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#ネタバレ 映画「わたし出すわ」

「わたし出すわ」
2009年作品
お金は使う方が難しい
2009/11/3 12:56 by さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

若い頃の私は、自信の無い人間で、友達を作るのも苦手でした。異性でなくても、人をランチに誘うことすら、ほとんど出来なかったのです。

そんな私が、ある時、有志の飲み会の幹事を引き受ける事になりました。やがて、進んで万年幹事にもなったのです。その苦労の代償としてなら、友人の輪を広げても、バチは当たらないだろうと、心の底では、少し安心していられたからでした。

ところで「わたし出すわ」の主人公、摩耶の昔も、株だけが友達代わりの、内気で孤独な、さみしい子供だったのではないでしょうか。おそらく家庭も裕福ではなかった。親が、株で一攫千金を夢見て失敗した過程で、摩耶も株を覚えたのでしょう。おそらくは父もその時他界した。

株は実際にお金が無くてもシミュレーションで楽しむことができます。時刻表ファンがいるのと同じですね。摩耶もそうしてトレーニングしたのでしょう。

摩耶には夢がありました。株でお金を取り返し、大金持ちになり,幸せな生活をすることです。でも、一般の子供からみれば変わっているので、友人も多くは無かったと想像します。

大人になった摩耶は、運良く成功し、財を成しました。でも、夢見たような幸せは無かった。その上、母が病気になり、植物人間になってしまった。二人っきりの家族なのに・・・。

摩耶は誰かに慰めて欲しかった。しかし札束は慰めてはくれません。そんなとき、ふと想い出したのは、子供の頃、孤独な自分に声をかけてくれた友人たち。だから故郷に帰ってきたのですね。

でも露骨に人生相談などしなかった。摩耶はお金をプレゼントして喜んでもらい、その余熱で温まろうとしたのでしょう。慰めを間接的にお金で買おうとしたのですね。友人のお母さんが夕飯を食べさせてくれた、あんな温もりに飢えていたのです。記号として、お通夜がでてきます。あれは残された家族を慰めるものでもあるのです。

でも、けっかは散々でした。危うく摩耶は殺されそうになったぐらいです。

摩耶は、お金で幸せを買おうとすべきでは有りませんでした。お金持ちの有名人はボランティアに精を出すことがあります。ボランティアの代償として、お金では得られない心の幸せを受け取っているのです。だから、摩耶もそれを参考にすべきでした。

私が若い頃、万年幹事を引き受けていたことも、その時には、そんな知恵はありませんでしたが、いま思うと、ある意味ボランティア活動であったのかもしれないと思うのです。

しりとりゲームが出てきました。金は天下の回り物、とか申しますが、お金も幸せの連鎖をつくり出すのが理想なのでしょう。でも「ん」が付いてしまうことが多いのが現実のようです。摩耶のさみしさが静かに沁みました。

★★★★

追記 
2009/11/5 12:34 by さくらんぼ

> ・・・おそらく家庭も裕福ではなかった。親が、株で一攫千金を夢見て失敗した過程で、摩耶も株を覚えたのでしょう。おそらくは父もその時他界した。

摩耶が目を覚ますと、隣の部屋からラジオの株価情報が流れてきます。戸を開けると、そこでは友人の母がPCとラジオを相手に株取引をしているようです。

たぶん、これは摩耶の子供の頃のデジャブ映像でしょうね。摩耶は母子家庭だったのでしょう。父は先に亡くなっていたのかもしれません。母は株で一攫千金を夢見ていたのでしょう。映画は、時にこうして、さり気なく過去の説明を入れるのです。

> 大人になった摩耶は、運良く成功し、財を成しました。でも、夢見たような幸せは無かった。その上、母が病気になり、植物人間になってしまった。二人っきりの家族なのに・・・。

映画のラストで母が奇跡的な回復をみせました。どなたかも書いておられましたが、私もこのハッピー・エンドは相応しくないと思いました。母は目覚めぬままが主題に相応しいと思ったのです。観客に媚びたのだろうか、と疑ったほどです。

でも、その時を、もう一度再現すると、違う気持ちになりました。

母が目覚め、言葉を発したとき、摩耶はコール・ボタンを押して医師を呼びました。容態が悪化した訳ではないのにです。それでも医師を呼んだ彼女の気持ちは、この奇跡を喜んでもらう仲間が欲しかったのではないでしょうか。「見て、こんなに元気になったわ!」と。

駆けつけた医師は4~5人いたでしょう。でも、記憶が正しければ、だれ一人として、笑顔で祝福する者も、喜びの涙を流す者もいませんでした。医師たちは珍しい研究材料として冷静に観察していただけの様でした。

治療に多額のお金をかけていたことが企業調査員のセリフから語られています。それでも摩耶は、やっぱりお金では、一緒に泣き、笑ってもらえる仲間は買えないのでした。親友にも主治医にも。ですから、あそこは主題を駄目押ししたラスト・エピソードであったのかもしれません。

ハッピー・エンドでもあり、哀しくもあり、複雑系の後味でした。

追記Ⅱ ( 部屋に入ったとき ) 
2015/8/6 6:24 by さくらんぼ

待っていてほしいもの、

彼女か、

音楽。

「部屋にいるときには、お気に入りの音楽をかけた方が、心の健康にも良い」との記事を、最近どこかで読みました。

それで思いだしたのですが…

私は「部屋に入った瞬間のBGMがほしい」のです。

あれは、部屋に入ってからステレオをONにして聴く音楽とは別物です。

思っても見てください。

「どこかのお店に入ったら、BGMがまったく無く、シーンとしていて、あなたの顔を見たら音楽を流してくれた」。

これって、雰囲気が最低でしょ。

昔、JAZZ喫茶の本を読んだら、店長が留守の時、客がいないと従業員がステレオの音をOFFにしていた話がありました。それを知って、店長が怒ったのです。「客がゼロでも大音量でJAZZを流しておくのがJAZZ喫茶」だって。

もしかしたら「あなた、なに妙なことにこだわってるの」と言われるかもしれませんが、

ほら、独り暮らしの人が、夜帰ってきたとき「真っ暗な家が嫌だ」って言うでしょ。あれとおなじ。

音にこだわると、音楽を流すか、無音で行くか。遠くのスピーカーから鳴らすか、近くで鳴らすか(音の位相に違いが出る)。大きく鳴らすか、小さく鳴らすか。もちろん、いつ、何を鳴らすか…

書ききれないほど、いろいろと、こだわってしまうのです。

その中でも、まだ実現していない難問。

自室に入った瞬間に音楽が鳴っている環境を、一日中ステレオを鳴らさずに実現すること(つまり人の動きを感知し、余裕を見込んで、部屋に入る10秒まえにステレオがONになる環境)。

スイッチが押せる、賢いポチ君か、

センサー付ミニコンポ、がほしい今日このごろ。

追記Ⅲ ( 鳥とバロック音楽 ) 
2015/8/8 22:09 by さくらんぼ

>私は「部屋に入った瞬間のBGMがほしい」のです。
>あれは、部屋に入ってからステレオをONにして聴く音楽とは別物です。

仮に、めでたくポチ君を手に入れ、部屋に入ったときに音楽が鳴っていたとします(幸せ)。

( そうしたら入室後、まずポチ君と、ひとしきり再会の抱擁をします。)

その後、イスに座って、PCのスイッチをONにし、ひとしきり、お気に入りサイトを閲覧させてもらってから、他に用事もなければ、本日のレビュー書きを始めます。

すると、音楽が思考の邪魔になるので、ステレオをOFFにするのです。

この瞬間、ほっとします。

血圧が下がるような感じ。

実は、音楽が必要なのは、ここまでの、わずかの時間なのです。

そのなかでもクライマックスが、部屋のドアを開けた瞬間。

だから、その瞬間がないのは、クライマックスのないドラマを見ているように味気ないのです。

でも、その後の思考には静寂が一番。

あるいは、鳥の声など、森林の環境音CDが良い。

または、バロック音楽が、先日の実験では思考の邪魔にはなりませんでした。

環境音はともかく、

バロックは、なぜでしょう。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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