東海道を歩く 1(写真と短動画日記)
6〇(0ではない)才の誕生日を機に、突然 東海道を歩くことを思いついた
仕事と抱えていたお役目が一段落したのと、ほぼ自身の健康目的を兼ねていて、(仕事の息抜きゆえに)きちんと撮影する気なんぞなかったが、多少の励みと記録のためにミニ動画も交えて記録を綴ってみよう
note にYoutubeリンクなどの埋め込みは出来るのは分かっていたが、写真に取り混ぜて直接動画を載せるにはどうするのか?などの実験を兼ねている
このシリーズが続けばその辺りの技術的なことも何となく分かってくるだろう… これが裏の目的?(笑)
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ずっと以前に奥の細道と称して、自転車で日本を半周したりしていたが(といってもたまの休日利用で2年がかりだが)今回はトシに相応しく、とにかく歩く
荷物も最低限の着替えのみで、初日の撮影機材もOSUMO POCKET(2でない旧タイプ)とiPhoneのみだ
とにかくあまり深い考えはなくて、とりあえず「箱根駅伝の1区間ぐらいなら歩けるだろう…」の感覚で 各20km少々の区間なら大丈夫だろう?、果たしてどのくらい時間がかかるか?消耗するか?…まずは自分以外には迷惑のかからない人体実験である
東海道の起点といえば日本橋であるが、どうせここ(本所の仕事場)から出かけるのあるから、その日本橋までの4㎞あまりも歩いてみることにした
NAVI TIMEによると目標の鶴見までの行程は27㎞、徒歩で6時間8分と表示されている
かくてまずは下総、武蔵 国境の両国橋を渡る
本所を出発して15分ほどで両国橋を渡って浅草橋交差点で江戸通りに左折、馬喰町の繊維街を歩く、エトワール海斗、紳士服のサカゼン…かつて通った街だ
馬喰町を抜け江戸通りをさらに15分ほど歩くと中央通りとの交差点 ここを左折すれば日本橋はもうすぐだ
北詰にある道路元票を撮影、これからの旅を思うと思わず手をあわせてしまう いきなり十秒ほどお参りして振り返ると通行人の視線を感じる…
いよいよ日本橋を渡る 安藤広重の東海道五十三次のシリーズ 日本橋に倣い撮影した動画から切り取ってみた
日本橋から銀座通りに入る 土曜午後で歩行者天国の銀座は、コロナ禍も落ち着いてだいぶ賑わいが戻りつつある 写真を撮ったりするときマスクを外したりする光景も見られるようになった
銀座通り=中央通りは新橋からそのまま第一京浜となる 日本橋からここまでは、歩行者天国のため車道の真ん中を飛ばしてきたが、ここで歩道に戻らねばならない
信号待ちも始まって、道のどちら側を歩くか?(=信号や迂回が少ないか?距離が少しでも短いか?空いているか?…等々)いろいろ邪念が入ってくる
新橋から浜松町~田町くらいまでは、以前より通いなれた街
東京下町育ちの筆者ではその辺りまでは地図もいらない感じで、距離感も自然に分かるが、その先はちょっとよその街みたいな緊張感?
ちょうどこの辺りに旧江戸府内の境となる 高輪大木戸跡が…
都営浅草線の泉岳寺駅が近いが、第一京浜をはさんで2020年3月にJR線の新駅 高輪ゲートウェイが開業した
(筆者も新駅見物に一度行ったきりでまだ仕事で利用したことはない)
新駅側はまだ再開発の真っ最中
さらに進むと品川駅が見えてきた ここで初めて歩道橋を渡らされる 写真を撮りに来た場合などはアングルの変化を求めて、率先して高いところに上ったりしてきたのだが、長い距離を歩く場合ちょっとした階段も非常に億劫になってくるのが分かる
品川駅を過ぎると地名的には「北品川」となるが、ここでJR線と国道が交差、箱根駅伝でも有名な八山橋だ
広重の五十三次でも、日本橋からの二枚目としてこちらの風景が描かれているが、現代の八山橋は車の往来を横に、JR線の大ガードを渡る
八山橋を過ぎるとすぐに京急北品川の駅 土曜の昼下がりで、道沿いの品川女学院の生徒たちが大勢出てきた😅 …写真は撮っていない
しばらく行くと 品川神社 東京十社のひとつで、東海七福神の一社ということだが、DIGITABLEのツアーガイド伊東先生によれば、江戸六地蔵の一つとのこと 京都の六地蔵に倣って、江戸の出入口6箇所に造立・設置されたそうで、この東海道のほかに奥州街道(東浅草)、甲州街道(新宿)、中山道(巣鴨)、水戸街道(江東区白川)、千葉街道(江東区富岡)だそうだが、千葉街道のは廃仏毀釈で廃棄されしまったとのこと
京急品川から4つ目の駅、鮫洲駅 鮫洲といえば筆者には運転試験場
はるか高校時代、(授業を抜け出して?)原付や自動二輪の試験でなんども通った… あの頃はまだこんな高架の駅ではなく、駅前に代書屋や免許用の写真撮影など店が並んで呼び込みもしていたような
はるか半世紀前のアナログにっぽんの時代である
「日本橋10キロ」の表示があり、ここまで日本橋からちょうど一時間、時速5キロでだいぶ汗ばみながらも順調である
しばらく進むと 鈴ヶ森刑場跡の史標が
鈴ヶ森刑場は、東京都品川区南大井にかつて存在した刑場。江戸時代には、江戸の北の入口沿いに設置されていた小塚原刑場とともに、南の入口沿いに設置されていた刑場であった。 ウィキペディア
八百屋お七 もここで処刑されたそうな
けっこう長かった品川区もようやく抜けて、平和島入口まで来た
平和島は、東京都大田区にある人工島であり、同区の町名である。現行行政地名は平和島一丁目から平和島六丁目。埋立地名は京浜第2区埋立地。ただし、現在では陸続きになっている… ウィキペディア
だそうだ
土地勘がなくなってきたので、ウィキの引用が多くなる(笑)
ここは学生時代に後学のため?オートレースに来た記憶が…
そういえば(もう通り過ぎちゃったけれど)立会川で大井競馬にも行ったことある気がする
なんとなくそんなイメージが色濃い、京急(この辺りの)沿線
品川区に続いて大田区も長い、そしてめぼしい目標物もない、歩いている人も少ない …そんな思いでやっと蒲田駅が見えてきた
大森あたりから第一京浜の国道側は駅もなにも書いてなくて、一つ手前の梅屋敷駅が蒲田かとおもってぬか喜びしたぐらい
気を取り直して歩いて遠くに見えてきた駅から左側に電車が分かれていくのが見えて、「ああ羽田線だ!こんどこそ蒲田で間違いない」と喜ぶ
だいたい15キロを過ぎた辺りから、スマホで地点を確認することもなくなり、あれこれ感情の余裕もなく、ひたすら行軍本能にのみ従う自分を自覚する
蒲田駅自販機で冷たいお茶で一服 でも一口で気はおさまり、結局しばらく頭に当てて冷やした後、半分も飲まずに捨ててしまった
こういう状態になると自分の本能が目覚めてくるのだな…
シンプルな頭で歩くうち県境の六郷橋が見えてきた
正直、体調次第で蒲田で打ち切りも考えの中にはあったが、ここまで来ればもう敗退はないぜ!
とは言え、梅雨末期の雲行きは怪しい
それにこの六郷橋、どこから登るの?!
開けた橋の上では多少の高揚感も感じたが、川崎市内に降りてくるともうあとは目標もないし、距離感も分からない
カメラを引っ張り出すのも面倒になってきたが…
ご批判覚悟で、やはり人間極限が近づくと(=オーバー)本能が大事なんだな というのがよく分かった
ということで次の目標を考える
やはり「次に何をやろう(見よう)」という、「次」を感がないとだめだな
あとは箱根の第一中継所、そして鶴見川、駅に着くまでによい銭湯を探すことかな?
箱根の第一中継所は興味があったが(地味だったが)、鶴見川や鶴見市内は
申し訳ないことにあまり興味もなかった
今日の旅は、はじめはよく知っている地域から、どんどんよく知らない地域へ…
それはよいのだが、特にサバイバル的な色が濃いこのような行程では、加速度的にしんどくなるゴール地点に向かって興味が増すよう、あらかじめ思い入れを仕込んでおくのがカギだな
まぁ 5時間もひたすら歩いているので、日ごろ考えつかない哲学?も見えてくる
そんなこんなで、ようやく鶴見駅に到着✌
正直予想以上に脚も疲れて、もう一歩も歩きたくない心境だが、このドロドロ汗まみれの状態で夕方の電車に乗り込むのも気が引ける
飲みたいし、でもこの状態では…
けっきょく途中では見つからなかった銭湯を駅前で調べなおすと鶴見川を再び渡った先の方に… 1キロぐらいあるかもしれない
…でも 行きました!(鬼)
そのまえに駅前で相性のよさそうな居酒屋を見つけたので、「サッパリしてからここで飲みたい!」というのもモチベーションになりました
PS:実際には最初に別な銭湯に行ったんだけれど休みでまた戻ったりして、結局30キロ以上は歩いたんだよな… おまけにすごい夕立もあって…
美酒の前に奮い立つ本能は素晴らしい(アル中) 2020年6月18日 旅了
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