#ネタバレ 映画「免許がない!」
( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
免許がない!
1994年作品
誰
2003/8/3 18:14 by 未登録ユーザ さくらんぼ(修正あり)
人気アクションスターの主人公には秘密があった。普通自動車の運転免許を持っていないのである。ある日、それを共演のヒロインに知られてしまい、恥ずかしいと思った彼は免許を取る決心をする。彼は事務所に頼み込み、3週間の合宿制自動車学校で免許取得を目指すのだ。
生徒というものは、それだけで弱い立場になるものなのに、スターの彼は、その上、変装までして縮こまって授業を受ける。又、彼はそろそろ中年にさしかかったおじさんである。たちまち若い同期生から浮いてしまう。友達もできない。暗雲立ち込めるスタートであった。
ここでこんなエピソードが描かれる。朝食に合宿の食堂へ行った主人公が、ひとり陰気な雰囲気をまとって食べ始める。すると若い同期生たちが「私たちは貴方が誰なのか知らないから、自己紹介をしてほしい」と言うのである。彼はしばらく無視していたが、仕方なくポツリと偽名を答える。
このエピソードは、実はこの映画のとても重要な所ではないだろうか。
この後、主人公は同期と焼肉をめぐってひと悶着起こす。その時、彼はまだ身分を隠していたが、相手の若者はそれでも彼のファンになる。また教習車での授業で、教官に我慢できなくなった主人公は喧嘩して、とうとう身分がばれてしまう。こちらの方はもうしばらく解決まで尾を引くが・・・。
彼は自己表現を始めたのである。思えば映画スターという商売自体が自己表現をしなければならない仕事であった。それを象徴的に使い、己を殺したために起こる悲喜劇が描かれていたのである。
その後の彼の順風満帆ぶりは観ていて痛快である。
追記
2003/8/3 20:26 by 未登録ユーザさくらんぼ
この映画は「コンプレックス」を描いていると言われている。しかしコンプレックスがもたらす人の萎縮を描いていると言った方が私はより近いと思う。
追記Ⅱ ( レビュー2015・根拠のない自信というスキル )
2015/6/21 11:09 by さくらんぼ
映画「免許がない! 」の中に、セクシーな女教官が出てきて、目の前で男2人が喧嘩を始めると「私のことでケンカしないで!」と、言い放つシーンがありました。実は、男たちは別の理由でケンカしていましたが、あまり的外れな呼びかけに、びっくりしてフリーズしてしまいます。
あれが主題の代表的なワンピースでしょう。
スターは、あれぐらいのノー天気な自信がないといけない。
そうすると世間様は「この人はただ者では無い」と誤解し、道を開けてくれることもある。
その大記号がラストの路上検定シーンですね。
もちろん映画会社が根回しをしたのでしょうが、住民にも協力する意思がなければ、街ぐるみで聞いてくれるはずもないのですから、やはりスターの御威光でしょう。
反対に、主人公がスターである身分を隠し、ただのオジサンとしいて教習所にいるときの姿は、コンプレックス持ちの人間の記号でしょうね。
オジサンになってから免許を取りに行くとか、AKBグループを観に行くとか、大学に行くとか、私もオジサンだから分りますが、勇気がいります。年齢コンプレックスを持ちます。
そう言えば、若いころから一度ぐらい握手会(昔、菊池桃子さんの握手会が近所でありました。今でもファンです)にも行きたかったのですが、とても勇気がありませんでした。
何にしろコンプレックスを持つと「根拠のない自信も消滅する」のですね。
これは、それが、どれほどのマイナスになるかを描いていたようです。
私は舘ひろしさんの大ファンでもあり、男でありながら、彼の色気にまいっている一人なので、大満足でした。
★★★★★
追記Ⅳ ( レビュー2015・根拠のある自信というスキル )
2015/6/22 21:43 by さくらんぼ
あるいは「スターは実像で勝負する」。
さきほど何年かぶりに懐かしいDVDを観てみました。
やっぱり舘ひろしさんは、色っぽくてカッコいいですね。
でも、見ていくうちに妙なことに気がついたのです。
まず、映画の冒頭、美女はトイレに行かないという虚像を、「トイレに連れてって」と言う実像ヒロインを登場させることで破壊しました。
これが、一番強烈なパンチですね。
また、教習所の実地練習では、たとえば坂道発進時に後ろに下がってしまうと、「ぶつかるじゃないか!」と指導員が南条を叱ります。
でも南条は「後ろにクルマはいない」と口答えするのですね。
もちろん指導員から「クルマがいると思って練習するんだ!」と、また叱られます。
別のシーンでは、「踏切では窓を開けて、目と耳で列車が来ないか確認すること」と言われますが、南条は「道路では窓を開けて確認しているのを見たことが無いし、教習所だから列車はこない」と、また口答えするのです。
それだけでは足りずに、教習所に多数の映画スタッフがやってきて、映画セットまで持ち込み、映像と音で、列車を再現していました。
つまり、教習所では虚像の中で練習しろと言われますが、南条は、あくまでも実像にこだわったのです。
私の常識では、男はあまり口答えしないもの、それが男らしい姿だと思っていましたから、南条の口答えは醜く見えました。
しかし、その違和感こそが、映画解釈のキーだったのかもしれません。
とかく「スターは虚像である」というのが大人の常識ですが、映画会社側としては、それは困るのです。
できれば「スターは実像である」。
そう言って欲しいわけです。
スターは、飯も食えばトイレにも行くけれど、本当に人格的にも優れていて、強く、優しく、美しく、その上カッコ良い人間なんだと思って欲しいわけです。
その実像の夢を描いたのが、この作品だったのかもしれません。
整理すると、表の話が「コンプレックス」の話で、裏の話が「虚像実像の話」といった所でしょうか。もちろん、どちらも正解です。
しかし、私の求めている正解は、なるべく裏の方ですから「スターは実像である」が近いかな。
南条は、たった一つのコンプレックス・無免許を無くすべく、努力したわけです。
追記Ⅴ ( レビュー2015・自分流が自信というスキル )
2015/6/24 6:22 by さくらんぼ
( 以下、映画「真昼の決闘」のネタバレにもふれています。 )
「そこまで思ってはっと気づいた。この映画って,もしかしたらクロサワ監督の映画「七人の侍」ではないか。」 (2002/8/2 by さくらんぼ)これは映画「ギャラクシー・クエスト」の、私のレビューからの抜粋です。
もし、同様な解釈をするならば、この映画「免許がない! 」は映画「真昼の決闘」なのかもしれません。
コピーなどと言うつもりはありません。外形はそれほどにていませんし。
でもシナリオの延長線上と言いますか、ライターの心の深層にある核の部分から、映画「真昼の決闘」の記憶が滲み出たのかもしれません。しいていえばオマージュに近いでしょうか。
解釈の発端は、そもそも、なぜ南条がお寺に泊まるのか、でした。
映画「真昼の決闘」では、キリスト教の教会で、主人公と仲間だと思っていた住民との、会話によるバトルがありました。映画「免許がない!」では、お寺の晩餐を中心に、勉強仲間だと思っていた人たちとのバトルがあります。
そして映画「真昼の決闘」での白眉は、クライマックスの誰もいない街でのバトルです。これも自動車学校の卒業検定で、ガラ空き道路での、奇跡の検定シーンに生かされています。
その他にも、映画の冒頭、馬車に乗って新婚旅行へ行くのを止めるシーンが、自動車に乗ってトイレに行くのを止めるシーンなり、
敵が来るまでのタイムリミット1時間半!?にギリギリと胃を痛めるのが、免許を3週間で取らなければならない話になり、
一人で数人の敵(教官やイジメっ子)を相手にするのも同じ。
もし映画「真昼の決闘」ならば、電車(列車)のリアリズムにこだわったのも理解できます。
その他にも注意深く見て行けば、いろいろな関連シーンが見つかるでしょう。
ラストは、バッジを捨て、仲直りした妻と街を去っていくわけですが、これは一人の教官の、逃げた女房との縁を戻してやることに、アレンジしてあるようです。
映画は、南条が、一人で、まるで街のように広い、撮影所の中を去って行くところで終わりました。
追記Ⅵ ( 「返納」な時代 )
2019/6/8 9:33 by さくらんぼ
続編の名は、
映画「免許はいらない」!?。
「 74歳・杉良太郎さん 運転免許返納 」
( 2019年6月8日 東京新聞 朝刊 )
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)