見出し画像

その借金を払い続けることは、幸せなのか。

 僕は介護福祉士である。介護福祉士の資格を取得するために、介護福祉士養成校(短大)を卒業している。学生は、実際の施設に実習に行かなければならない。今回の記事ではその時に出会ったAさんの事例について話そうと思う。よければこの記事を読みながら、自分ならどう思うか考えていただければ幸いです。

・事例

 実習先は特別養護老人ホームだった。僕が実習を行っているフロアは認知症でも重度の方が多いフロアだ。そのなかで女性利用者のAさんは典型的なアルツハイマー型認知症の症状があり、妄想や物忘れの症状が顕著であるが身体面の症状はない。昼間は、いつもせわしなく歩き回っている。

実習が始まって10日目、Aさんが僕に話しかけてきてくれた。

Aさん「何か仕事はありゃしませんか?」

僕「今はなにも…ありませんね」

利用者と一緒に施設内の簡単な雑務をすることはよくあるが、一緒にできることは限られている。

Aさん「そうか。困ったなぁ」

僕「仕事がないと、困るんですか?」

Aさん「そうよ。借金を支払っていかなならんのよ」

ここまで聞いた所で、施設職員のBさんが間に入った。

Bさん「Aさん、借金なんてないんですから大丈夫ですよ」

Aさん「恥ずかしい話やけど、弟がでかい借金こさえてな。その借金があるから働かなあかんのよ」

Bさん「弟さんの借金なんてもうないでしょ。こんな歳になってまで、あくせく働かなくてもいいじゃないですか」

一瞬、Aさんの顔に陰りが見えたような気がした。

施設職員のCさんも話に入る。

Cさん「Aさんは弟さんのために仕事がしたいんですね」

Aさん「しなしゃーない、ちゅうところや。何でも言うて。お願いやから」

そう話すと、またフロアをぐるぐると歩き始めたのだった。

Aさんが行ったあと、施設職員のCさんがBさんに意見をした。

Cさん「あんまりAさんに“借金はもうない”なんて言わない方がいいんじゃない?」

Bさん「私は言った方がいいと思うけど。“借金を返さないと”って思いながら毎日生活するのは辛いじゃない。ここは、Aさんの家なのよ」

Cさん「アルツハイマーも進行していて、昔の記憶を頼るとどうしても借金を返している記憶になる。“借金なんてない”って繰り返すことで今の状況がさらにわからなくなって、不安になることもあると思うんだけど」

BさんとCさんの意見は対立し始めた。

Bさん・Cさん「……ねぇ、学生さんはどう思う!?」

――こんなタイミングで話を振られるのか!? ということは置いておき、業務も落ち着いたので3人で意見交換をすることになった。


・プチカンファレンス

 僕は借金に対してポジティブな印象を持つことはない。過去に母親の借金をかなり無理をして返済をしたことがあったためだ。「お金を返さないと」という気持ちはその人のQOL(生活の質)に直結する感覚であると思っている。

 以下、それぞれの意見をまとめる。

画像1

弟の借金を返さなければいけない。そのために働きたい。

画像2

弟さんの借金の返済なんてもうない。それなのに借金という気持ちに縛られているのは辛いと思う。繰り返しでも借金がないことを伝えていくべき。認知症だから新しいことを全て覚えられないわけではないし、大切なのはこの特別養護老人ホームをAさんの安心できる家にすること。

利用者Aさん (3)

Aさんは昔の記憶を頼りに生活している。不穏状態も続くなか、今“借金がない”ことや“弟さんがすでに他界している現実”、“ここにずっと住むこと”を伝えて混乱させるべきではない。Aさんが「働きたい」という気持ちに寄り添い、支援するべき。Aさんに頼める仕事を増やしていく方がいいのでは。

画像4

借金にはネガティブなイメージがあり、個人的には「借金がない」ということで安心できる方がいいと思う。ただ、Aさんは施設でエプロンやおしぼりを畳んで仕事をしている時は笑顔なことが多いけれど、仕事をしていない時は不安そうな顔をしていることが気になる。

 色々な意見を出しながら、それぞれの意見を受け止めていく。最初はBさんとCさんがバチバチにやり合うのではないかと心配したが、そんなことはもちろんなかったので安心した。僕がプチカンファレンスのなかで感じたのは、BさんもCさんもAさんのことを大切に考えているということだった。

話し合いの中でも新しい意見も出てくる。

Bさん「Aさんは仕事に縛られていてレクリエーションや余暇活動にも参加することも少ない。それは仕事に縛られているからじゃない?」

Cさん「時代的にずっと働いてきた人。今さらそれをやめろと、今の時代に合わせようとすることがエゴじゃない?」

僕(どんどん複雑な話になってきたぞい……)

Bさん・Cさん「学生さんはAさんの支援について、どう思う?」

その時、ふっと自分のなかで違和感が生まれた。

Aさんの幸せについて考えているはずなのに、なんでこの会話にAさんがいないんだろう。

僕「Aさんに聞いてみる方がいいんじゃないですか? 話に入ってもらうとか」

BさんもCさんも驚いたような表情をする。今は少しずつ支援のあり方も変わってきているが、当時認知症の人自身に、自分で今後について考えてみてくださいなんて言う機会も、そうそうない時代だった。介護者は被介護者のために気持ちを察して答えを用意するという考え方が多かったのだ。

Bさん「言われてみたらそうね。聞いてみた方がよりAさんの気持ちに近付けるし、参考になるわ」

Cさん「ちょっと呼んでくるわね」

職員さんは話が早いし、たかが学生の意見をすんなり受け入れてくれた。

Aさんはこちらに来ると、「なんや、仕事か?」とまた仕事の話をしはじめた。

Bさん「少し聞きたいんですけど、Aさんは弟さんのために今も働いて、辛くないんですか?」

Aさんは少し黙り、考えている。

Aさん「そうやね。辛くはないわ。弟は体が弱くてな、大人になってからも苦労しとったんや。そんな子にひとりで大変な思いさせられん。私が助けたらなあかんし、それがお姉の義務や。弟のために私が役立てるなら、それが私の幸せなのかもしれん」

Cさん「……そうですか。そのような気持ちだったんですね。今日はもう夜になるし、仕事は終わりなので、また明日一緒に働きましょう」

Aさん「そうか。ほなまた明日頼むわな」

Aさんはそう話すと、フロアをぐるぐると歩き回らず、すっと自室に戻った。そこには、不安そうな表情はなかった。

Bさん・Cさん「……どう思う?」

僕「なんとなくですが、Aさんのなかに借金があってもいいと思いました。Aさんが辛そうにしているのならBさんの言うように繰り返し伝える支援方法をしていくこともいいと思ったんですが……」

Bさん「そうだよね。借金というか、仕事を続けることがAさんにとっていいのかもしれない。今後も観察していくけど、本人に聞いて良かったと思った」

Cさん「うん。やっぱり介護をしていると、自分の主観が強く出てどうしても考えが偏っちゃうからこうやってみんなの意見を聞くことで視野が広がるんやな」

僕「学生にも意見を話す機会をくれてありがとうございます」


・学び

 三者三様の意見があって、Aさんの意見もある。そのどれも間違ってはいないし、完璧な正解もない。確かなことは様々な意見を擦り合わせて、考え続けていくことが介護には必要だということ。そのことを実体験で学んだきっかけが、この出来事でした。

この事例では、Aさんが自ら話すことができる人だったけれど

もし、Aさんが意思表示できない人だったら…
もし、寝たきりの人だったら…
もし、Aさんの言葉が真実じゃなかったら…

またそれぞれの意見が変わったのだろうと思います。

色眼鏡をかけず、自分の価値観だけでなく、様々な視点でものごとを捉えていくことが介護には必要不可欠でした。そして今は、その視点は介護の仕事以外でも必要なことだと知ることができています。

学生の意見なんかでも真摯に聞いてくれる施設職員さんはプロの介護者でした。そんな職員さんのようになりたいと胸を打たれたのも、今ではいい思い出です。


・おまけ

 さて、なぜこんなに詳細な記録があるのでしょうか。それは、このプチカンファレンスが終わったあとに、そばで見ていたフロアリーダーが

「いい記録になりそうだから議事録作っといて。蜂賀さんは実習記録に事例・考察を書いて提出してね」

と言われたからです。BさんとCさんは仕事が増えたことでぷりぷりと怒っていましたが、笑顔でした。いい施設だったなぁと今でも思い出します。

それと、最後に注意点です。

画像5

こちらを置かせていただき、記事を終わりにしたいと思います。

長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。

介護の仕事って、面白いんですよ。


#あの会話をきっかけに



いただいたサポートは運営メディア「Web Novel Labo」の運営費用として使用させていただきます。noteでの活動含め、クリエイターのためになる行動を継続していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。