かの人よ朝けの風にかをる梅
🫒今年も短歌を学びたいです
noteで短歌に出会いました。自分で詠むことになって、参考図書として手をつけたのは万葉集でした。高校までの教科書や資料集で、心惹かれたのをおぼえていたからです。
防人に徴用されて、こどもを置いてきた人が存在したとわかります。この歌を最初に私が目にしたのは小学生だったとおもいます。そんなことがあったのかと、とても怖かったです。
こどもは何よりも大切。歴史や民俗、人の息遣いが伝わるような短歌が好きです。そうして自分で拙い短歌を詠みながら、ときどき万葉集を読むようになりました。専門書は難しいので、児童書を図書館で借りています。
🫒源 実朝
万葉集を少し読むようになっていたころ、一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に、鎌倉幕府三代将軍源実朝の短歌が引用されました。
この波の景の表現に、すっかり心を持っていかれました。前半のエネルギーをためていくような緊張感、後半に畳み掛ける波。この人の短歌を全部読みたいとおもいました。それから実朝に関わる本を少しずつ読んでいます。
🫒『右大臣実朝』
太宰治の著書です。吾妻鏡や増鏡などの引用が多くて、私には難しかったです。何日に何があったという記録が丁寧にされていました。実朝の甥、公暁が海辺で蟹を焼いて食べる場面が、太宰治の小説らしい部分でした。
🫒繰り返しなぞること
大河ドラマで実朝の短歌に触れて、さらにその時代の歴史や人物を観られたのは大変な幸運でした。『鎌倉殿の13人』を観ていなかったら、太宰治の『右大臣実朝』は理解できなかったでしょう。
同じ時代の同じ人物について繰り返し解説されるうちに、やっと少し状況がつかめるようになってきました。
幼くして将軍となった実朝。執権が強力で、大人になってもおもうような政治をできませんでした。将軍なのに、大事な仲間たちが粛清されていくのを止める力はありません。実朝について知るほど、彼の短歌に惹き込まれていきました。
🫒朝な朝な
前にもnoteにしているのですが
朝な朝なは、毎朝という意味です。夜な夜なと同じようなことです。
実朝は『朝な朝な』を何度も使っています。『朝』は父頼朝と自分の名前で共有している特別な一文字です。
※以下は実朝の短歌に対する
私個人の浅はかな空想です。
お許しください。
真冬に山で落馬して年明けに亡くなったと伝わる頼朝の魂だろうか。
萩の花が実朝、鹿が北条家。
我々(将軍家)はまことに弱々しくて、消えてなくなってしまうだろう。
箱根のほととぎすが鳴く声は、彼岸の父(頼朝)が呼ぶ声のようだ。
以上、そんな根拠のない空想をしています。
🫒伝わる短歌
古典文法に詳しくないので、短歌を読むのに時間がかかります。実朝の短歌も辞書を引きながら読むのですが、調べなくても伝わってくるものもあります。
そのままでも伝わることは、とても大切におもいます。京都へ行くことがなかった実朝だから、現代でも意味が通じるような歌が詠めたのかもしれません。人の心を打つから、歌人たちが大切に語り継いできたのでしょう。
🫒このねぬる朝けの風にかをるなり軒端の梅の春の初花
ねぬる:寝ぬ(寝る)
実朝の短歌の中でも、特に好きなものです。今朝、梅の香りで目が覚めたよ、という場面でしょうか。その血筋のみを重宝され、若くして亡くなってしまった彼に、こんな春の朝があったのだとおもうとよかったなとほっとするのです。
ただ、いくつかその時代を解説した本を読んでみると、災害に遭って厳しい世相の鎌倉時代にあって、まことに優雅で結構ですねと嫌みのひとつも言えなくもないこともわかってきました。
それでも、きれいな家屋できれいな衣を纏った高貴な若者が、軒端の梅を慈しむ穏やかな光景は、私の心を和ませます。実朝の短歌が好きです。今年も実朝を起点に学んでいきたいです。彼について書かれたものや、本歌取りに採用される万葉集や古今和歌集など、ゆっくり追っていこうとおもいます。