#ネタバレ 映画「父子草」
「父子草」
1967年作品 86分 モノクロ
生きがい
2022.8.21
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
「日本映画専門チャンネル」の「蔵出し名画座」で、映画「父子草」を観ました。
これは、渥美清さんが寅さんで有名になる直前の作品です。
ウィキペディアによると、寅さんは1968年10月3日から半年間TV放送されたのが最初で、番組終了後の1969年から映画化されたようです。
なので、1967年の映画「父子草」では、寅さんが誕生する直前の姿を観ることが出来ます。
実際に見た感想でも、ほとんど寅さんです。
見どころは、駅近くの高架下にある屋台のおでん屋に、一見の客として来た哀しき初老の男・平井(渥美清さん)と、屋台の女将・竹子(淡路恵子さん)の、時にケンカ腰の会話です。
そこに、大学進学を目指す浪人の西村(石立鉄男さん)と、彼にちょっと気のありげな美代子(星由里子さん)が、客として絡むのです。
大部分が屋台でのお芝居ですから、舞台劇を観ているような感じでしょうか。
主人公・平井の境遇、つまり哀しみの原因を、登場人物たちは、「生きていた英霊」という言葉だけで察していました。具体的に言えば、平井はいったんは戦死したとされたので、妻は平井の弟と再婚してしまったのです。そして一人息子も弟の養子になったのでしょう。
映画「雲南物語」だったでしょうか。中国の雲南省が舞台の作品でも、似たような風習があったので、貧しさの中で生きていくための、庶民の知恵だったのだと思います。
しかし、帰還兵にとっては「悪夢だ…」と言いたくなってもおかしくありません。
当時は「生きていた英霊」という言葉と、哀しき男を配置するだけで、みなまで言わなくとも、その裏事情まで通じていたようです。
これは、そんな時代の初老の男が、偶然知り合った浪人生を、我が息子のように思い、こちらも、ケンカ腰で援助する人情劇です。
★★★★
(追記) 2022.8.21 ( お借りした画像は )
キーワード「おでん」でご縁がありました。お鍋の中にも、秩序の美がのぞいていますね。無加工です。ありがとうございました。
(追記Ⅱ) 2022.8.22 ( 怯えない二人の若者 )
映画「父子草」にも違和感を感じたことはあります。
前半、屋台のおでん屋で、主人公・平井がコップ酒を飲みながら、ぶつぶつと女将・竹子に愚痴を言ったり、からんだりしています。
竹子は屋台のプロですし、それなりに人生経験を積んでいそうなので、水商売の女性のように、客あしらいは慣れています。このような場合は場数をふんだ者は強いです。
しかし、そこに登場した、若い男女、西村と美代子は慣れていないはず。
なのに、薄汚く、口の悪い、酔っぱらいの初老の男を前に、初対面なのに、迷惑顔だけで、目に怯えの色があまり感じられないのです。特に美代子はそう見えます。二人は、まるで寅さんを前にした「とらや」の面々みたいなのです。
(追記Ⅲ) 2022.8.22 ( TVドラマ「泣いてたまるか」 )
映画「父子草」で思い出すのは、TVドラマ「泣いてたまるか」(1966年から)です。
再放送ではなくリアルタイムで観たように思います。毎回、人情話で泣かせます。
ビフテキ(当時はステーキをそう呼んだ)一枚を食べるために大騒動するほど貧しい時代でした。「ビフテキ子守唄」だったでしょうか、そんなストーリーもあったのです。
もっとも、今でも貧困家庭があり、食事に困っている方もいらっしゃるようですが…。
追記Ⅳ 2022.8.22 ( 「文明の利器で観る少年時代」というリゾート )
どの回か忘れましたが、映画「釣りバカ日誌」の中に、こんなエピソードがありました。社長のスーさんが帰宅すると、高齢の奥さんが一人TVを観ていました。40インチぐらいのTVです。当時なら40万円ぐらいした事でしょう。そして、TVに映っていたのはモノクロ作品で、小津安二郎監督のもののようでした。「にぎやかな番組はいっぱいあるのに…」と、私はあのシーンが妙に心にひっかかっていたのです。
しかし昨日、映画「父子草」(1967年)を観始めて、「やはり、この時代の作品はしみるなぁ」と思いました。もちろん現代にも良い作品がありますが、多くのそれは、私にとっては西洋料理のような感じがします。海外旅行から帰って食べる、みそ汁の付いた和食のような味わいは、古い時代の作品に多いことを、今さらながら気がつきました。
(追記)あの時代の作品のどこが良いのかと言えば、①私の少年時代だからです。今はほとんど消えてしまった、貧しく、少し汚い世界観が、長い旅を終えて、やっと故郷に帰ったような幸福感にさせるのです。自然の中に文明を持ち込んだのがリゾートならば、文明の利器で観る少年時代もリゾートなのかもしれません。還暦を過ぎたら帰って行くことがあるのです。
②そして、演じている俳優さんの言動にも、今の価値観とは微妙に違う、古き良き時代のそれがあります。特に②は意識しにくいですが、少年時代の作品と、現代の作品を比較すると、現代の作品の登場人物には、(無意識な事が多いですが)実は微かな不快感を感じていることがあります。でも「時代は変わったんだ」と理性でなだめて、あるいは気づかぬふりをして、観ているのです。
一言で言えばTVドラマ「深夜食堂」かも。
追記Ⅴ 2022.8.22 ( 仕事は人を鍛える )
>竹子は屋台のプロですし、それなりに人生経験を積んでいそうなので、水商売の女性のように、客あしらいは慣れています。このような場合は場数をふんだ者は強いです。
>しかし、そこに登場した、若い男女、西村と美代子は慣れていないはず。
場数をふんだ者と言えば、TVドラマ「ハコヅメ〜たたかう!交番女子〜」でも描かれているように、やはり警察官は強いようです。
その警察官には及ばなくとも、同じくTVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(ケンカツ)で描かれているように、市町村役場職員も、知らず知らずのうちに、鍛えられているのかもしれません。
ケースワーカーはもちろんのこと、その担当にならなくとも、分け隔てなく住民のお世話をする仕事ですから。
追記Ⅵ 2022.8.23 ( これは、ネガ・ポジのように映画化された、TVドラマ「泣いてたまるか」なのか )
映画「父子草」のクライマックス、大学に受かった西村と、金銭援助した平井が屋台で再開し、初対面の時のように、空き地でとっくみあいをするシーンがあります。でも、今回のあれは喧嘩ではなく、抱き合って喜んだわけです。
その時、一瞬だけ、鉄道信号機が映りました。この作品に鉄道信号機は数回出て来ましたが、クライマックスにも唐突に挿入されたことで、これが記号化された主題なのだと思いました。
ふと思い出せば、映画「父子草」の前年に放送された、TVドラマ「泣いてたまるか」の冒頭に流れる歌詞には、「意地が涙を……泣いて 泣いてたまるかヨ 通せんぼ」(抜粋)という一節がありました。
歌詞を全編読まないと意味が分からないかもしれませんが、「涙を意地でこらえて(「通せんぼ」して)歩いていく男の歌」です。(「通せんぼ」は)鉄道信号機とも無関係ではなさそうですね。
ならば、映画「父子草」は、映画化されたTVドラマ「泣いてたまるか」という見方も出来るのかもしれません。
そして、TVドラマ「泣いてたまるか」が、主題歌の歌詞の通り、健さんみたいに涙も愚痴もこらえる男の物語なら、映画「父子草」は、逆に、こらえない男の物語として作られてのかもしれません。
とは言っても、そこは昔の男、露骨に泣きはしません。でも、愚痴だけは全編に出て来ました。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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