「みんな辛さはあるよ(ひとりじゃないから大丈夫)」
どうにも受け入れられない、拒否反応を示しそうになる言葉。
「大変なのはあなただけじゃないんだから/あなたより辛い人がいるんだから」と、私の中では同じ意味。
だって、そりゃそうだよ、みんな心の中に地獄を持っていて、形は違えど苦しさを抱えながら生きてる。
でも、それは私の地獄を軽くしてくれないでしょう?
私の過食は止まらないでしょう、太った事実も、このまま太り続けるのか・痩せられなかったらどうしようという不安は和らげてくれないでしょう?
一度でも同じ境遇だった人の言葉は素直に受け入れられるのに、この苦しみを知らない人からの「辛いのはあなた以外にいるから、一緒に頑張ろう」は受け入れられない。この恐怖が分からないあなたに何がわかる、と。
多分、自分にとって「太ることへの恐怖」が他のどんな変化よりも怖いんだろうな。
ただ、今日読み始めた本の前書きで、「人生で1番の苦しみを味わった数週間後に、幸せについての本を書き始めた」という一文を見つけた。
その一文は、この本の本質的なところでは無いし、筆者が何かを示唆するために書いた訳では無さそうなのだけど、なぜだか私は、「『(抱えているものは違おうが)各々の苦しみを抱えた人たちと一緒に頑張れる』そんなのこの苦しさを知らないから言えるんだ」という私の頑固な主張を思い出した。
なんだか、そう言って自分の苦しみを他の苦しみから距離を置こうとする自分は、それこそが私を苦しめている未熟さなのかもしれない、と感じた。
そうは言っても、やっぱり自分の持っているものって絶対値なので、相対化させるような慰めは好きになれないのだけど。