#ネタバレ 映画「ヴィンセントが教えてくれたこと」
「ヴィンセントが教えてくれたこと」
2014年作品
切り株になっても御国のために力を
2016/3/4 14:19 by さくらんぼ(修正あり)
( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
子供のころの私は、絵本とか漫画、小説は、ほとんど買ってもらったことがありません。
まさかとは思いますが、記憶に残っているのは、小学校の教材を買うついでに、母にねだって買ってもらった絵本「金のオノ、銀のオノ」と、誕生日に買ってもらった漫画「週間少年サンデー」など。それから夏休み読書感想文用の児童文学「われらの村がしずむ」の3冊ぐらいです。
そんな私も、20代には、英語の勉強のために〇〇文化センターへ通ったことがあります。
そこで教材として出されたのが、英語版の絵本「おおきな木」でした( 原題は「The Giving Tree」、原作はシェル・シルヴァスタイン)。
そのとき“絵本はこんなにも面白いのか”と感動し、それ以来、忘れられない作品になったのです。今でも図書館などには置かれているようですね。
あらすじを一言で書きますと「木が少年に愛を与える物語です。見返りを求めない愛を注ぐのです。やがて読者は、その顛末の重さに頭をぶつけることになります」。
これでは、あまり分かりませんね。よろしければネットに載っている「あらすじ」を一度読んでみてください。
その上で、映画「ヴィンセントが教えてくれたこと 」を観るとより面白いと思います。
映画にも前半、少年がベッドに寝転んで「The Giving Tree」を読むシーンが一瞬だけ出てきます。ストーリーも、ワンフレーズだけ語られます。でも、あれが重要記号。この映画は「おおきな木」をモチーフにして作られています。ですから、私には信じられないぐらいラッキーな巡りあわせでした。
映画にも、象徴として「庭木」が出てきますね。オヤジのワゴン(自動車)もサイドが「木目」になっています。そしてちょい悪オヤジも自身も「木」の役目であり「少年」とからみます。そしてオヤジは(昔少年であり)、認知症の妻(切り株)と、からむのです。
みんな何かの役に立っているのです。絵本では切り株になってもイスとして子守ができました。それと同じ。
そして映画のラスト、ちょい悪オヤジは、鉢植えの小さな木に水をやります。
あの鉢には米国旗が差してありました。
これは聖なるオヤジに、米国の将来を託しているという記号でしょう。子供を指導してほしいと言う。「わかった、わかった、わかったよ!」と言いたくなるような、長回しでしたね。
日本でも、昔のように、町内に、おせっかいのオジサン、おばさんが復活し、自分の子供だけでなく、地域の子供の、安全と教育に、目を光らせていてほしいとの声もあるはずです(最近ではすぐ不審者扱いされそうですが)。それと同じですね、米国でも。
戦争の英雄を賛美する好戦映画、とか言う人も出そうですが、なかなか面白い作品でした。
★★★★
( これは「2015/9/15 by さくらんぼ」に加筆再掲したものです。)
追記 ( 必殺技は「木の枝」だった )
2016/3/4 14:25 by さくらんぼ
イジメられっ子の少年が、ちょい悪オヤジから喧嘩の必殺技を教えてもらうシーンがあります。
まず敵の直前で中腰になり、それからエイヤっと立ち上がります。そのとき同時に、片方の手のひらで、相手のアゴを、下から突き上げるのです。いわば手のひらでするアッパーカット。
これは“木の枝が元気に上にのびる様子”をモチーフとしたものですね。
追記Ⅱ ( パワースポット )
2016/3/4 14:37 by さくらんぼ
ところで、俗に言う「パワースポット」とは何なのでしょう。私も専門家ではありませんので詳しいことは分かりませんが、拙い経験をお話しします。
まずウキペディアで調べてみましたら、さまざまな仮説が説明されており、その中に「気場」とか「風水」と言う言葉もありました。
すでにご承知のとおり、私にも気功を始めてから「気感」ができ、散歩をしていると「気」の集まっている場所が分かるようになりました(空間の体感上の温度、質感・密度感が変化する)。又、濁った「気」(ときに少しゴムの燃える様な濁った気配や臭いも)と、清い「気」(清水の様に透明感があり無臭)の区別も。
ある温泉へ出かけたときのことです。そばに風水的に見ても納得の、有名なパワースポットがあり、徒歩で近づいて行くと、数十メーター前から、徐々に「気」のパワーが上昇していくのが分かりました(暖かな春なのに、クーラーに近づいて行く様なヒンヤリとした感じ)。
そして極点では、他では感じたことのない、たじろぐほどの強度のパワーが感じられたのです(大げさに言えばサウナの後の冷水浴みたい)。これが俗に言う本物のパワースポットなのかと恐れ入ったしだいです。
また都心にある、ビルの谷間の小さな神社でも、中くらいのパワーを感じた処がありました。結界(霊的な意味ばかりではありません。気功では手で「気」をコントロールすることがありますが、そのときの手は、ある意味結界になっているからです。その正体は人体の電気だと想像します。)と言われる鳥居と周囲のビルに囲まれパワーが溜まっているようです。
あそこは近所の人なら昼休に行ける癒しの穴場です。ちなみにパワースポットしては無名なので、おそらく「気感」の無い人は気づいていないでしょうが。
ちなみに、その近所には、はるかに敷地も大きい立派な神社があります。観光客はきっとそちらへ行くのでしょうが、私の体感では前述の神社よりもパワーは小さいようです。小さい理由は、敷地が広いので「気」が散ってしまうのだと想像します。
あるいは、なんでもない広場や運動場ですが、風水的に見て少しパワースポットの体をなしている処もあります。もちろん無名ですが「気」のパワーも少し上昇しているのが分かります(気のせいか、少し肌に沁みとおるような、軽くピリピリするような、全身がざわざわ活性化するような)。
パワースポットのパワーとは具体的に何なのか。少なくとも、その一部は「気」であり、だれでも「気感」を作れば感じられるものだと思っています。
またパワースポットが「『正気』(良い気)の溜まり場」だとしたら、「気感」の有り無しに関係なく、基本的に、行けば健康に良いものだと思います。少なくとも自然治癒力の活性化ぐらいは期待できるのでは。
だから年に一度、有名なパワースポットへ旅行するのも良いけれど、日常的に近所の公園へ行くのも良いのです。だからお花見にはぜひ行きたい。
ちなみに、「気功」、「太極拳」、「ヨガ」などの真髄は、もしかしたら、自分の居る場所に力技で「気」を集め、どこでもプチ・パワースポットにしてしまう事なのかもしれません。
( これは映画「四月物語」の追記「2016/3/2 by さくらんぼ」を加筆再掲したものです。)
追記Ⅲ ( 「気」は「樹」に宿る )
2016/3/4 14:47 by さくらんぼ
もしパワースポットのパワーの源泉が「気」である場合、パワーの名所へ出かけるのも良いですが、身近にある無名の「気」の溜まり場を探してもよいのです。そのヒントをお教えします。
「気」は「樹」に宿ります( これは森林浴でおなじみの「フィトンチッド」の話ではありません )。
一本の街路樹にも宿りますが、複数の樹が繁る公園、神社仏閣、藪、林、森なら「気」が多く集まっています。そんな場所は、夏でも涼しかったりして、ベンチでも置いてあれば、人々の憩いの場になりますが、快適な理由には「気」も関係しており、けっして日陰になっているからだけではないのです。
小さな炎が集まると大きな炎になるように、2本以上の「樹」が集まっていれば、その中央は「気の大きな炎」になっている事が多いのです。そこもパワースポット。だからツリーハウスやハンモックは効果的なのです。
又、「気」は、「幹」よりも「枝葉」に多く宿るようです。
近所の街路樹の大木が、夏は涼しい「気」を綿菓子のように集めていましたが、あるとき業者が枝葉を伐採してしまい、「気」もその直後から少なくなってしまいました。
また、春になると枯れた芝生もグリーンに変わります。日ごろコンクリートやアスファルトの上ばかりを歩いている私たちも、許される環境なら一度芝生のうえに上がってみてください。
緑の天然芝から立ち昇る、春の生命力にあふれた萌える「気」で、あなたの体も、ザワザワとした活性化した気持ちになるはずです。だからゴルフ場もパワースポットのひとつでしょう。
このように、近所の公園の「樹」の下や、「芝生」の上に居るだけでも養生になるのです。これなら日常的にできますよね。
( これは映画「四月物語」の追記「2016/3/2 by さくらんぼ」を加筆再掲したものです。)
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)