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バイアスで成り立つ社会。

今日こんなニュースが飛び込んできた。

この件でのツイートを見ていると、昔からこうした事件は少なからずあることはあったという意見が多かった。
今回はその直後に亡くなられたことと、不同意性交罪が制定されたことから、こうして公になったのだと感じる。

しかし何故老人ホームは部屋は違えど同じフロアに男女が共になるのだろうか。
高齢者だからと、下に見ているからなんだろうか。
あともう一つ気になったのは、
認知症という病名が、犯罪を犯さないという免罪符にはならないと分かるはずなのに、何故それを今まで見て見ぬ振りをしてきたのだろうか。

そうした背景に、私は医療や福祉だからこそ持つ世界があると考える。

簡単に言えば、産婦人科の医師が男性だとしても、それに対して異議を唱える人はそうそういない。女医を選択すればいいだけ。
そんな中で何かしらがあったとしても、証拠がなければ消えてしまう。
けどそれはそうした現状に甘んじているだけで、それはまずいよね?という人間がいなかったか、もしくは、医療福祉従事者は聖職者的な立ち位置であった為ではなかろうか。
つまりバイアスがあったということ。

で、高齢者は性行為をしない、というバイアスだったり、福祉職は施設内で完璧に対応できるだろう、というバイアスでもあると思うし、
あとは、認知症というバイアスだ。

正直言って、認知症に対しての正確なエビデンスと結果があるわけではなく、100人居たら100通りの進行があるし、そこに精神疾病などが絡めばさらに複雑になる。
なので、私は自分が介護従事していた際に1番気をつけていた事は、バイアスを絶対につけないということ。つまり、いつ何時豹変したり症状悪化したりするかわからないということを肝に据えるということだ。
そうしたものが、気として察する能力という部分に関しては、正直寝たきりで話せなくなった患者様でも通じ合うことが可能なのだ。

逆に言えば、
例えば若い女性のスタッフが、この男性は認知症で高齢だから、というバイアスによって、
男性としても人としても尊厳を持たずに接した場合(バイアスをつけた介護は相手に対しての尊厳が消えてしまうというという事)
相手は必ずそれを察するのである。

究極を言ってしまえば、現行の老人福祉法では、そうしたバイアスありきでの整備になっているため、
先程の医療や福祉だからこそ持つ世界があるというのはここにある。

正直言って、この世界はバイアスによって生まれたり消えたりを繰り返して年月を重ねてきただけに過ぎないのかもしれない。

私が1番信じられない部分は、よからぬ方向にいくとわかった上で推し進める法や制度や、開発なのだ。

人間は不完全だからこそ、間違いは間違いで認めるべきであるのに、それが昔からできていないのは、ずっと変わっていないとさえ感じる。
だから法の整備だけが、どんどんと変わっていく。

今回の件を含めて、現行の老人福祉法、社会福祉法等、改める必要があるのではないだろうか。

こうした世の中で、
若い世代が大人になることから逃げたくなる衝動が生まれてしまうのも
解るような気がした。

この事件の判決が気になります。

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蒼空春佳
もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)