韓国でナイトショッピングをするなら東大門。韓国に旅行する女の子たちはこの言葉をよく知っていると思う。東大門には小売と卸売りが健在する洋服屋と靴屋のビルが多く立ち並び、10年以上も昔、Dootaのビル、ミリオレ東大門、ハローapMは小売がメインで朝5時とかまで空いていた。小売なので誰でも買える。卸売をしているU:US(当時の名前ユオス、現在の名前はDDPファッションモール)のビルは怖くて立ち寄れない雰囲気があった。なんせ卸売専門のビルと聞いていたので一般消費者である私が立ち入る
8/22 5年ぶりにお隣の国、韓国へ。地元から韓国まで直行便が出ているので実家に帰省してからそのまま出国した。実家から空港まで結構距離があり、当日は交通機関を利用して空港まで行く予定だった。けれど、前日に母親が「連れていってあげる。」と仕事の前に空港まで送迎してくれることになった。本当にありがたかった。ゲートを通る寸前まで母と娘であれこれ話す時間をあと何回作れるだろうか。そう思えるようになったのはこの年齢になってようやくだ。 フィルムカメラを持参していてネガをX線にかけてし
11連休スタート。羽田から地元に帰る予定だったフライトが台風のせいで2回も振り替えた。こんなこと初めてだ。16日の朝のフライトに搭乗できたが、羽田から私の地元へのフライトは私が乗った後は全部欠航に。滑り込みセーフ。地元はカッと照りつける太陽のせいで日差しがきつく晴れで東京の天気が同じ日本とは思えないくらいだった。 「娘さんは強運やなぁ。」仕事を早めに切り上げてくれ空港に迎えにきた母親が同僚の方から言われた言葉らしい。「無事に帰って来れてよかった。」と車の中で話しながら、新し
金曜日から実家に帰る。今回は16日から26日まで休みを取った。有給と夏休みをくっつけてもぎ取った休み。「もぎとる」という表現がぴったりすぎるくらいに長い休み。多分入社して一番長い休みだ。この期間で東京→実家→海外→東京という具合で計画を立てている。休みまで後少し。でも、休みが終わったら私は一体どうなるんだろう。 「あと少しで休みだから。」しんどいこと、辛いこと、嫌なことにぶつかったときに何回もこのおまじないを心の中で唱えながら耐えてきた。特に7月は最悪だった。いつもより一ヶ
春ごろに不正出血があり信頼している産婦人科に駆け込む。 生理以外で自分の身体から排出される血を見ると考えもしないでいいことをあれこれ考えて心の負担になる。検査をしたところ子宮内膜ポリープと判断された。「妊娠は望んでいる?」とはっきり女性の院長先生に言われて「望んでいますが、まだ結婚していないので。」と答えるのが少し辛かった。 暑くなり出した頃、ポリープは2個から1個に減っていた。結婚していないということが良いのか悪いのかこの時ばかりは判断がつかなかったけれど経過観察になって
夏の旅行の予定が決まった。5年ぶりの国際線。航空券を買うのに30分もかかった。何度も日付を確認して決済完了。予約確認のメールが来たのが深夜1時過ぎ。翌日の朝は千葉まで海鮮を食べにいくという予定があるため早起きをしなければいけないのにチケットを取るまでこの旅行で現地集合を予定している友人とGoogle Meetを使いながらダラダラと話し込み、ホテルをとったら余裕で会話時間が1時間を超えていた。この友人と一緒に海外に行くのは何度目だろう。いつもお互いに旅行やフェスなどのイベントに
「やりたいことがあるのなら、やった方がいいよ。」 会社の先輩である佐藤さん(仮名、女性)に言われたのは去年の年末の寒い冬の夜だった。その日は私か佐藤さんのどちらかが夜勤でどちらかは遅番のシフトだったがどっちがどっちだったのかは記憶が定かでない。その時、私たち二人しかいないオフィスのフロアで私と佐藤さんは(言い訳に聞こえるかもしれないが)このまま今の仕事を続けていると結婚や恋愛をしたいという気持ちがどんどん下がりそうだという話をした。去年の12月のnoteにも綴っているように、
髪をバッサリ切った四月の上旬。胸下まであった長い髪は信頼している美容師さんの手によって肩までの長さになった。肩まで切ろうと決めた時の意思は固かった。 切った理由はいくつかあった。残念ながら(?)失恋ではない。厄払い、心機一転、イメージチェンジ。簡単に言えばこんなところである。今月末に大学時代にお世話になった先輩の結婚式が京都である。10年ぶりに会う人もいて、今から若干緊張気味。その人たちに会ったときの当時の私はスーパーロングヘアでその長さはお腹のへその近くまであった。今度会
腹が立つ。 怒りという感情が今の私にはある。なぜ怒っているのか、理由は二つある。 1、女の価値は「若さ」だと言われたこと。 この間、学生時代の友人と会った。名前を友人Aということにしておく。A本人もスペックが高いというか、簡単にいうとお金を稼いでいる職業に就いていて、2、3年前に結婚しお相手の方もそれなりにステータスがある方である。俗世間的にパワーカップルというやつだ。そんな彼女とお茶をしていると「結婚」の話題が出てきた。私は独身で、特に目立った婚活ということもしておらず、
夜だった。部屋にあるテレビは見るものではなく、ただ音を流すだけになっていて、それはラジオの役割と同じだった。あの曲を聴くまでは。 都内の1K。今まで住んできた部屋の中で一番狭い部屋。その日はキッチンとリビング兼寝室の部屋へ続くドアを開けっぱなしにしていて、私はキッチンで翌日に会社で食べる昼ご飯を仕込み、弁当箱に詰めていた。リビング兼寝室にあるテレビはつけっぱなしにしていて、そこで流れてきた「ユメじゃないはずよ」の歌詞から始まるGLORIA。久しぶりに聴いた彼女の声。パニック
30歳を超えてからというものの毎年、年明けの1月から3月末ごろまで私は弱る。具体的にどう弱るかというと、急に襲ってくるどうしようもない不安、仕事と自分に対しての後ろ向きな言動と思考。そして何もかもに自信がなくなる。本当にこれでいいのか。どうしたらいいのか。簡単に言えばメンタル不調である。これが一日ならいい。それがほぼ毎日伴う。会社に出社して平気な顔で仕事をこなしても、家に帰るとなだれ込むように倒れるし、休日は一歩も家から出ない。(食事はウーバーしまくる。)それよりも周りの人に
あけましておめでとうございます。 2024年になって早、10日が経ちました。時の流れはいつだってジェットスピード。自分の時間は有限であることと「自分がどうありたいのか。」「どんな風に生きていきたいのか。」をあれこれと考えさせられます。今年は仕事はほどほどにして、自分の生活を大事にすること。いつか死ぬ時に「あれ、やっときゃ良かったな。」という気持ちを少しでも減らせるような一年にしたいということを書かせていただき、これを読んでくださっている皆様のご多幸をお祈り申し上げまして、ま
12月30日 2023年の振り返り 今年は社会人になって一番働いた年だった気がする。noteの記事でも書いたように部署の中で一人しか選ばれないプロジェクトに選ばれたり、他にも違うプロジェクトをいくつも抱えた。結果がでないこともあったけどそれも受け入れながら、自分で自分を納得させながら前に進んだ一年だった気がする。もちろん、うまくいくことばかりでもなかった。昇格試験に落ちた。流石に悔しくてこれは泣いたし、落ち込んだ。そしてこの年末にまさかの体調不良。なんとか持ち堪えて仕事納め
どうして時間はこんなにも早くすぎるんだろう。12月になるまであと30分を切った。毎月noteを一回は更新すると決めているのにいつも月末に更新していて計画性のなさが目に見えてわかるのが辛い。 明日は12月1日。 会社で今年最後のプレゼン発表がある。練習をしていたらこんな時間になってしまい、今、電車で帰宅中。夜6時台のこの電車は人で溢れているのに、日付が変わろうとしているこの時間の私の車両には数える程度の人しかいない。朝から夜中まで働いて電車にのっていると何とも言えない気持ちに
10月が終わる。今月もあっという間だったな。20代後半から1年が秒で過ぎていく感覚にずっと驚かされている。10月はさほど仕事は忙しくなかったけどれど脳と感情をたくさん使いすぎて若干鬱っぽくなった。「なんでこんな仕事してんだろう。」とネガティブに捉えることや、物事への受け入れ方が難しくなっていた。それでも後輩は私に相談してくる。精神的に疲れて駆け込み寺としている家の近所のバーに仕事終わりに立ち寄る。ここのマスターは何も言わなくても察して「痩せた?というより顔色が悪い。」と一言。
9月27日 関西にいるあの子の誕生日。ハッピーバースデートゥーユー。東京から愛を込めて。そして素晴らしい一年を。また、関西か東京で会おうねとLINEを入れると関西弁で「ありがとうな♡今日朝寝坊して会社遅刻しました。爆笑」と彼女らしい返事が返ってきた。その一言で彼女が元気にやっていることが分かる。元気で、優しくて、ドジな部分があってもあなたはあなた。いつまでもその笑顔を忘れないで。 その彼女をとおして最近出来た新しい友人とサン・ローラン展を見に行った。出会って二回目。三週間ぶ