1人の時間の愛し方④
寒さが弱まって冬の終わりを迎えそうなこの時期。けど体感的にはまだ寒い。
1月下旬に最終試験を終え、2月からは無事春休みが始まった。
詳細な成績はわからないけど、単位は1つも落とさなかったし、欠席も1度もしなかった。おまけに風邪も引かなかったし、減ったのは体力ぐらい。
物事は大体過ぎてしまえばあっという間だったと振り返るものだけど、
今年は早いようで体感的にはいつもより遅い1年間だった。
グループワークがスタートした後期。幸いこれらのおかげで友達や知り合いは増えたし、春休み最初の1週間は有志で結成したオンライン&対面イベントの実行委員長までさせてもらった。久しぶりに人間的なコミュニケーションを濃密にとれた1ヶ月間だった。立候補した直後はうまく馴染めるか、後悔しないか心配だったけど、終わるとやって良かったな、いい思い出だなと思えるものだった。
(実行委員全員が時間の少なさに苦しみと疲労を味わったけど…)
やっぱり、直接合わないと相手のことなんてわかんないよな、とつくづく思う。
いや、SNSが嘘の塊だとい言いたいわけじゃない。自分を表現する一つの場所であるし、ある程度の性格と思考パターンは見えるときもある。もう生活に必要なものの一つに変わりない。だけど、その印象がリアルは全く一致しない場合もあるし、声だけ聞いた印象でも直接顔を見ると想像と全然違うタイプだったこともあった。
とはいえ、SlackやTeams、(LINEも含めて)でやりとりをすれば大体の業務的コミュニケーションは取れることもわかった。
相手の受け取り方が分からなくても、読んだか読んでないかはわかるし、リアクション(スタンプ的な何か)がくればなおのことわかるし嬉しい。各々不満はあるかもしれないけど、事を進めようと思えば感情を除いてできるのは助かる。
けど、やっぱりできるなら直接会って話し会う方が楽だし楽しい。
そりゃみんなそう思うだろうけど、人はついつい楽な方を求めてしまう生き物。オンラインの良さに対面の良さは永遠に勝てないと思う。というかそうあってほしい。
イベント準備日の休憩時間に10人くらいで円形になってでダラダラ喋った数時間。自然と輪が形成されながら各々の出身地についてや作品についての考え、多少のDisりも含めてくだらない話が流れていく。別に話さなくて事を進められるいらないような情報だけど、そこで得た小さな共感が人と人との距離感を縮めていった。想定していたことではなかったけど、
あぁ、これだ。この感覚。人と人が繋がるときには共感が必要なんだと感じた。
この共感は「いいね」ボタンよりも何倍も重みがあった。
この時間はいわゆるアイスブレイク的なものだったんだろう。イベント最終日に行ってもチームワークに意味はないかもしれない。だけど、今後数年間の学生生活を続けていく上では必要になったと思う。
形式的に用意されたアイスブレイクはあんまり好きではないけど、自然にできたみんなで作り出した談話会(?)に参加するのは好きだ。
全てを振り返ると、あのウイルスの流行から、全てがより順調に進まなくなった。
喜びも苦しみも退屈さも味わったけれど、
この1年間で、少しだけ自分が機械に近づいた気がした。
それがいいのかは分からない。リモートワークが推進される今、自分が就職する頃にはもっと当たり前になっているのかもしれない。そうなれば、機械的に事をこなせる方が都合がいいだろう。だって労働はこれから先しばらく付き合っていくものだもの。
感情を置いておいてどこまで人間は事をこなすことができるのか。その限界値は人それぞれだけど、私は特に得意ではない人間だと思う。好きでもないことはやれないとかわがままを言いたいわけではなく、やろうと思えばできるけど、心が伴うものと伴わないものでは出来は変わる。見た目は変わらなくても。私は伴わないままこなすことに限界が来るのが早い。その限界に気づくのが遅いから、人を使うことが上手い人に使われれば都合はいいんだけれど。
逆に言えばやりたいことは多少体を潰しても諦めずに永遠とやれる。結果自分を壊しても、多少注意されても懲りずに、後ろを見ずに直進する力だけはある方なんだろうとわかった。この力は環境によっては自分を破壊することになるんだろうな。
1人の時間を愛する術はこの1年間でかなりわかったと思う。
自分の特徴は人と接してわかるものだけど、自分がなぜ嫌に思うのか、楽しいと思うのかを自身に問う時間が増えたから、自分が良くも悪くもわかった気がする。
新年度だってそんなに期待はできない。ワクチンを否定しているわけではなくて、
そんなにころっと日常は変わらないもので、一度変わったものは全て元に戻ることはない。
だけど、リスクを背負う量が少し減る人が増えて欲しい。
自分が何にも力になれてないのに、傲慢だけれども。
何かを手に入れるには何かを失わなければいけないと思う。
失った以上、新しい何かを手に入れられる可能性もある。それがいつになるかは分からないとしても、過去だけをなぞって懐かしく惜しむだけの生活はもうやめにしたい。
いつか笑って次のステージに進むために。