「消えたい」は「何も感じたくない」のことだ
なんとか過食しないで一日を終えた日は不安になりながら眠りにつく。
大抵、翌日過食してしまうから。
今日は一日中闘っていた気がする。
朝起きて、朝食をしっかり食べたものの足りなくて、でもおかわりしたら止まらない気がして。
お昼前から友人と会う予定があったから、それまで趣味で何とか時間つぶし。でも、家を出る直前に思い出したかのようにソワソワがやってきた。歩いていても止まらない。
友人とあって何とか気は紛れたけれど、その間もずっと食べ物のことを考えていた。
昼食を食べてひとまず満足するも、すぐにお腹が空く。はちみつリンゴドリンクを飲んで誤魔化してもお腹がすいてたまらない、寝逃げしてもお腹がすいて目が覚める。
18時。ようやく「食べても大丈夫」な時間になった。それより早すぎると、結局夜寝る前の空腹が酷いことになる。夕食を食べ、ベッドに横になり、重い身体を引き摺り風呂釜に湯を張る。お風呂はいい。身体にまとわりついた重い固い黒いものが、全部溶けていくような気がした。問題があるとすれば、ドイツは水道光熱費が高い。そして、毎月定額を支払い、それを超過した場合追加徴収がある…らしい。まだドイツへ越してきて一年も経っていないため、感覚が分からない。一日の終わりに幸せを感じながら、「この幸せはいくらだろう」と震えている。
身体が温まりようやく動く気力が湧いてきて、寝る前にストレッチなどした。このまま寝逃げだ。
こうして何とか衝動や過食欲をやり過ごして過ごしても、なんだか虚しさが残る。結局は翌日に持ち越されるだけ、ということが多いから。
今日は、「今ここで食べたら絶対にスイッチが入る」と分かっているところで、食べないことを選択した。結果、ずっとずっと食べ物のことで支配されていた。ずっと満たされなかった。苦しかったもう全部何も感じたくなかった寝て目が覚めたら1ヶ月後になっていて欲しかった。
この満たされなさが明日の過食の予約になってしまっているのなら、私はどうすべきだった?なにか食べるべきだった?でも食べたら過食してしまっただろうから、必死にそれ以外の方法を選んだ。
「食べる以外の選択をしてみましょう」それで一時的にやり過ごせても、やり過ごせた、良かった、と思った瞬間にどっと力が抜けて、それまで抗えていた波に抵抗する気力すら失ってしまう。
その、「一時的」を少しでも伸ばしていけばいいのか?でも、毎回思うようには伸ばせない、それが疲れた。