#ネタバレ 映画「アドルフの画集」
「アドルフの画集」
2002年作品
空気
2004/3/6 9:49 by 未登録ユーザ さくらんぼ(修正あり)
( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
911以降のアメリカでは、傷ついた人々の心を癒すような、ノラ・ジョーンズさんの歌声が賞を総なめにした。ブレイクさせるには時代の空気に敏感になることが大切だ。
アドルフは画家になりたかった。彼は売れる画家になるために、画商のアドバイスもあって演説で自己表現の訓練をした。
しかし、それが皮肉な結果を招く。
その優れた演説が軍部の目にとまり、生活費稼ぎの軍部のアルバイト演説をするようになる。
この頃、アドルフはまだ歴史に名を残すような罪人ではない。ユダヤ人に対する反感を、アドルフだけが特別強く持っていたようには描かれていないように観えた。まるでそれは、多くのドイツ人たちの中に漂っていた時代の空気の様だった。
しかし、アドルフが演説をする事で、漂っていた反ユダヤ人の思想がブレイクしてしまうのである。そして彼も、自らの演説で自己暗示にかかり、陶酔し、やがてリーダーの階段を上り始める。
これはどこか陰に隠れている悪に、知らぬ間に時代の空気として利用される事への警鐘を鳴らした作品だったのだろうか。
追記 ( アドルフの黒幕 )
2004/3/27 22:17 by 未登録ユーザさくらんぼ
「アドルフの画集」、そのタイトルの通り、アドルフには画家と独裁者の二つの顔があった。
> 彼は売れる画家になるために画商のアドバイスもあって演説で自己表現の訓練をした。
ここでの画商を、アドルフを操っていた黒幕として観てみたらどうだろうか。そうすると・・・
>その優れた演説が軍部の目にとまり、生活費稼ぎの軍部のアルバイト演説をするようになる。
この様に軍部にも、アドルフに目をつけて操っていた陰の黒幕がいたらしいことが描かれていた事がわかる。
実はこの映画が描きたかったのは、軍部とつながっていた陰の黒幕の存在の方ではないだろうか。だからタイトルが重要人物である「マックス」なのかもしれない。それに英語のマックスにはマキシマムの意味もあるようだ。
歴史の中では常に加害者として語られるアドルフであるが、その初期においては、アドルフもまた陰の黒幕に操られていた時期があったのだろうか。
それが、やがてこんな重大な事態を招くとは、アドルフ自身にも、国民にも、まだ気づかない時期があったのである。
マックスの片手が無いのは、映画が表の黒幕である画商しか描いていないからだと思う。しかしその時、もう一人のマックスもどこかに居たのである。
追記Ⅱ ( “カラスの勝手”にできない )
2016/1/16 11:34 by さくらんぼ
若山牧水の短歌に、「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」というものがあります。
でも、ほんとうに染まらないでしょうか。
私の記憶違いかもしれませんが、昔、どなたかのエッセイに、南の島の、息を飲むようなエメラルドグリーンの海上すれすれを飛ぶ鳥が、“海のあお”に染まるのを見たことがある、と書いてありました。
先日、それを思いだすようなシーンに遭遇したのです。
カフェ帰りの夕方、なにげなくUR高層ビルを見上げると、屋上にカラス君たちが集っていました。
次の瞬間、私の視線に気づいたわけでもないでしょうが、何羽か飛びだったのです。
そのとき、彼の羽ばたいている羽が下にきたとき、羽の裏側、先端の1/3が、朱色に染まったのでした。
夕陽は、黒いカラス君さえ朱色に染めるパワーを秘めていたのです。
黒に朱色は、なかなかオシャレでしょ。
だから、きっと白鳥も、“空の青海のあを”に染まる瞬間があるのだと思います。
追記Ⅲ 2022.3.14 ( ホロコーストはアドルフのアートだったのか )
映画「アドルフの画集」は虚実を織り交ぜた作品です。しかし、彼が青年時代に画家を目指していたというのは本当のようです。
画家に限らず芸術家というものは、作品にはオリジナリティというか、純度の高さを求めるものだと思います。
その姿勢がアトリエの中だけなら良いのですが、個性豊かな国民を相手にする政治の世界に持ち込まれると、問題になることがあると思います。「純度の高さを求める姿勢」=「不公平な扱いになりかねない」からです。
それが最悪の形で現れたものが、ホロコーストだったのかもしれませんね。もちろん、それが悲劇のすべてではないでしょうが。
( 「役人には芸術が必要である」という考え方もあります。四角四面の法律を、厳格ではなく適正に適用するには、理性と同時に感性も必要になるからだと思います。私はこちらを支持します。)
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)