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#ネタバレ 映画「ブロークン・フラワーズ」

「ブロークン・フラワーズ」
https://eiga.com/movie/1312/photo/
2005年作品
コンピューターの暴走
2006/5/6 16:26 by 未登録ユーザ さくらんぼ


( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

映画「2001年宇宙の旅」は「コンピューター内に誕生した心」の話だと思いました。それならば「ブロークン・フラワーズ」も「コンピューターと花(心)」の話であったのかもしれません。

主人公と友人は共にコンピューターに関係があります。

特に友人はネット検索が趣味で、そのゲーム感覚で手紙の主まで探偵調査しようとしました。しかし、人間の心は容易に検索などできるはずもありません。

映画は「腹の探りあい」の様子を丹念にいくつも描きます。

調査の旅から帰った主人公、手紙の主は不明のままでした。そしてラスト、十字路で呆然と立ち尽くします。とうとう主人公は相手の腹どころか、自分の気持ちさえも分からなくなったのです。これから、どの女性の元へ帰るべきか、それとも帰らざるべきか。そして青年は息子だったのか。

それにしても、いったい誰が手紙をくれたのでしょうか。

私は主人公が殴られた家の女性だと思います。

そしてサンドイッチを食べた青年が息子なのでしょう。

別に彼女が殴ったわけではないのでしょうが、愛憎表裏一体とか言いますから、映画的な記号だったのかもしれません。それに母子共にどこか屈折しています。

そもそも、主人公は彼女を探すのが早すぎました。

息子に告白するのも早すぎました。

尋ねてくる息子を待ち、息子と語り、時を待ち、その上で、息子と二人で、逢いに行くべきだったのだと思いました。

そして、ここが肝心なのですが、花を渡し忘れてはいけません。

この映画は、メールやネット検索では済まない問題を、思い出せてくれました。

傑作だと思います。

追記
2006/5/11 21:52 by 未登録ユーザさくらんぼ

映画の冒頭、主人公の現在の愛人が結婚してくれないからと「家を出て行きます」。しかし淋しくなったのでしょう、すぐに「ピンクの手紙」をまねして復縁を迫ります。

この話は、主人公が殴られた家の女性に対して「君のほうが出て行ったんだ」と言うセリフに符合します。出て行った彼女が「ピンクの手紙」を書いたのだと思います。

本当はもっと早く、19年前に手紙を書きたかったはずです。

現在の愛人のように。

でも妊娠に気づき書けなくなったのでしょう。

子供をダシに、責任を取って欲しいと、復縁を迫る事も出来ました。でも彼女の場合、それは出来ない性分だったのでしょうね。愛していたからこそ、子供を使う事は出来なかったのかもしれません。

結局、未婚の母となり、ひとりで育てる事になりました。

やがて月日が経ち、子供も19歳の青年になりました。

大人になった息子に母は父の話をしました。

子供は「父の顔を見に行く」と家を出ました。

父に逢い、この目で確かめて、その男を父と認めても良いか確認する為の旅だったのでしょう。もしも父の名に値しないロクデナシ男なら、そのまま帰ってくるつもりだったのかも知れません。

残された母は、せめて父に、子供を傷つける様な言動だけはして欲しくないと願いました。そして願わくば、大人になった息子に、父として、これから色々と力になってやって欲しいと思いました。でも自分は、自分からは無理に復縁を迫るつもりは無い。そういう気持のこもった、ピンクでサインの無い手紙を送りました。

19年間の長きに渡り父と息子の事を片時も忘れた事は無く、この結末をどうしようかと一人想い続けていた母でした。その母を突然父は訪問し、子供はいるか、と「単刀直入に雑然とした玄関先で尋問した」のです。「クルマ」関係の修理業をしているようすの母でした。

19年間の重みなどまったく考えない、デリカシーの無い行為でした。

「母は家の奥に逃げ」込み泣きました。主人公は駆けつけてきた「男に殴られました」。

舞台は変わり、「雑然としたレストランの脇」で、息子にサンドイッチを食べさせる父。ここでも息子に単刀直入に「俺のことを父親だと思っているんだろう」と言いました。驚いて「逃げ出す息子」。でも追いかける父が出くわしたのは、偶然通りかかった「クルマ」の「怖そうな男」でした。主人公を睨みつけ、動けなくして去っていきました。

このあたりの父と母、父と子の出会いのシーンは符合するところがいくつかあったように思いました。

もちろん、これは想像ですが、私はこのようにこの映画を楽しみました。人により解釈はまちまちですが、それで良いのでしょう。

追記Ⅱ
2006/5/13 20:43 by 未登録ユーザさくらんぼ

子供には、父親似、母親似がある、と言います。

サンドイッチをご馳走した、ほの暗く屈折した青年は母親似なのでしょう。そんな事を想っていたら、あのロリータも気になり始めました。

ドンファンの女性版がロリータならば、彼女は主人公の娘かも知れないのです。父親似の娘です。

でも、ロリータの父とされている男はカーレーサーでしたね。

この職業を映画で設定するとしたら「目標に向かってわき目も振らず一直線の性格」とでもなるのでしょうか。「道草、浮気が大好きなドンファン」とはまったく正反対です。だからカーレーサーの実の娘としては設定が不自然なのです。

また、母親は家庭の整理整頓をするビジネスをしています。

家庭用品をキチンと家具、引き出しに収納し、ラベルを貼る仕事だそうです。母親はかつてドンファンの娘を身篭ったのかもしれません。しかしドンファンと別れた直後に付き合い始めたカーレーサーの子供として(父や娘を騙して)産み、育てた。見事にカーレーサーの娘として収納に成功したのです。

やがて月日が流れ、娘も大人になったある日、思いがけずドンファンが尋ねてきました。母がこのままドンファンと復縁できればハッピーエンドとなります。彼女は体まで許し、大歓迎をしました。娘の方も、もともと男好きでしたが、実の父を前に本能的に警戒心を解いてしまったのかもしれません。娘は自分でも分からない衝動に動かされていたのでしょう。

もしかしたら、この様に、息子ばかりか、娘もいたのかもしれないと思い始めました。

追記Ⅲ 2022.11.12 ( あるいは令和と昭和とか )

もう一度観て見ないと分かりませんが、この作品は「デジタル思考とアナログ思考」と言いますか、「四捨五入の思考とグラデーションを大切にした思考」と言いますか、「機械的思考と動物的思考」と言いますか、そのようなものが対立した世界観を、デフォルメして描いていたのかと、読み直して思っています。父がデジタルで母がアナログの記号なのかもしれません。

追記Ⅳ 2022.11.12 ( お借りした画像は )

キーワード「暴走」でご縁がありました。目がチカチカするような、可愛い寅さんですね。イメージ的に素晴らしいです。無加工です。ありがとうございました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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