とかくこの世は住みにくい…女らしさから考えること
女らしさ。
あらためて考えると何だろう、女性として生きているのによくわからないし、一言で表現することが難しい言葉だ。
それは容姿淡麗を指す言葉かもしれないし、ファッションセンスがいいことだったりする。また、細やかな気遣いということもあるし、家事や育児ができることかもしれない。
最近、「女らしさ」に関する2つの記事を目にした。
1つは「脱コル」。女性を美という社会的な抑圧から解放されるべきだという運動だそうだ。化粧や服装、脱毛のあたりの記事が多く、この場合は「女らしさ」とは外見を指していると理解していた。
2つ目は産後うつが増えているという記事。産後うつは女性は家事、育児をする、できるのは当たり前という「女らしさ」から生じているものではないだろうか。しかも無意識にそう思っていることが多いのではないだろうか。
何か「女らしさ」って息苦しい。日本は先進国の中でも男女平等ではない国なのだ。
「とかくこの世は住みにくい」
ふとこのフレーズが頭に浮かんだ。
夏目漱石 草枕だ。序文にはこう書いてある。
『山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくこの世は住みにくい。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の世を豊かにするが故に尊とい。』
先人の知恵は素晴らしい。いつの時代も生きることは大変なのだ。しかし、その中でも自分から生きやすくするために考えていけば良いと書いてある。
この続き、ぜひ読みたいと思った。