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#ネタバレ 映画 「凪待ち」

「凪待ち」
2018年作品
贔屓の引き倒し
2019/8/6 9:57 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

封切り当時、レビューに高評価が並んだ作品です。(観もせずに反発するのもなんですが)少し極端に感じたほどに。

それが、劇場を変えて上映を継続しましたので、失礼ながら、「少なくとも一定の評価はあるのだな」と、そう判断して観に行ってきました。

感想はと言えば、そんなに悪くありませんでしたよ。控えめに言っても、平均以上の出来ばえだと思います。

何にしても、主人公・郁男(香取慎吾さん)の生きている世界が、私にとっては異界感覚。そこを覗けるのが映画の価値ですね。でも、他人事ではありません。「板子一枚下は地獄」という言葉を思い出しました。

そして、これは3.11関連の映画だったのです。その後遺症の。

ところで、チラシにある「なぜ殺したのか?」は良く分かりませんでした。

と言いますか、異世界に染まってしまい、「なんだか、しらないけど、そんなこともあるかもね」と、疑問にすら思いませんでした。

あらためてチラシを見るまでは。

★★★★

追記 ( 意外な三角関係 ) 
2019/8/6 22:06 by さくらんぼ

>ところで、チラシにある「なぜ殺したのか?」は良く分かりませんでした。
>と言いますか、異世界に染まってしまい、「なんだか、しらないけど、そんなこともあるかもね」と、疑問にすら思いませんでした。
>あらためてチラシを見るまでは。(本文より)

チラシにわざわざ書くぐらいですから、「意外性のある理由」だったのかもしれないと思いました。

ならば直感で、犯人である隣人の小野寺(リリー・フランキーさん)は隠れLGBTであり、郁男(香取慎吾さん)をめぐって、郁男の恋人・亜弓(西田尚美さん)と、密かな三角関係であったのかもしれないと思いました。

ではLGBTである記号はあったのか。

失礼ながら、リリー・フランキーさんの「おばさん」的雰囲気は、注目に値します。

さらに、小野寺は製氷工場で働いています。「陸は男、海は女の記号」とか申します。ならば個体の水は、微妙な存在であり、LGBTの記号なのかなと、そんなことをぼんやり考えていました。

もしかしたら、私が寝ていた時間に重要な場面があったのかもしれないと思い、ネットであらすじを読んでみましたら、原作には小野寺はストレートで、亜弓に惚れていたらしいことが書いてあるそうです。

どちらにしても恋愛が理由ですね。

映画「悪人」のクライマックスでもそうですが、映画は原作とは違う展開にする(原作をモチーフにして映画を作る)ことが珍しくありませんので、私はLGBT説を取りたいと思います。

それでこそ「意外性のある理由」です。

追記Ⅱ ( 贔屓の引き倒し ) 
2019/8/7 9:21 by さくらんぼ

この映画「凪待ち」の主人公・郁男は、映画「ペパーミント・キャンディー」の主人公のような存在だったのかもしれません。

両者とも、不幸なのは現在の生活ではなく、彼の心にトラウマがあるという事だったのです(トラウマが不幸を引き寄せていた)。

郁男は3.11で、「周囲の世界」を丸ごと海に持って行かれ、強い喪失感を負ったのです。

だから、どこへ行っても、何をやっても癒されず、のたうちまわって、苦しみ続ける。

きっと、多くの被災者の方には他人事ではない話なのだと想像します。

映画「凪待ち」では、アル中と、ギャンブル中毒(一人でもがくことの象徴であろう競輪も)で表現されていたのは、そのトラウマに苦しむ姿だったのでしょう。

周囲の人にはトラウマが見えないので、「自堕落な奴」としか評価されない。さらに、自己分析できていないと、自分でもそう思ってしまうのです。これが郁男の姿。

そんな郁男は、恋人・亜弓が、生前、娘と共に書いていた婚姻届に署名し、被災地の海へ流します。(そんなプライバシー書類を海に流して良いのか、というツッコミはともかく)その儀式で、海に眠る故人や、昔の生活との間に、心のつながりを再生し、落ち着きを取り戻すのです。

あれでトラウマが癒えていけば、郁男の現在の生活も、だんだんと改善されていくのでしょう。

ところで、亜弓を殺した小野寺の話ですが、前回、LGBT説を書きました。しかし、一晩考えて撤回させていただくことにしました。

新しい解釈はこうです。

強い関係性のある郁男と小野寺は、映画の定石から、似た者同士だったのかもしれないと思いました。

同じ被災者である小野寺も、郁男と似たような(みんな消えてしまった、という)強い喪失感を抱えていました。

そこへ、昔から密かに恋い焦がれていた亜弓が帰ってきたのです。郁男の喪失感が亜弓に収束したように、小野寺の喪失感も亜弓へと収束しました。だから、トラウマが主因とも言える。

こうして事件(儀式)が起こったのでしょう。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)














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