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#ネタバレ 映画「チャンス」

「チャンス」
1979年作品
鮒に始まり鮒に終わる
2015/11/5 6:28 by さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

この映画は私の好きな作品なので、今までも主題についてもいろいろと推理してきましたが、納得のいくものは書けませんでした。

でも、最近もTVで再度鑑賞し、新たに気がついたことがありましたので、ここに記しておきます。

この映画は際物ではなく、人間の大切なものを描いていたのだと思います。私の観察したところでは、それは自然相手の農業従事者に宿り易いものだと思います。

釣りに「鮒に始まり鮒に終わる」という言葉があります。

古来、人間も「赤ちゃんから始まり、還暦にまた赤ちゃんに戻る」と言われています。でも、その中間層の人間は、良くも悪くも赤ちゃんではありません。

この映画は赤ちゃん(生まれたままの純真無垢なチャンスと、死を前にして赤ちゃんのような境地にもどった二人のご主人)と、生存競争にまみれた世代(大統領)とで構成されています。その大統領たちを観客が醜いと感じたら、この映画が成功したのです。

この映画、やたらと裸(病室での下着姿)が多いとは思いませんか。あれには理由(あかちゃん)が込められているのだと思いました。

ですから、表現が斬新であることは間違いないですが、際物ではありません。傑作、いや名作と言っても良いのではないでしょうか。

この映画は大人向きの作品ですが、おなじような主題を使い、子供向きに作った作品もありました。映画「カーズ」がそれです。

★★★★★

追記 ( 映画「チャンス」は寅さんにも似ている )
2015/11/5 17:21 by さくらんぼ

> この映画は赤ちゃん(生まれたままの純真無垢なチャンスと、死を前にして赤ちゃんのような境地にもどった二人のご主人)と、生存競争にまみれた世代(大統領)とで構成されています。その大統領たちを観客が醜いと感じたら、この映画が成功したのです。

それよりも、こう言った方が、より解りやすいかもしれません。

「映画『チャンス』は寅さんにも似ている」。

誤解を承知で言えば…

寅さん映画も「寅さんではなく、寅さんの陰口、悪口を言う面々の方を、観客が醜いと感じるようになることが、ひそかに監督が目指した世直しのゴール」だったと思うのです。

追記Ⅱ ( 6半に始まり6半に終わる )
2015/11/6 6:45 by さくらんぼ

オーディオにも「6半に始まり6半に終わる」という言葉があります。

6半つまり直径6.5インチ(16センチ)程度の、ごく普通の小さなスピーカーから、少年のオーディオライフはスタートします。

青年期以降ではお金をかけ、技術的にも高みを目指し、凝りに凝った複雑な大型システムを目指します。

でも、悟り、枯れた晩年になると、また6半に戻ってくるというお話しです。もちろん少年期のそれとは、多くの場合システムのグレードが違いますが。

そんな話を知っていましたから、そんなにお金がかるなら、20代に晩年のマニアが持つであろう最終形6半ステレオを買ってしまえば、もうお金の無駄づかいが無い、と結論づけ、さっそく行動に移したのです。

でも、自ら組んだそのステレオの、本当の良さが分かってきたのは、やっぱり、おじさんになってから、だったのでした。

「豚に真珠」という言葉があるのを思いだしますが、20代の私にはその良さを、理性では理解しても、感性では受け入れなかったのです。結果、何十年も悩み続けることになりました。

娯楽でもファッションでも食事でもそうですが、若者好みと、おじさん好みがあり、若者なのに背伸びしておじさん好みの物を手に取っても満足できないのですね。

女子高生にも大人のブラックコーヒーを一度は試してもらいたい。でも、数回トライしてまずいと思ったら、しばらくやめた方が良いのです。無理して飲んでも幸せにはなれません。

こんな当たり前のことを理解するために、私は、私の最も大切な趣味を使って、何十年間も苦しんだのでした。

ですから、映画「チャンス」でも、生存競争の真っただ中にいる大統領が、チャンスの価値を理解することは大変に困難なのでしょう。

追記Ⅲ ( 大統領の資質 )
2017/1/31 14:24 by さくらんぼ

> この映画は際物ではなく、人間の大切なものを描いていたのだと思います。私の観察したところでは、それは自然相手の農業従事者に宿り易いものだと思います。(本文より)

「落ちるリンゴ」で発見するのが科学者なら、「落ちる葉っぱ」にお経を見るのがお坊さんでしょう。

私の今までの人生経験では、農業従事者の方は、ごまかしの利かぬ自然相手(生命相手)の仕事ということで、どちらかと言えば、お坊さんのような人生観を持たれている方が多いように思いました。

主人公・チャンスに大統領が務まるとは思えませんが、彼には「自然を相手にする謙虚さ協調性、そして自然から学んだ真理」があります。優秀な補佐役がいれば、彼なら、少なくとも独裁者に任せるよりは良いのかもと、そう思う瞬間もあるのでした。

追記Ⅳ ( 映画「幸福なラザロ」 )
2019/5/2 9:18 by さくらんぼ

( 映画「幸福なラザロ」のネタバレにもふれています。)

映画「幸福なラザロ」は、エデンの園から追放された人間たちの物語です。その中に復活した聖人ラザロもいました。

映画「チャンス」も、エデンの園から追放された人間たちの物語なのだと思います。その中に無垢なチャンスもいました。映画は、チャンスが朝目覚める(復活する)シーンから始まります。

映画「幸福なラザロ」が映画「チャンス」へのオマージュだと言うつもりは、現段階ではありませんが、映画「幸福なラザロ」を観る事で、より映画「チャンス」の理解が深まるように思いました。

追記Ⅴ ( 聖人に対する扱い )
2019/5/2 9:37 by さくらんぼ

チャンスは、ひょんな事から経済界の大物ベンジャミン・ランド(メルビン・ダグラス)と知り合い、大いに惚れられ、次期大統領候補に祭り上げられるのです。

ベンジャミンはチャンスを誤解していたというのが一般的な解釈だと思います。でも、映画の終わり近く、「ある程度は、知っていたけれど、それよりも大切な資質がチャンスに有るので、あえて推した」みたいなことを暗示するシーンもあるのです。

いずれにせよ、チャンスは大統領選挙に出て行きます。

一方、映画「幸福なラザロ」でのラザロは、無垢を承知の人たちから詐欺に利用されたり、無垢とは知らない人たちから銀行強盗にされたり、散々な目に合います。

聖人に対する扱いが違うのは、時代背景によるものでしょうか。そうならば、現代において聖人でいることは…。

追記Ⅵ ( 出家と還俗 )
2019/5/2 9:50 by さくらんぼ

悟りを求めて出家した人の中には、悟りを開いてから、再び俗世間に戻り、私たちの中にまじって、サラリーマンになったり、起業したりする人もいるのだそうです。「修行は日々の暮らしの中にもある」と言って。いわゆる還俗ですね。そんな人たちは、きっと私達とは違ったオーラをまとっているのでしょう。

追記Ⅶ 2022.3.2 ( ルネ・マグリット )

映画「チャンス」の「ただ者ではない感」はすごいですが、何者かは、今だもってよく分かりません。

しかし、本日、お昼寝から覚めて、ふと思いました。

これは「ルネ・マグリットの作品をモチーフとして動画化したもの」ではないのかと。マグリッド作品のような紳士が出てくるチラシを見ると、ぞわぞわします。

追記Ⅷ 2023.3.12 ( これは「就職活動」のお話か )

映画「エンパイア・オブ・ライト」には、「セグメント」にこだわった人生の進路が描かれています。あの作品は、映画館では自分の琴線に触れる映画を選択するように、「各自が自分にふさわしい人生を」という賛歌のようです。

その映画「エンパイア・オブ・ライト」の劇中劇に映画「チャンス」が挿入されていて、重要な意味を持たされていそうなことを考えると、この映画「チャンス」の主題も、違った角度で見えてきました。

映画「チャンス」も「セグメント」の物語だったのかもしれません。

思えば、主人公のチャンスは庭師を失業し、知的障害者のようでもありますから、わけも分からず街を放浪するのです。

そして、周囲の勘違いと幸運により、(無名の新人として)アメリカ大統領選挙に出馬させられるようになる!?のです。

このエンディングはブラックなお笑いですが、この解釈の方が、前述したものよりシンプルで腑に落ちそうな気がしています。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)




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