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#ネタバレ 映画「あん」

「あん」
2015年作品
そこにも承認欲求はある
2015/6/2 18:00 by さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

たとえはハワイ旅行…

飛行機で海上を飛んでいると、眼下に、小さな無数の波が、見えることがあります。

そんな時、私はいつも、彼女(どれか一つの「波がしら」、海だから女性)に視線が行くのです。

一瞬で、彼女は生まれ、砕け、消える。

わずか1秒ほどの人生ですが、その一生を目撃するのです。

「あぁ、あの大海で、あの無数の波の中で、今、彼女を見ていたのは、世界中で私一人にちがいない」。

その瞬間、暗黒の宇宙空間に一人流されているような、胸がつぶれるような、さみしさを感じて…

映画「あん」は、「万物の承認欲求の物語」でした。

桜は満開になり、花吹雪を舞わせることで、己の承認欲求を満たします。

小豆にも、生きてきた物語がありましたね。だから徳江は、さかんに小豆の声を聴こうとしていました。

黄色いカナリヤも、徳江に声を聴いてもらい自由の身になりました。

もちろん徳江自身もそうです。

半生を施設の中で過ごした彼女は、半世紀をついやして作り上げた秘伝の「あん」を、外界のどら焼き屋に食べさせて、己の承認欲求を満たしたのです。

そして、その形見の道具とともに、秘伝は、息子みたいな千太郎に受け継がれました。彼女にも外界に弟子ができたのでした。

過去のある、雇われ店長の千太郎は、オーナーと徳江たちとの板挟みになっていました。千太郎は、誰にも語れない、その苦しい胸のうちを理解してくれ、これからの人生の指針を与えてくれる師を求めていました。のちに、これが徳江になります。

徳江は、ある意味、悟りを開いた、やさしいお坊さんのようでしたね。

対して、どら焼き屋オーナーの妻は、塩をまきたいような、俗物の象徴です。

オーナーの妻は、甥を連れてきて、次期店長にしたがりました。これは徳江の弟子探しの話と対になっているみたいです。承認欲求ですね。彼女には自慢の甥っ子であるようですが、はた目にはダメ男。千太郎もそう思ったようで逃げだしました。

あの、貧しくて高校にいけない少女は、食費節約のため、失敗作のどら焼きをもらっていました。この秘密を店長と共有することで、承認欲求が一つ成就ともなりますし、失敗作のどらやきでも、食べてやることで、どら焼き君のそれも満たしてやれます。

少女の母は、少女から聞いた、ハンセン病のことを、吹聴してまわりました。それが、さみしい彼女の承認欲求だったのです。なにか、すぐに人の陰口悪口を言いたくなる点で、私も他人事だとは思えず、このエピソードは胸に刺さりました。

河瀬直美監督らしい、あまり観客に媚びない語り口と、樹木希林さんの、ふと喜劇タッチを感じさせる名演技との、絶妙のバランスが美味しい映画でした。

私は樹木希林さんの代表作の一本になったのではないかと思います。

良い映画を勧める時に「食事を一回抜いてでも」と言う言葉がありますが、この映画は「食事を二回抜いても、二回は観たい」。それほど美味しい映画でした。

老若男女にお勧めです。特に若い学生さんには栄養満点。

そして今、私が書いた事だけでは無く、色々な角度から感想を語ってみるのも良いかもしれません。それが可能なほど、中身は濃いと思います。

テーマ曲では無いですが、先日から、こんな歌が、頭の中を回っていますのでご紹介しておきます。しっくり、きますから。

「糸」

なぜ めぐり逢うのかを

私たちは なにも知らない

いつ めぐり逢うのかを

私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの

遠い空の下 ふたつの物語


縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かを

暖めうるかもしれない (抜粋)

( 歌:中島みゆき )

★★★★★

追記Ⅱ ( どら焼きは皮が命 ) 
2015/6/8 8:49 by さくらんぼ

映画「あん」には、既製品のあんを使っているのを見た徳江が「どら焼きは、あんが命でしょう」と店長を諌めるシーンがありました。

これは、きっと「人間は内面が命でしょう」と言っていたのです。

ハンセン病で皮膚の見た目が悪くなってしまった徳江たちの、承認欲求を描いたワンピースだったのかもしれません。

だから、あのドラマでは主題上、必要なセリフだったのです。

でも、ドラマを離れ、純粋にどら焼きの魅力を考えたときに、私の拙い経験で言えば、個人的独断では「どら焼きは皮が命」なのです。

もちろん、あんなど、どうでもいいと、言っているわけでは無いですよ。ただ「あん皮」だと言っているのです。

どら焼きの皮は、触覚で言えば「ひと肌の温もり」を味わうもの。

( あるいは共感覚的に聴覚と視覚で言えば「チェロの胴鳴り・飴色」なのです。もちろん胴鳴りには、ガリっという、弓が弦をひっかくときのコンクリート・ブロックみたいに刺激的な高音も付随していますが、今回は、その後に来る、うわ~ん、と言う音のみを指しています。

CDなどで聴くリアルなチェロの音では無く、イメージ上の音に近いもの。これは、人にりんごの絵を描かせると、実際よりも、赤く色を塗ってしまうのと似ています。あくまでもイメージ上の話。感覚上の話です。写実の世界の話ではありません。)

話が脱線しかけましたが、「ひと肌の温もり」の話に戻ります。

偶然、本日のNHK連ドラ「まれ」にも「恋と、ひと肌」みたいなセリフが出てきまして、タイムリーでした。

そして、どら焼きを食べるとき、私たちは両唇で「ひと肌」どら焼きと「愛撫の交換・セックス」をしているのです。

だから、あんは脇役だと感じます。

ある意味あんは、「日の丸弁当の梅干」。

あれは、ご飯を食べるものであって、梅干(あん)を食べるものではありません。

あんを食べるなら、やっぱり最中でしょう。

最中ではあんが主役で、パリッとした皮は口直ではないでしょうか。アイスクリームにおける、ウエハースと同じ。

私もどら焼きファンのはしくれ。

つい、つまらぬ話をしてしましました。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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