自分って一体何なの?-脱中心化編-
こんにちは。ジェイラボです。
今回は、いよいよ最強の予防型健康法6DメソッドのD1である「脱中心化」についてお話したいと思います。
脱中心化とは、心に「気づき」が生まれることによって現れる意識状態です。
言い換えれば、心がマインドフル(意識的)になり、感情や思考の囚われから脱した状態を指し、脱同一化とも呼ばれます。
この脱中心化は、6Dメソッドの中でも最も重要で根源的な心身への健康アプローチだと感じています。
ところで、マインドフルネスやマインドフルネス瞑想は、初期仏教のヴィパッサナー実践およびヴィパッサナー瞑想を源流としており、仏教から宗教的要素を取り除いたものになります。
【参考】
ヴィパッサナーの意味は
ヴィ:明確に
パッサティ:観察する
最近は、マインドフルネスという言葉もかなり一般的になり、NHKでも特集が組まれるまでになりました。
現在は、医療や教育現場、スポーツ、ビジネス等の各分野でストレス・マネジメントやメンタル・ヘルスへのアプローチとして幅広く応用されていることはご存知だと思います。
この辺りの詳細はこの本がお薦めです。
マインドフルネスの歴史的な変遷から、臨床応用まで幅広く解説しています。
では、そろそろ本題に入っていきたいと思います。
一般的にマインドフルネス瞑想を行えば「注意集中力が向上する」とよく言われますが、これは、集中瞑想(サマーディ瞑想)の効果といった方が適切だと思います。
では、ヴィパッサナー瞑想であるマインドフルネス瞑想を続けると具体的にどのような効果があるのでしょうか?
それは…
自分や他人の思考や感情に囚われにくくなる
突然ですが、皆さん「自分」っていると思っていますよね?
自分という存在は「在る」と考えているか、そもそも「そんなこと自体を考えたこともない」というのが本音だと思います。
私は、この問いを小学校の授業中にふと自問自答して考えたことがありました。
◇ 俺っていう実体が本当に「在る」のか?
◇ 俺って何なんだ? なぜ、ここにいるのか?
みたいな感じだったのを今でも鮮明に覚えています。
これが、私の最初の「気づき」でしたが、すぐに忘れ去られてしまいました…。
それから時は流れ、次に私にはっきりとした「気づき」が生まれたのは、20年以上経過した2014年の東京スカイツリーの中でした。
この辺りのことはどこかで記事にできたらと思います。
話を戻します。
一般的には「自分という存在はいると思う」し、「自分がいるという実感もはっきりある」と考えているのが普通ですね。
これを
「自我」とか「自意識」
といいます。
デカルトの「我思う。故に我あり」が有名ですね。
そして、通常の場合、頭の中で流れている「言語的な思考」や「喜怒哀楽」などの感情は「自分だと思っている」または「自分の一部だ!」と感じている人が殆どだと思います。
要するに、自分と思っている「自我」と「感情や思考」は同一化して一体化(Identification)しており、それが「自分である」と実感している同時に個人の個性を作り上げているわけです。
そして、殆どの人はこの感情と思考に操られて生きています。
というのも、感情には人間を何かにかりたてる衝動的なエネルギーがセットなっているため、感情の種類やその大きさによって、そうせずにはいられない状況に陥ってしまいます。
これを
自動操縦モード
と呼びます。
上の図では、盥のようなものに乗った人が川に流されて、滝から落ちていく様子を示しています。.
この状況は悪感情や悪思考に支配され、操られてしまった結果、悲惨な結果になっている状況を表しています。
なぜ、支配され・操られるかというと、頭の中の思考や感情が自分自身だと感じているからに他なりません。
例えば、毎日のニュースをみていると、いくらでも報道されていますよね。
◆ ついカッとなって生徒を殴ってしまった…
◆ 間が差してワイセツ行為に走ってしまった…
◆ 怒りを抑えきれずに刺してしまった…
◆ 悪いこととは知っていたが金を盗んでしまった…
これらは極端な例ですが、落ち込みや後悔、嫉妬、憎しみ、劣等感、恨み等々、感情によるストレスは、ほぼこの左側の図のような状況になっているわけです。
だからブッダは「煩悩を捨てなさい」と言うわけです。
その元凶は、やはり自分だと思っている自我と感情・思考が同一化して一体化(Identification)してしまっていることに起因します。
つまり、感情や思考と自分が一体化しているため、その衝動から逃れられないわけです。
しかし、ヴィパッサナー瞑想であるマインドフルネス瞑想によって「気づき」を育てる訓練を行っていくと、自分だと感じている「自我」と、「思考・感情」との間に何かスペースができたように感じるようになります。
そうなってくると自分の感情や思考をモニタリングできるようになってきます。
言い換えれば、自分の感情や思考は、勝手に現れて、勝手に消えていく雲のような自然現象と同じだと感じるようになります。
この感覚を、自動操縦モードを脱した状態、
つまり「脱同一化・脱中心化したことを意味します(図の右側)。
英語ではdecenteringといい、この脱中心化という意識状態を心療内科や精神疾患治療に応用しようとする試みがここ15年くらいで進んでおり、第3世代の認知行動療法と呼ばれています。
二大双璧を成す臨床マインドフルネスのプログラムは、次のようなものが代表的です。
・マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)
・マインドフルネス認知療法(MBCT)
話を戻します。
この意識状態を習慣化できるようになると、感情に伴うストレスが激減します。
そして、ここ15年程の脳科学研究では、瞑想によって脳の構造自体が変化することが検証されています。
日常の例を挙げてみます。
誰かに罵倒されて、反射的に「何だコノヤロー、ぶっ殺すぞ!」と反応してしまう人や、
何とか我慢していても腸が煮えくり返っている人などは自動操縦モードの状態にある人です。
それとは逆に「イラっと」したことに気づいて、怒りの感情が大きくなったなー、と観察し、あー、小さくなって、消えたなー!と穏やかに確認・観察できる人が気づきによって自動操縦モードから脱した人の違いになります。
そして、マインドフルネス瞑想を実践すればするほど、怒りなどのネガティブな感情自体が生じにくくなってきます。
なぜかというと、前述したように脳の構造自体が変化するからです。
私の場合、瞑想を始めて5年くらいになりますが、
様々な目に見える効果が実感できています。
例えば
◇ 他者の言動にいちいち傷つかなくなった
◇ お酒を欲しなくなった
◇ 穏やかな性格になった
◇ 衝動的な行動が無くなった
◇ 無駄な性衝動が無くなった
◇ 物事に感情という名の色を(自動的に)塗らなくなった
◇ 仕事上のミスが減った
◇ 集中力が向上した
他にも慈悲の瞑想(Loving-Kindness瞑想)とセットで実践することで、さらに多くの効用に授かることができます。
これらについても他の記事で取り上げたいと思います。
最後に
この記事のテーマである「自分って一体何なの?」
これに対する答えですが…
「まだ解らない…」というのが答えです。
もちろん、文献的・宗教的な答えは知っていますが、
自分の体感としてのはっきりした答えは「まだ解らない」ということです。
ただ、現時点では、マインドフルネス瞑想を続けていると感情や思考に囚われにくくなるため、いわゆる「我が薄くなる」という実感はあります。
この先自分がどうなっていくのか…
ある意味楽しみです!