いつも小さな嘘をついている
だから、私は私をもう救えない。
今日は、昨日の予測通り爆発しそうな日だった。
過食という形では爆発しなかったけれど、通院先の先生や頼れる人の前でボロボロ泣く、という形で大爆発を起こした。お昼の前にお腹が空いてお腹が空いて、ちょこちょこ果物を食べたり暖かい飲み物を飲んで気を紛らわせてもダメ、深呼吸しても、お昼食べても、ずっとずっとずっとずっとずっとお腹が空いていた。もう、昨日からずっと常に「なんか小腹がすいて気になる」状態。
この状態では、何かを食べることではお腹を満たせない。いや、お腹がいっぱいになっても吐くまで食べることが辞められない。必要な栄養素はとってるはずなのだ、「食べること」で解決しない空腹感、だから今は食べるべきではない。
この行動はそう、経験から得た教訓だ、過食の回避策だ。
でもどうだ、どれだけ「食べなくて大丈夫だよ、もう食べたよ」と言っても、食べたい気持ちが収まらない。動悸がして身体が震えてきた。「過食しそうになったら電話して」と言ってくれた先生に電話をしも、「食べる以外で気を紛らわせることは?お茶を飲んだり水分沢山とって」「いま、私はお腹が空いてるけど、食事の時間でないから食べないです。そう出来ない?食事の時間まで待てない?」そんなことで収まってたら電話してない、と怒りとともに涙が込み上げてきて、「全部やりましたむりです全部だめです」と電話口で号泣した。
正直、電話をしてくれた感謝より、怒りの方が強い。そんなんで我慢できてたら、わざわざ時間をかけて病院なんか行っていない、と怒鳴りつけたい、わめきたい。
(こういった気性の荒さも、自分の嫌いなところなので、どうにかしたい。自分の中で処理できるようにしたい。)
さて、何とか今日一日をやり過ごして、この2〜3時間頭を占めていることは、「嘘つきで不誠実な私は一生ひとりぼっちだ」ということだ。
自分をよく見せるため。怠け者な自分から目を逸らしたいから。やるべきことをしなかった自分を正当化したいから。
人にも嘘をつく。自分に対しても嘘をつく。
「あの時私はこうだったからこうしたんでしょう?」と、自分を正当化したい自分が言う、「(そんなことないんだけど、そうだったかも…)うん、そうそう」と、少しの良心も流される。
つく嘘の大きさは小さなものだけど、雪玉のようにころがって大きくなっていくことがある。今がまさにそれで、「もっと真っ直ぐ生きていれば、こんな情けない気持ちにならないでいられたのかな。小さな嘘でも積み重なると、取り返しがつかないよ。信用失うよ。もうあなたのことを、誰も信じてくれないよ」と、ずっと頭をぐるぐるしている。
「そんなことないよ、今からでも、気付いた時からで遅くないよ、これから真っ直ぐに生きよう。大丈夫だよ」という言葉を待っている。
でも、必要なのは、許されなくても、信じてもらえなくなっていても、手遅れでも大丈夫じゃなくても、せめて明日からは真っ直ぐに生きること、「信用されない」という結果を受け止めても、腐らずに自分を矯正していく努力をすることの方だ。