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色褪せないものと可能性について

ユメじゃないはずよ
報われると信じてる
本当は怖いけど
Cry やいやいやいやい
くやしい気持ちがあるからGet glory day

負けてないやいやいやいやい
輝く先にGLORIA

GLORIA / YUI

夜だった。部屋にあるテレビは見るものではなく、ただ音を流すだけになっていて、それはラジオの役割と同じだった。あの曲を聴くまでは。

都内の1K。今まで住んできた部屋の中で一番狭い部屋。その日はキッチンとリビング兼寝室の部屋へ続くドアを開けっぱなしにしていて、私はキッチンで翌日に会社で食べる昼ご飯を仕込み、弁当箱に詰めていた。リビング兼寝室にあるテレビはつけっぱなしにしていて、そこで流れてきた「ユメじゃないはずよ」の歌詞から始まるGLORIA。久しぶりに聴いた彼女の声。パニックにも似た感覚。キッチンですぐに持っていた包丁をまな板に置いて、狭い部屋の中を小走りでテレビを見に行く。YUIのGLORIAが転職のCMで流れている。私は立ったまま、そのCMをまじまじと見つめた。この曲が最初に知られるようになった学生時代のできごとが、一瞬にしてフラッシュバックした。そして、あのnoteの記事のことも思い出した。

「YUIの歌のおかげで第一志望に合格できました」
と書けたらカッコイイのだけど、
第一志望の大学には落っこちた。

何度だって私を強くする、YUI『GLORIA』。/玄川阿紀

この曲が世の中に出始めた頃、大学受験を迎えていた。そして玄川さん同様に希望の大学に受からなかった。私は後期まで受験を引っ張った人で、クラスメイトの一人、また一人が教室に来なくなっていき、勉強をやめていく後ろ姿を悲しく見送っていった。周りが「合格」という文字を見て桜が咲いている。私だけは学校に来て勉強する日々が続く。辛さと悔しさを振り切るように通学中にいろんな応援ソングを聴いた。このGLORIAもそうだ。どれだけ応援ソングを聴いても私だけは春が来ず、蕾のままだった。自分の未来がどうなっていくのか分からず、怖かった。当時、実家に居りづらく「絶対、家は出る」と決めて地元を離れた大学を志望していた。後期まで勉強していたこともあってか、担任の先生から「偏差値の上がりようがすごい。」とお褒めいただいたりもしたけど、それでも一番行きたい大学には受からなかった。たくさん泣いた。ただBaby 泣いてる時間はないというGLORIAの歌詞のとおり、全ての試験を終えて気がつけば四月はすぐそこ。時間的な意味で自分の未来をどうするのか"すぐ"に選択する必要があった。どうするのかとは受かった大学に行くか、行かないか。行かない場合は浪人。浪人は我が家の経済状況を考えると到底できるはずがなく、私には「受かった大学に行く」という選択肢しかなかった。それも家が嫌という理由で。大嫌いだった父親が娘の皮肉にも聞こえる希望を叶えるために、受かった大学の入学金を現金で母親に手渡ししているのを見て、少し胸が痛んだのを覚えている。こうして私はようやく蕾から桜が咲き、春を迎えて大学生になれた。

玄川さんのこの記事にはYUIの音楽とGLORIAが彼女にとってどれだけ大切な曲なのかが溢れんばかりの愛で綴られている。彼女の文章から出てくるまっすぐな言葉の数々は、彼女が自分自身と戦っているからこそ、生まれてくるものなのだろう。時には戦いに敗れたり、戦いに明け暮れたり、勝利だったり。戦いを重ねていく上で「自分」という存在がどういうもので、どうありたいのかということが、自分語りをしながらも丁寧に力強く表されていて、そんな彼女の姿が私には眩しく見える。それと同時に記事の内容を読んでいて「頑張れ!」とエールを送りたくなることもしばしば。同年代ということもあるせいなのか、自分とは別の人生を歩いているはずなのに共感するシーンが多い。不思議だ。でも、その不思議さがなぜか心地良い。これが、私の彼女の文章を読み続ける理由なのだろう。

これから先の人生も、
幾度となく困難にぶつかるんだろうと思う。
「無理」「逃げたい」「もうやめたい」って、
誰にも見えないところで弱音を吐くんだろう。
でも、でも、でも、やっぱり諦めたくない。
負けず嫌いな私は、何回壁にぶつかったって、

もう一度頑張ろうとするはずだ。
もう一度、自分を奮い立たせるために。
何度だって、自分を奮い立たせるために。
私は『GLORIA』を聴く。

これが私の人生のテーマソング、YUI『GLORIA』。

何度だって私を強くする、YUI『GLORIA』。/玄川阿紀

私の話に戻ろう。今年の春で気づけば社会人人生をめでたくも10年近くを迎える。この曲をCMに起用した株式会社アサインは二十代、三十代のハイエンド転職サービスに特化した企業だ。私自身、三十代の転職経験者で現在、働いている会社は三社目。二十代半ばの時に最初の転職を経験して、社会の厳しさ、人間関係の複雑さ、その他にも様々なシーンを目の当たりにしてきた。見てきたものをだけを忠実に脳は考え、その度に「このままでいいのか、Yes or Noで答えよ。」と自分に問う。「No」と感じることが多くなると、転職の二文字が頭の中をチラついた。転職するきっかけはキャリアの方向転換、ライフスタイルの変化、給与への不満など必ず理由が付きものだけれど、どれも「何かを変えたい」という気持ちから始まる気がする。転職は変えたいものを変えるチャンス。私はそんな風に思っている。

私の最初の転職理由は「会社を変えたい。」という強い気持ちとあれだけ嫌だった地元へ戻るためだった。(新卒の時に務めた会社をなぜ辞めたかについてはここに書いている。)家が嫌だという理由で自分から地元と家を離れたくせに、新卒で入社した会社を辞めて実家に戻ってきた。入学金を出してくれた父親は亡くなって、しばらく母親と二人で暮らしを始めた。安心する環境ではあったけれど、あの頃は色々とあって地元でもあるはずなのに暮らしていくのがしんどかった。当時付き合っていた恋人と別れたし(アラサーの失恋はダメージが大きかった。)何人かの友人との関係はいつ私が我慢の限界を迎えるか分からず、破綻寸前の状況だった。「環境を変えたい。」という気持ちから二度目の転職を決意し、活動を開始した。働きながらの転職は体力とメンタルの両方をえぐられる。時間を削っていくつかの転職サイトに登録したり、アドバイザーとの面談や履歴書の作成、Web面接など限られた時間の中でやることが多岐に渡る。もちろん仕事中は出来ないので昼休みや休日、退社後に家に帰ってからやることがほとんどだった。「不採用」の文字をスマホの画面から映し出されると良い気分にはならない。新卒のときも転職するときもこの気分だけは同じだ。これまで自分がやってきたことを否定されているようで、心のショックは大きく、理解しようとするのが容易ではなかった。それでも「自分のために変わりたい。」という気持ちを諦めなかった。いつか報われると根拠もないのに信じていた。それが結果として「自分を信じる」ということに繋がった気がする。その後、ご縁があって私は転職先が決まり、また家を出た。ムーミンに登場するスナフキンのように生活拠点を様々なところに移してきたが、相変わらず親は私の希望を尊重してくれ、優しく私を見守ってくれている。大人になってからようやく気づけたことが一つ。それは寛大な心を持つ両親への感謝だ。

もっとできると思うなら
自分の可能性にかけてみても
いいんじゃないか

アサインのCMより

二度目の転職活動時のことを話そう。転職サイトで様々な求人を確認していると新卒の時に憧れたけれど、入れなかった会社を見つけた。(確か新卒の時は二次面接で落とされた。)私はそれまで働いてきた職場での経験もあってか「いけるかもしれない。」と少しの期待と自分の可能性を信じ、その会社の求人ページにある「応募する」と書かれたボタンをクリックした。縁というのはおかしなもので、私は現在、新卒で入社できなかったその会社に中途採用者として入社ができ、東京で暮らしている。受験も就活も失敗した。でも、三度目の正直というのはあるみたいだ。

自分の人生だからこそ、不器用ながらも自分に貪欲に、真っ直ぐに生きたい。私はきっとこれからも自分が納得できることしか選ばない。転職もその一つ。それがたとえ周りからはわがままだと言われたりしても、責任は全て私が取る。「家を出る」と決めたあの18の時から、ずっと自分で自分の人生をどうしていくかを切り開いてきた。社会という荒波を受けながらも、会社で働くようになってから転職が何気に自分の人生の分岐点になっていると気づかされたのは、あのCMを見たせいだからということにしておきたい。

人生が変わる?
転職でもしないと変わらないよ。
私がやってきた全てのこと。
All my love


GLORIA
それはラテン語で「栄光」を意味する。あの曲が使われたアサインのCMのタイトルは「夜明け。」今、暗闇の中をもがいて、がむしゃらに走っているあなたへ。どうか自分自身の可能性を信じてほしい。信じた先にあるものが光り輝き、栄えあるものになりますように。私は今日もパソコンの画面越しから祈っている。


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