#ネタバレ 映画「コット、はじまりの夏」
「コット、はじまりの夏」
2022年 アイルランド
2024.1.29
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
母の出産のために、娘が親戚に預けられたひと夏を描いた佳作です。
静謐です。
予定調和と言いますか、概ね、想像通りの展開になります。
しかし、それでもジワリと感動させる、作品の力量は素晴らしいものがあります。
珠玉の作品とは、このようなものを言うのでしょう。
良いものを観させていただきました。
追記 2024.1.19 ( 心が通う )
ヒロインは無口で学校の成績も良くないようです。
しかし、彼女は頭が良いのです。
専門家ではないので良く分かりませんが、IQというよりEQの方でしょうか。
しかし、両親はその能力が劣っているようで、彼女の才能を理解できません。
その為もあって、彼女は孤独感を深めています。
それが、夏休みに預けられた親戚で、EQが優れた大人に接し、初めて、心通う体験をしたのかもしれません。
彼女が預けられる家に、父と一緒に行ったとき、夕食がふるまわれましたが、父は食べないどころか、吸っていたタバコを消すために、灰皿代わりに、料理に押しつけて帰って行ったのです。悪気はないようでした。
預けられた彼女は、その家の主と、(たぶん男の照れと不器用で)最初はギクシャクしていましたが、(叱ったので、仲直りしようとした)主が、彼女が座っているテーブルの端に、お菓子を一つ、黙って置いて出て行ったことで、彼女をすべてを理解し、二人は仲良しになったのです。
タバコとお菓子のエピソードは対称形になっているように思いました。
「トンビがタカを生む」とか申しますが、タカはタカに出会って、初めて、居場所を見つけたのでしょう。
追記Ⅱ 2024.1.30 ( 情報・知る前の自分には戻れない哀しみ )
>「トンビがタカを生む」とか申しますが、タカはタカに出会って、初めて、居場所を見つけたのでしょう。(追記より)
この作品の主題は何でしょう。
あずけられた家の主・ショーンが、ヒロイン・コットに「郵便受けを見て来て」と頼むエピソードがあります。
といっても、田舎の牧場ですから、敷地は広く、門にある郵便受けまで、往復200mぐらいはありそうです。
ショーンは「君は足が長いから早く走れそうだ」「タイムを計るから・・・」と走って行かせるのです。
全速力で毎日走るコット。
夏が終わる頃には10秒も速くなりました。二人で喜びます。
私はこのエピソードに「情報」という記号を観ました。
田舎の住人の噂話も色々出て来ます。それも情報というパズルのワンピースでしょう。
私が若い頃、調べたいことがあると、半日がかりで図書館に行き、専門書をあさった事が何回もあります。
しかし、近年はネットとスマホで、朝飯前に調べられます。
でも、情報は一旦知ったら、もう知る前の自分には戻れないのです。
それを考えると、軽々に、なんでもかんでも知ることは、果たして、幸せの秘訣なのでしょうか。
「そんなこと書いてる、お前が言うか」と言われそうですが。
追記Ⅲ 2024.1.30 ( コットを養女にするという選択 )
夏が終わり、ショーン夫妻が、コットを実家に送り届けます。
そこでの、コットに対する実の親の(さりげない)冷ややかさが寒いです。
そして、コットはショーン夫婦と自分との相性の良さを知ってしまったのです。
コットはこの先どうなるのでしょう。
解釈は観客に任されています。
「情報・もう知る前の自分には戻れない」。ならば、私は、息子を事故で亡くしているショーンは、子だくさんのコットの親に、「コットを養女にもらえないか」と提案する可能性を感じます。
コットも親にとっても「口減らし」にちょうど良い話でしょうし、コットの親のプライドさえ傷つけないように話を持って行けるなら、この話、まとまる可能性もあるような気がします。
追記Ⅳ 2024.1.30 ( 映画「千と千尋の神隠し」)
映画「千と千尋の神隠し」を連想しました。様々な要素を、分解して取り込んでいる可能性を感じました。
追記Ⅴ 2024.1.31 ( クリント・イーストウッド監督 )
映画のエンドロールには、作品の余韻を大切にしたような、静かなピアノ曲が流れます。
その時、「あっ、クリント・イーストウッド監督」と思いました。
味わいが、「彼の作品」と言われても違和感が無いぐらい、格調高いのです。
追記Ⅵ 2024.2.3 ( 映画「千と千尋の神隠し」② )
私がなぜ①映画「千と千尋の神隠し」を連想したかと言えば、②映画「コット、はじまりの夏」の前半で、クルマの後部座席でゴロリとなって揺られていくコットのシーンを見たからです。あれは千尋みたいですね。
もちろん、それだけで解釈するのは早計ですが、②の夏を過ごすキンセラ家の幼い長男が事故死した理由が、「肥溜めに落ちた」というものだったのです。ここから①のオクサレ様を連想し、もしかしたらと、さらに詮索することになりました。昔の田舎で幼い子供が亡くなることは珍しくないでしょうが、その理由を肥溜めに設定するドラマは珍しく、そうしなければならない意図を感じます。
仮に①へのオマージュだとしたら、①に出て来た主要な登場人物とかエピソードが②にもっとあるはずです。
①のカオナシは、②ではコットなのでしょう。①のレビューで、私は「カオナシ=千尋のエゴ」だと解釈しています(詳しくは①のレビューに)。カオナシはエゴ・欲望の塊でもあります。コットはキンセラ家の夫婦に町に連れてい行ってもらい、夫から「アイスクリームでも買いなさい」と、お小遣いまでもらいました。妻が「その金額だとアイスクリームが2~3個買える」と呆れると、「良いんだ、贅沢をさせるつもりだ」と返します。これも①へのオマージュでなければ必然性に疑問符が付くセリフだと思います。
さらに、①の少年・ハクも②ではコットなのでしょう。コットは少年の服を着せられていましたし、「コットは足が長い」というセリフが、少なくとも二回出て来ました。あまり必然性のないセリフですが、「長い」という点に注目すると、速く飛ぶ(足の速い)長い竜が見えてきます。
コットがハクでもあるなら、予告編にも出て来る、コットがもらう丸いお菓子は、竜になったハクを助ける丸薬の記号でもあったのかもしれません。その丸薬を食べたコットは元気になって、キンセラ家の夫と仲良しになるのです。
①の湯屋がどこにあるのかは、説明不要ですね。コットを風呂に入れて、丹念に洗うキンセラ家の妻がいました。
①の食事のマナーが悪くて豚になった両親は、②では料理を灰皿代わりにする父になっているのでしょう。
①で最後に豚の中から本物の両親を見つける話は、②のラストではキンセラ家の両親を選択し、キンセラ家の夫に抱き着いて「パパ、パパ・・・」と泣くコットで表現されていたようです。
オマージュの可能性を探る話、他にも記号はあるでしょうが、とりあえずを書いておきます。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)