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#ネタバレ 映画「おもかげ」〈2019年〉

「おもかげ」〈2019年〉
2019年作品
ある意味、映画「宇宙戦艦ヤマト」
2020/11/2 17:56 by さくらんぼ


( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

わが子が消えた…。

これは、とても丁寧に作られたミステリーです。

幸福なファミリードラマの出だしですが、途中かかってくるわが子からの電話が、だんだんとホラーになっていきます。

このノーカット!?、と思わせるような演技は秀逸。

そして、残り8割の、哀しみと希望を秘めた母には目が離せません。

いわゆる「めっけもん」の一本。

老若男女におすすめできます。

★★★★☆

追記 ( ある意味、映画「宇宙戦艦ヤマト」 ) 
2020/11/2 20:27 by さくらんぼ

(  以下、映画「天国にいちばん近い島」と映画「宇宙戦艦ヤマト」のネタバレです。)

映画「天国にいちばん近い島」は、生前父が憧れていた島で、娘が追悼の旅をするお話でした。

映画「宇宙戦艦ヤマト」は、十分な手柄も上げられず水上特攻した悲劇の戦艦大和と乗組員を、蘇らせて活躍させ、そうやって子孫が追悼するお話です。そして同時に、当時の日本人の心に刻まれた、集合的無意識に対する追悼でもあると思います。

映画「おもかげ」〈2019年〉は、偶然見つけた、わけありそうな、似た子の世話をすることで、行方不明になったわが子を追悼するお話でした。

それを周囲は、「年の離れた不道徳な恋愛だ」との目で見ていましたが、女は母の視点で見ていたのです。

それらはお葬式の延長線上にあり、「生者が心の整理をするために、ぜひとも必要な儀式」なのでした。

追記Ⅱ ( 自分流の「終わらせ方」 ) 
2020/11/3 9:26 by さくらんぼ

>映画「おもかげ」〈2019年〉は、偶然見つけた、わけありそうな、似た子の世話をすることで、行方不明になったわが子を追悼するお話でした。

>それを周囲は、「年の離れた不道徳な恋愛だ」との目で見ていましたが、女は母の視点で見ていたのです。

>それらはお葬式の延長線上にあり、「生者が心の整理をするために、ぜひとも必要な儀式」なのでした。(追記より)

ここをもう少し詳しくお話します。

ある日、幼い息子から電話がかかってきます。息子は半べそをかいていて、「お父さんがいなくなった」と言うのです。なぜいなくなったのかには触れられていません。

母は迎えに行こうとしますが、クルマで遠くまで連れてこられた息子には、現在位置が分からないのです。

ビーチであることは分かりますが、フランスなのかスペインなのかも分かりません。周囲に家も無ければ、人もいません。

母は、息子にヒントになる目標物をさがさせます。

息子は立しょんべんをしている大人の男を一人見つけました。(この映画に限って言えば)立ちしょんべんは、その男の素性と、性犯罪的な記号を示し、危険な空気を漂わせました。

と、その時、息子は男と目が合い、男は手招きしたのです。

危険を察知した母は、逃げるように強く指示しましたが、その直後に連絡は途絶えました。

その瞬間を音だけで聞かされた母親は半狂乱になりました。観客にとっても大きなインパクトです。

そして息子は行方不明になり10年が過ぎました。

今の母は離婚し(行方不明のせいでしょうか)、海辺のレストランで働いています。常連客の中からボーイフレンドもできました。なぜ海辺のレストランなのかは分かりますね。息子を助けたかった悔恨が、母を唯一の手掛かりであるビーチに引き寄せたのです。

しかし、母の追悼はまだ終了していません。

この場合の追悼とはトラウマと同義語でしょう。

そんな時、息子に似た少年と知り合ったのです。

やがて別人だと分かりますが、母の特別な視線に気づいた少年は、「歳上女を口説こうと」接近してきます。

最初は、少年の積極性に驚いて逃げ出そうとした母ですが、立ち止まりたい力も働き、会話を交わすようになりました。そして本当の両親とうまく行っていないことを知ったのです。

中・高生ぐらいの年齢の少年が両親とうまく行かないのは珍しくない事ですが、母にとっては、あの時の、実の息子からのSOS(電波法上は、正確にはOSOですが)に聞こえ放置できないのです。

母のトラウマに少年はタッチしてしまいました。

そして、いろいろあって…。

やがて、少年と別れ、母が現在の恋人の元へ戻ったとき、観客はそれが追悼の旅路だったことを知るのです。

追記Ⅲ ( 映画「リベンジボルノ」 ) 
2020/11/3 9:39 by さくらんぼ

この「人物Aとの間で生まれたエネルギーを、人物Bとの間で清算する」みたいな構図は、七海ななさん主演の映画「リベンジボルノ」でも描かれていました。

追記Ⅳ ( 冒頭の電話の再現 ) 
2020/11/3 17:45 by さくらんぼ

>高生ぐらいの年齢の少年が両親とうまく行かないのは珍しくない事ですが、母にとっては、あの時の、実の息子からのSOS(電波法上は、正確にはOSOですが)に聞こえ放置できないのです。

>やがて、母が少年と別れ、現在の恋人の元へ戻ったとき、観客はそれが追悼の旅路だったことを知るのです。(追記Ⅱより)

もう少し具体的に言えば、映画のクライマックスに、その少年からも母の元へSOSの電話がかかってきました。

少年と別れさせようと躍起になっている母のボーイフレンドは「ほかっておけ」と言いましたが、トラウマのある母は、「居場所が特定できているのに」少年を捨てていくわけにはいきませんでした。

これは冒頭の誘拐電話の再現です。

そして、今度こそ「駆けつける」ことで、「10年間の追悼の旅は終わりを告げる」のです。

ちなみに、この映画「おもかげ〈2019年〉」は、「終わらせ方」について描いていたようです。

ボーイフレンドの助言で、母はレストランを辞めて引っ越すことにしましたが、急な事だったので。オーナーから強く慰留されるエピソードもありましたから。

追記Ⅴ ( 映画「真昼の決闘」 ) 
2020/11/3 20:19 by さくらんぼ

追記Ⅳを書きながら、ふと映画「真昼の決闘」を連想しました。現時点ではオマージュかは分かりません。

それどころか、妄想に近いかもしれませんが、とりあえず備忘録として書いておきます。

追記Ⅵ ( 映画「真昼の決闘」② 」 
2020/11/6 9:55 by さくらんぼ

以下、映画「真昼の決闘」のネタバレです。

映画「おもかげ」〈2019年〉の主人公は、孤立無援の中、昔に因縁のある男から追われるのです。

愛憎という言葉があるように、愛と憎しみは紙一重であり、結果次第では悲劇になる心配もあります。

しかし、主人公は逃げるわけにはいきません。

ここで対決し因縁を終わらせる必要があるのです。

でも、パートナーと二人で旅立ちの最中でした。

行くなら待っていないと(最後通告の)パートナー、しかし主人公は一人で出かけました。

そして、めでたく因縁を終わらせる決闘は成功し、パートナーに「今から行くわ」と電話すると、「まってる」との返事がありました。

「終わらせ方」について描いた映画「おもかげ〈2019年〉」と、映画「真昼の決闘」は、やはり似ていると思います。

追記Ⅶ ( 「保安官バッジ」を拾った母 ) 
2020/11/7 9:06 by さくらんぼ

映画「真昼の決闘」と言えば、主人公・ケイン(ゲイリー・クーパー)がラストに保安官バッジを捨てるシーンが印象的でした。

あの日のケインは、保安官を辞めて新婚旅行に出かけようとしていました。バッジは後任の保安官に託すつもりだったはずです。

しかし事件が起き、今まで自分が守ってきた町の正体が分かってしまったので、「この町を守れだと、いったい誰がやるんだ」とばかりに、バッジを捨てたのでしょう。あの町でのバッジは、後任にとっての名誉ではなく、疫病神になります。

集団生活には秩序の維持のために役人が必要になります。

しかし、「自助・共助・公助」がある中、「公助」だけを求める住民ばかりだとしたら、役人もたまったものではありません。

バッジがあるから、だれかがバッジを付けなければならない。

いっそ、バッジが無ければ、役人という貧乏くじを引いて苦しむ必要もありません。

映画「おもかげ」〈2019年〉には最初から象徴的にケータイが出てきて、ラストには、母のケータイを疫病神だとして、ボーイフレンドが引っ越しのゴミ箱に隠してしまうのです。

そのまま新居へ引っ越せば少年と縁が切れるはずでしたが、直前に呼び出し音が鳴り、母はゴミ箱をあさってケータイを見つけ、少年の元へ駆けつけるのです。

この映画「おもかげ〈2019年〉」ではバッジがケータイに置き換わっていたようです。

そして、すべてを承知の上で、母は捨てられたバッジを拾ったのです。

追記Ⅷ ( あのシーンはここか ) 
2020/11/7 21:49 by さくらんぼ

>ある日、幼い息子から電話がかかってきます。息子は半べそをかいていて、「お父さんがいなくなった」と言うのです。なぜいなくなったのかには触れられていません。

>母は迎えに行こうとしますが、クルマで遠くまで連れてこられた息子には、現在位置が分からないのです。

>ビーチであることは分かりますが、フランスなのかスペインなのかも分かりません。周囲に家も無ければ、人もいません。

>母は、息子にヒントになる目標物をさがさせます。

>息子は立しょんべんをしている大人の男を一人見つけました。(この映画に限って言えば)立ちしょんべんは、その男の素性と、性犯罪的な記号を示し、危険な空気を漂わせました。

>と、その時、息子は男と目が合い、男は手招きしたのです。

>危険を察知した母は、逃げるように強く指示しましたが、その直後に連絡は途絶えました。

>その瞬間を音だけで聞かされた母親は半狂乱になりました。観客にとっても大きなインパクトです。(追記Ⅱより)

この時母は、もう一台のケータイで警察に電話していました。

しかし、いくら頼んでも、警察は「迷子の届出をしに来て」と言うだけで取り合ってくれません。

この辺りも、映画「真昼の決闘」の前半で、住民に協力を頼む保安官の無力を連想させます。

追記Ⅸ ( 結婚とバッジ ) 
2020/11/8 10:05 by さくらんぼ

映画「真昼の決闘」で、新婚旅行に出かけようとしていた妻は、「私と仕事、どっちが大事なの」の体で、決闘の準備をしている夫を捨てて行ってしまいます。

住民にも新妻にも見捨てられ、孤立無援の夫でしたが、最後の最後になって、妻は駅から引き返し、自らライフルを手に取り、夫を狙っていた敵を倒すのです。

妻が撃たなければ夫は負けていたかもしれません。

真昼なのに誰もいない大通りに、いっせいに人が出てきました。

( こんなに沢山いるのに… )

その有様に呆れた夫は、バッジを捨て、妻と一緒に町を出ていくのです。

映画「真昼の決闘」では新妻だけが助けてくれましたが、映画「おもかげ〈2019年〉」では、母だけが助けてくれました。

この辺りにも類似を感じます。

結婚とは何なのか。

もしかしたら、このバッジのようなものかもしれませんね。

移ろいやすい愛を、ピン止めするために必要なもの、なのかもしれません。

追記Ⅹ ( 1,000人の他人より1人の配偶者 ) 
2020/11/8 17:06 by さくらんぼ

>映画「真昼の決闘」では新妻だけが助けてくれましたが、映画「おもかげ〈2019年〉」では、母だけが助けてくれました。(追記Ⅸより)

日本には「遠くの親戚より近くの他人」ということわざがあります。

しかし、「『近くの他人より遠くの親戚(1,000人の他人より1人の配偶者)』を描いたのが映画『真昼の決闘』だった」、という鑑賞のしかたも、あるように思いました。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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