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生きるために必要な、ただ一つ
”私”は”私”という世界で生きる、ただ一人
”私”という世界の中では、”私”が一番可愛い。
なのに、周りを見渡すといつだって他人は私じゃない誰かを「可愛い」と称賛し、或いはあたかも”自分”が人知れず可愛くて、そんな素振りを見せずに”自分”が可愛いと賞賛する。
なんだか”私”が可愛くないみたいで、他の人と感覚が異なって、誰より醜く痛く、現実から逃げている気がしてしまう。
”私”以外、”私”を可愛いなんて思う人は存在しない。
でもやっぱり、ブルーライトで包まれた15秒の世界よりも、ただ純粋に”私”が誰より自分を可愛いと思うのは、
私の美しさも醜さも、私だけが誰より知っているからだ。
プレゼンテーション 15seconds
SNSは自分の良い所しか切り取っていなくて、仮に自分自身をそこで卑下する者がいたとしても、その自傷には”大義名分”という酔いしれを纏って「皮肉」を連れてくるもんだから、なんだかそれも嫌々しくて、目には見えないジェラシーが重なっている。
誰もそんなこと、気づこうとしていないから、みんなその世界を良いものとして見ていて、そこでの世界に興味が無くなった人間をあたかも病気みたく取り繕った心配をにじませる。
でも、私はもうそんな、薄っぺらい所で人を見ようとしなくなっただけだよ。そんな2㎝に満たない厚さの中で計り知れるほど私という人間は、「人」とは、小さく無いよ。
私にそんなプレゼンなんて、必要ないよ。
ただ一つ、”私”という”あなた”がいる
「人間の本質は言葉や態度、外見へとほころんで出てくるものだ」
なんて言うけど、私はそうは思わない。
そんな誰でも取り繕えるものに出てくる人間性なんて、捨てちまった方がマシだろう。そんな所で人を見るなら、おそらく窮屈なまま”終える”んだ。
だけど、他人の本質を知る方法は、そういった取り繕える、嘘つき上等な部分を見るということしかない。それが言葉を持った人間の定めでしょう。
すなわち、ね。そんな他人は表面でしか知ることが出来ない存在で、本当の中身を全て知ることなんてできないから、自分を知ることだって難しいのに。
だから、だから。そんな他人の一部と自分を比較して、”あなた”という世界の”あなた”を苦しめてあげないで。
私達が生きるために必要なただ一つは。支えあうことでも、認め合うことでも、自信を持つことでもない。
ただ、ただ。『”私”が生きてる』それ以外に、理由なんていらないんだよ。