【こどものような純粋さと、老人のような狡猾さ】善い哲学者と善いキャリアは同じ
こんにちは。
哲学講義で判断基準の土台を作り、
コーチングで自分自身の判断基準を整理し、
転職活動支援で理想のキャリアを実現すること
をゴールとするキャリア哲学スクールを運営している竹内達郎と申します。
皆さん理想のなりたい姿ってありますか?
年収1億!
大好きな人と結婚する
孫正義のようになる
いろいろあるかもしれませんが、
明確に答えられる人は少ないかもしれません。
僕も明確に答えることは難しいなと感じていたのですが、
18歳の時に受けた大学の講義でそれが明らかになりました。
その時、荻野先生という古代哲学史という授業を受けており、
そこで荻野先生が
「善い哲学者とは?」
というお話しをされました。
そこで荻野先生が
「善い哲学者とは、【こどものような純粋さと、老人のような狡猾さ】を兼ね備えた存在」
とおっしゃっていました。
もう僕これ聞いた時とんでもない衝撃でした。
本当にそのとおりだな、と。
上記の荻野先生の言葉を僕なりに解釈すると以下です。
こどものような純粋さ
こどものように、何事にも好奇心をもって探求する
老人のような狡猾さ
老人のように、理性をもって懐疑する
このこどものような好奇心と老人のような理性と懐疑心の両立こそ、
善い哲学者なのかと自分では解釈しています。
そして、この善い哲学者の定義は、
そのまま善いキャリアを実現している人
だと思っています。
僕は、善いキャリアとは以下だと定義しています。
普遍的な「徳」を有して、自分の特性を発揮し、他者に貢献することを通して自己に満足している状態
この状態になるためには、
まさしく【こどものような純粋さと、老人のような狡猾さ】が必要だと思っています。
好奇心と懐疑心があるからこそ、自分の特性を発揮して他者に貢献できると僕は信じています。
皆さんも「どう生きるか」迷っている方がいれば、
是非とも【こどものような純粋さと、老人のような狡猾さ】を意識してみて欲しいです。
そして一緒に哲学を勉強しましょう!