コーヒーの記憶
最近、朝活なるものを始めた。
自分の時間を取ろうとすると、そこが一番よさそうだと思ったのだが、これがなかなかいい。起きてからやることの考えながら、まずはインスタントコーヒーを用意する。お湯を沸かし、そして粉を溶かして出来上がったコーヒーを持ってリビングテーブルについて、大抵はパソコンを開く。
ゲームも、やるならこの時間になる。
たまにどうぶつの森をやるのだが、コーヒー片手に『喫茶ハトの巣』でブラックコーヒーをいただくのはなかなかいい。臨場感が最高で、なんなら暗めのリビングのどっかにマスターがいるんではないかと思うこともある。無論、いないが。
コーヒーが飲めるようになったのは、社会人になってからだった。
それより以前にも挑戦したことはあったのだが、ミルク砂糖マシマシの甘ったるいものしか飲めなかった。お子ちゃま。
高校時代、初めてのブラックコーヒーは好きな男子が飲んでいたというだいぶ甘酸っぱい理由で購入してみたのだが、見事に玉砕(コーヒーです)。漆黒の思い出となった(重ねて、コーヒーです)。
それでも、高校ぐらいから少し大人向けな味わいもいけるようになったと思ったのは、全国総文祭の会場で抹茶が振舞われていたところに、先輩に「飲もうぜ飲もうぜ」と引っ張って連れて行かれた時だった。自分としては大人になろう、と逃げることを諦めて、それでも結局お茶菓子を目的にいただいたのだが、これがお茶と合う。
(おや、もしかして、イケる?)
と思ったのがこのとき。なので初恋ブラックコーヒー(玉砕)も、ある意味ではイケるんじゃないかと思ってのチャレンジだったわけですな。でも無理だった。
落ち着いて考えるんだ。抹茶は茶菓子と一緒にいただいたということを思い出すんだと今なら思う。
さて、ではいつから飲むようになったかと思えば、結局は社会人になってから飲むようになったと思う。酒も嫌いではないが、おしなべて酒に弱い一族。私も例外ではなく、同期が上司とワインを一本空けている横でカエルになるのを必死で堪える感じだった。
そもそもひとり時間大好き人間。仕事が終わってから甘いものを食べようとすれば、必然的にチェーンであろうがなかろうが、喫茶店の静かな空間に引き寄せられ、甘味とコーヒーでの休憩が日課のようになった。
現在は毎朝インスタントコーヒーでの朝活であるが、それでも子育ても落ち着き、自分で稼げるようになったらこだわりコーヒー道具を集めてみたいと思っている。
最近、子供が「コーシーぎゅーぎゅー飲みたーい」と叫ぶが、さすがにまだ推奨できない。まだ幼稚園にも通ってないでしょ、と思いながら、この子と一緒に喫茶店で同じコーヒーを飲むことがあるのだろうか、とふわふわ妄想している現在である。