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海の数だけ自分がいる「人生迷ったら海に行け」❶

生まれた海、育った海、夢を見させてくれた海、背中を押してくれた海、一瞬の恋の海、全てが嫌になった海、全て吹っ切れた海。

人生まだ23年、来月で24年が経とうとしているが、振り返ってみればどうやら私の人生には海がよく登場する。

今は山梨県といういかにも海無し県に住んでいるが、ある海はいつも「おかえり」と言い、またある海は無言で私を抱きしめてくれる。

海を見るたびに思うこの懐かしい感じは、消えたいと思わせるほどに居心地が良くて、次第にずっとここにいてはいけないと思わせる。

なぜ私の人生に海がよく登場するのか、そして私にとって海の役割は何なのか。

これは現状に何か物足りなさや生きづらさ、将来への漠然とした不安を感じている私と同年代の人に贈りたい、ただの一人語りである。

生まれた海

自己紹介でも記述したが、私は戸籍上北海道・小樽市の生まれである。本籍もいまだにそこ。(一応プロフィール⬇️)

でも小樽の海で育ちました!と言うには早すぎる引越しで、年に一回海水浴で行くか行かないかくらいにしか小樽の海には触れてこなかった。

カモメ
夕方の静かな海岸は波の音とカモメの声しか聞こえない

小樽といえばみんな口を揃えて運河という。運河もその周辺も街並みが凄く雰囲気があって私も好きだが、駅から離れれば観光客も一気に減り、非常に穏やかな時間が流れていることに気がつく。

カモメを見ると思い出すのが、父と港で散歩していた時の話。

飛んでいたカモメが海面に向かって高度を下げていく。
_「パパ!カモメが海に落ちちゃう!」
_「馬鹿野郎、カモメは海に浮くべや」

カモメは浮く。

育った海

小学校に上がる前は長野に、その後は山梨に住んでいたため海人と言えるほどじゃないが、私を育ててくれた海はある。

2017年8月
2021年8月
2022年8月
2023年8月

育った海___沖縄県・阿嘉島

2014年に国立公園に指定された、ホエールウォッチングで有名な座間味島の隣の島。

ここへは9歳か10歳くらいから毎年訪れている。

旅行で行っているのでは?と思うだろうが、一度私たちと一緒に行けばわかると思う。

ここ数年シュノーケリングは約1週間の滞在中1日くらいしかやらない。何をしているのかというと、ほぼバイトだ。

バイトと言ってもお金は一切もらっていないが。体験価値みたいなものかな。

他の宿泊客の食事作りを手伝い、それも食材の確保から買い物だって行く。魚を釣ったら鱗取りから捌いて盛り付けまで。時にはご先祖様のお墓掃除や船下ろし・船上げ、台風前は窓の板張り、チェックアウトの日はシーツや布団カバーを洗濯して干すところまで。

宿の人とはもう家族のような関係だ。だから訪れた時には「ただいま」と言うし、向こうも「おかえり」と握手やハグで迎え入れてくれる。

時には戦争の話を聞かせてもらい、時には島の行事に参加させてもらう。受験期で追い込まれている時もケーキでサプライズをしてくれ、包丁もまともに使えない小学生に料理のコツや家事のコツまで教え、帰る途中でお腹が空いた時用にとジューシーを持たせてくれる。

島では色々な人と出会った。ダイビングのインストラクターをしている人、サンゴの研究員、商店のおばあちゃん。

研究所では夏休みの自由研究を手伝ってもらった。今思えば贅沢すぎる。

本物の海に触れ、水族館では見ることのできない世界を見た。色々な生物をこの目で見た。

チンアナゴ、タツノオトシゴ、マダラトビエイ、ウミウシ、ウミヘビ、ゴマモンガラ、伊勢エビ、ウツボ、ウミガメ、ネムリブカ、マンタ、ザトウクジラ…

全てが新鮮で魅力的でどうしようもなかった。


でもある朝、港に釣り針を飲み込んだウミガメの死骸が打ち上げられていた。

一昨年まで好きで売店で購入していた島のハチミツが、猛暑で今年は採取できず買えなかった。

海面の上からでも目視できる白い影_サンゴの白化現象が去年より拡大していた。


私の育った海が危ない。

夢を見させてくれた海

夢…本当にあれは夢だったのかもしれない笑

この写真で思い浮かべるシーンは世代によって違っていて面白い


【続く】

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