
悲しい手術はもう受けたくなかった
家族にはもちろん
友達にも誰にも話していないことがある
結婚後、数年間の不妊治療を経て
ようやく妊娠した赤ちゃんは
初期流産してしまい
そしてまた私は
悲しい手術を再び受けることになってしまう
誰にも話していないのは、
その時に感じた2つの小さな命のこと
私には20代で、思いがけない妊娠から
中絶せざるを得なくなってしまった過去がある
ずっと罪悪感という十字架を背負って生きてきた
赤ちゃんには
「幸」と「光」の意味で
コウちゃんという名前をつけて
一人ひそかに祈りを捧げてきた
その後いくつかの恋愛を経て
ようやく結婚をした
けれどもなかなか子宝には恵まれなかった
過去の中絶が原因なのかもしれないと
自分を責めたりもした
年齢のせいもあったのかもしれない
数年間の不妊治療を経て、
やっとお腹に赤ちゃんが来てくれた
待望の赤ちゃん
やっと会える
やっとこの手で抱きしめることができる
夫も母も、妊娠をとても喜んでくれていた
けれど、喜んでいたのも束の間
今度は流産をしてしまう
成長が遅いことを指摘され
次の検診でこれ以上成長していなければ
初期流産となると告げられた
超音波写真に映る
小さなキラキラとした指輪のような
丸くて尊いその影が
それ以上大きくなることはなかった
流産に気付く前、東京湾の水上バスに乗った
舟にゆられ、お腹の中のその子が
とてもワクワクしているなと感じて嬉しかった
ベビーグッズのお店で
早速小さな白い象さんのぬいぐるみを買った
スタイや肌触りのいいかわいいタオルや
ベビーベッド用のモビールなども早速揃えた
その時も、お腹の中のその子は
ウキウキした気分でいるようだった
かわいいねと語りかける前からすでに
とても嬉しそうに喜んでくれていることが
不思議と伝わってきた
お腹の中で、小さなその子は、とても元気に
ここにいるよと教えてくれていた
そんなある日、夫とささいなことでケンカをし
ストレスで頭の中が真っ白になった
お腹がキューっと痛くなって
イライラしすぎて夜もあまり眠れなかった
しばらく腹痛が続いた
ふと気がつくと、つわりがなくなっていた
自然と感じていたお腹のその子の存在感は失われ
超音波写真のキレイな形は
それ以上成長することはなかった
どうしてこんなことが起こってしまうのかと
とても受け入れられず信じられず、泣いた
過去の選択が影響しているのではと、自分を責める気持ちにもなってしまった
夫や母が私の悲しみをしっかりと受け止めてくれ、一緒に悲しんでくれた
私はここぞとばかり、2人の前で大泣きをした
初期流産で自然に出てこなければ手術をしますと告げられ、
コウちゃんからのメッセージかもしれないことを、ふと感じ取った
問診票に、妊娠回数は2回、出産回数は0回と記載した
中絶の手術だと勘違いした若い医師には、苦い顔をされた
その後看護士さんが、医師に流産だと訂正してくれ、
私の気持ちに寄り添ってくれた
手術には、母に付き添ってもらうことにした
麻酔が切れたとき
何を口走ってしまうか分からず不安だったから
母は待合室までしか来ないだろうし
まだ誤魔化しがきく
2回目の手術も、麻酔で眠っている間に処置が終わっていた
目覚めた時は診察台で、下腹部がとても痛かった
痛い、痛い!お母さん!と言っていた
コウちゃんごめんね!とかは言わずに済んだ
麻酔が切れる少し前に
ぼんやりとした意識の中で見た夢は、赤ちゃんの夢だった
クマさんのクリーム色のおくるみをきた赤ちゃんが
悲しいようなあきらめのような表情で少しうつむき
買ったばかりの白い象さんのぬいぐるみに乗り
心配そうに振り向きながら、月に続く星の道を登っていってしまった
ちょうどその頃よく聞いていたRoyksoppのMVに少し似ていた
クマさんのおくるみのあの子は、コウちゃんだったのかなと思った
もしコウちゃんとは違う子だったとしても
コウちゃんに近い存在の親友とか兄妹とか
コウちゃんのメッセージを届けに来てくれたと思った
そして、私に語彙力がないからうまく表現できないのだけれど
「これでトントンになった」と感じた
コウちゃんは、今度は自分でお空へ戻る道を選んだんだと思った
コウちゃんが、もし私のことを少しは怒っていたんだとしたら
これで許してもらえるかもしれないと思った
「トントンになったんだ」
正直、コウちゃんを産めなかったのに
お腹のその子を産み育てていくことに、ほんの少し不安を感じていた
罪悪感もあって、私にはその資格はないのでは
という気持ちが、どこかにあった
だから私を許すために
許しを与えに来てくれたと思った
不思議な感覚
二人目のその子も、名前はコウちゃんにした
「幸」と「光」のコウちゃん
二人なのか、一人なのかは分からないけれど
どちらにしても、
私の大切な大切な小さな命であることに間違いはない
これが、今まで誰にも話してこなかったこと
あまりにも自分本意で、曖昧な
想像上のお話といえば確かにそうで
誰にも話すことができなかったことです
けれどもこうして書いてみて
気づいたことがある
コウちゃんは、もう一度お腹の中に来てくれて、
一緒に楽しさを味わってくれたのかもしれない
祝福され望まれる命として、もう一度私のもとに来てくれたのかもしれない
幸せであたたかな時間を、一緒に過ごしに来てくれたのかもしれない
コウちゃんの、とても素直で好奇心旺盛な元気な気持ちを、私に感じさせてくれたんだ
きっとコウちゃんは、そんな子だったんだ
誰かの気持ちに寄り添うことができたら思い、こんな曖昧なお話をさせていただきました。
コウちゃんとのことを、読んでいただきありがとうございました。