬉しい限りである。
知識不足は恐れではなく、己の無限の可能性の最大級の謙遜であると、私は信じている。
能楽経験者・愛好家としての知識を軸に舞台を観ると、みえる景色が限られてくる。
毎回同じような視点で舞台を観るので、得られるものも似たり寄ったりになってしまう。
己の五感に身を委ねて舞台を観ると、宇宙遊泳を楽しんでいる心地になってくる。
とんでもない空想が浮かんできたり、感じたことのない感情が芽生えてきたり...
新たな自分との出会いの場となるのだ。
能『箙』初シテを務めて〜第二章:The Sense Of Wonder part 1はここまでとする。
当初1ページのブログにまとめようと思ったのだが、記憶を呼び起こしていくにつれ、書きたいことが膨大になってしまった。
余す所なく具に記録したいので、急遽パート分けすることにした。
能『箙』初シテを務めて〜第二章:The Sense Of Wonder part 2では、舞台の進行に沿って展開される現場のリアルを演者目線を中心に紹介していく。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
次回の投稿もお楽しみに...!