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#ネタバレ 映画「羊の木」

「羊の木」
2018年作品
「境界線」にたたずむ人々の、性(さが)
2018/2/5 9:02 by さくらんぼ(修正あり)


( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)


劇中にでてくる巨大な埴輪像を見たとき、映画「大魔神」、と思いました。そして最後まで観たとき、「やっぱり」とも。

もしタイトルを付けるとしたら映画「大魔神笑う」でしょうか。

観た方なら、なぜ「笑う」なのか、お分かりになるかと思いますが、埴輪像の前で無理やり笑わされる、覚醒した大魔神みたいな・大野(田中泯さん)からの連想です。

しかし深層では、映画「セブン」を連想しました。真面目な主人公・月末(錦戸亮さん)が気の毒な映画ですから。オマージュかどうかは現段階では分かりません。

そして、この映画は希なほどシリアスです。もし大魔神的要素を排除すれば、硬派の傑作になったかもしれません。

★★★★

追記 ( 公務員になりたい方にも ) 
2018/2/5 9:30 by さくらんぼ

就職先として公務員が人気でも、「その仕事、好きなの?」という点ではどうなのか

就職先として公務員が人気です。仕事は楽(そう)だし、不景気でも安定して、リストラもされにくい、とか言われて。

しかし肝心かなめの、「その仕事、好きなの?」という点はどうでしょう。それを自問自答してから決めても遅くありません。

もし「苦手なのに」飛びこんでしまったら、一生苦しむことにもなりかねないからです。

この映画の主人公・月末は、絵に書いたような、真面目で優秀な市役所職員です。ある日彼は、上司からの特命で、「お互いに見知らぬ殺人犯6名を、秘密裏に市民として受け入れる仕事」をすることになるのです。それが、やがては市の復興にもつながるとして。

こんなケースなレアでしょう。

しかし、どこの市区町村にも、前科のある人は居ると言っても良いでしょうし、たとえ、その人物を知っていても、公務員は公平に接しなければならないのです。「公平」は公務員の本分ですし、それ以前に前科があるというだけで差別してはいけないのです。

この映画「羊の木」は、そんな公務員の世界を、少々覗ける、辛口の一本だと思います。

追記Ⅱ ( 映画「セブン」 ) 
2018/2/5 11:41 by さくらんぼ

仕事として公平に接しても、友だちになるとか、親せきになるとかは別問題

>しかし深層では、映画「セブン」を連想しました。真面目な主人公・月末(錦戸亮さん)が気の毒な映画ですから。オマージュかどうかは現段階では分かりません。(本文より)

6人の内、宮腰(松田龍平さん)だけは、月末と初対面で、自発的に「自分は前科者だ」と言いました。「心の通う友が欲しい」と思ったからですね。だから年齢も近い月末に接近したのです。

しかし仕事として前科のある人に公平に接しても、友だちになるとか、親せきになるとかは、本音と建前と言いますか、また別問題なのです。

だから月末も困惑しますが、それでも宮腰から押されて、少しづつ接近します。

そして、いろいろあって、宮腰はまた殺人を犯すのです。そして月末と三角関係での失恋も。

「やっぱり、自分はだめだ」と思った宮腰は自殺を決意しますが(審判を神にゆだね)、親友である月末にだけは、死の間際まで側にいてほしいと思うのです。見送って欲しいと。

その為、月末は三角関係の女から、「宮腰を自殺に見せかけて殺した」と思われたみたいです。警察の捜査とは違い、7人目の殺人犯だと。

ラストですれ違う彼女の言葉「ラーメン」は、「今度いっしょにラーメン食べよ!」ではなく、出所した幅元みたいに、「今度はあんたがラーメン食べる番だ!」かもしれないと。

もちろん月末は無実です。しかし彼女を失ったことでは、月末にとって事実と同じなのです。

追記Ⅲ ( 二本の「羊の木」 ) 
2018/2/5 14:36 by さくらんぼ

>その為、月末は三角関係の女から、「宮腰を自殺に見せかけて殺した」と思われたみたいです。警察の捜査とは違い、7人目の殺人犯だと。ラストですれ違う彼女の言葉「ラーメン」は、「今度いっしょにラーメン食べよ!」ではなく、出所した幅元みたいに、「今度はあんたがラーメン食べる番だ!」かもしれないと。(追記Ⅱより)

ラーメンではなくて、ラム(子羊)と言った可能性もありますね。これを月末が、唇を読み間違えた。こっちの方が正解かもしれません。その場合、ラムは「羊の木」を意味するのでしょう。

月末が木の幹、6人が羊です。月末は自分が木になって6人を管理しようとした。しかし、人間である彼らは、差別が寂しく、哀しく、それぞれが心通う仲間を求めて行動した。それが周囲との摩擦を生み、新たなる事件を生んだのです。

「羊の木」はもう一つあります。

それは栗本(市川実日子さん)です。

彼女は魚を二匹買ってきて、一匹をアパートの庭に埋葬しました。死んだ小鳥も、亀も埋葬しました。彼女によれば、そこから木が生えてくるのです。それらを自分の羊としたのでしょう。彼女が幹、お墓から生えた木が羊です。この羊たちは「さみしい」とか「ともだちがほしい」とか言いません。静かに、いつも彼女の元に居てくれます。

これ、どこか、公園を散歩して、樹々を友だちにしている人と似てますね。

追記Ⅳ ( これも見どころ ) 
2018/2/6 9:30 by さくらんぼ

> … ラストですれ違う彼女の言葉「ラーメン」は、「今度いっしょにラーメン食べよ!」ではなく、出所した幅元みたいに、「今度はあんたがラーメン食べる番だ!」かもしれないと。(追記Ⅱより)

幅元は(水澤慎吾さん)でしたね。失礼しました。お名前がもれていました。水澤さんがラーメンを食べる演技と、酒乱のところは、昭和な淫靡(いんび)AVを思わせる優香さんのお色気シーンと同じく、鬼気迫る見どころです。

何の映画だったか、健さんが出所してすぐ、安食堂でビールを飲み、食事をするシーンがありましたが、水澤さんにも忘れがたいものがありました。

追記Ⅴ ( 難しい注文 ) 
2018/2/6 10:24 by さくらんぼ

「同じ匂い」のする者同士は惹かれ合う。だから「小さな町に6人を集め、しかもお互いに接触し無いようにする」などは、最初から難しい注文

> … しかし、人間である彼らは、差別が寂しく、哀しく、それぞれが心通う仲間を求めて行動した。それが周囲との摩擦を生み、新たなる事件を生んだのです。(追記Ⅲより)

月末が密かに好意を寄せていた石田(木村文乃さん)は、無情にも月末には無関心でした。それどころか、前科のある宮腰(松田龍平さん)に惹かれていったのです。

これは、石田が都会で不倫の恋に疲れて帰ってきた事から説明がつきますね。ある意味、石田も罪人だったからです。

さらに宮腰は、もっと、きれいな身になりたかった。だから(透明感のある)月末にも惹かれ、友だちになりたがったのです。そうすれば自分も浄化されるような気がして。

このように、「同じ匂い」のする者同士が惹かれ合うことは珍しくありませんね。だから、「小さな町に6人を集め、しかもお互いに接触し無いようにする」などは、最初から難しい注文なのです。

すぐにギラギラした、エネルギッシュな杉山(北村一輝さん)も、宮腰をみつけて接近しました。杉山は悪い仕事を持ちかけていましたが、当然に友だち探しでもあったのです。趣味のカメラは友だちの代わりですしね。彼も寂しがりやです。しかし宮腰が求めているのは善人です。だからトラブルになりました。

追記Ⅵ ( 公私混同 ) 
2018/2/7 10:03 by さくらんぼ

主人公は、怖くて厄介そうな特命から逃げだしたいが、宮仕えの身なので、平静を装って、市役所職員という役割を演じているだけ

陽性転移と言って、精神科医を患者が好きになってしまうことがあるようです。恋したり、親友になって欲しいと思ったり。逆に、嫌いになってしまうのを陰性転移と言います。

これは別に精神科医でなくとも、会社の上司と部下の関係でも起こりえます。

しかし医者でも上司でも、ほとんど場合、ただ仕事を完遂したいだけで、それ以上の関係を持ちたいとは思っていないものなのです。だから困惑します。

この映画「羊の木」でも同じですね。

主人公・月末は、ほんとうはこの、怖くて厄介そうな特命から逃げだしたいのだけれど、宮仕えの身なので、そうもいかず、精一杯自分を鼓舞し、平静を装って、市役所職員という職務上の役割を、演じているだけなのです。これは自然な設定で、錦戸さんの演技と相まって、とてもリアルな職員像を作り上げています。

NHK大河ドラマで、現在「西郷どん」が放送されています。西郷さんも、今で言えば市役所職員みたいなものです。しかし、あんな熱血漢は今ではまずいません。実際は、程度の差はあれ、月末みたいな人物が大多数なのです。

それなのに、そこに陽性転移をしたのが宮腰(松田龍平さん)であり、陰性転移をしたのが杉山(北村一輝さん)なのです。さらに太田(優香さん)にあっては、月末の実父と結婚しようとしているわけです。

これはもう、単なる職務ではなくなってしまう。そんな恐怖心と言ってもよいものを月末は味わっているはず。しかも、それは6人に悟られてはならないのです。

追記Ⅶ ( 職員に必要な個性 ) 
2018/2/8 10:03 by さくらんぼ

公務員は、「要望があっても、言うべきことは言わなければならない」という試練を日常的に受けているので、けっして押されっぱなしではない

>主人公・月末は、ほんとうはこの、怖くて厄介そうな特命から逃げだしたいのだけれど、宮使いの身なので、そうもいかず、精一杯自分を鼓舞し、平静を装って、市役所職員という職務上の役割を、演じているだけなのです。これは自然な設定で、錦戸さんの演技と相まって、とてもリアルな職員像を作り上げています。

>これはもう、単なる職務ではなくなってしまう。そんな恐怖心と言ってもよいものを月末は味わっているはず。しかも、それは6人に悟られてはならないのです。(追記Ⅵより)

ところで、市町村役場職員の名誉のためにも申し上げておきますと、確かに「西郷さん」は素晴らしい人物ですが、「船頭多くして船山に上る」とも言いますし、職員がみな「西郷さん」みたいな人ばかりでも困るわけです。

むしろ月末が演じる、リアルな、一見頼りない職員像は、花嫁衣裳の「白」にも似て、実は多くの職員に必要な個性なのかもしれないのです。

「白」を表に出すことで、多種多様な色の住民を受け止めることができるとも言えるのです。そういう意味でも、例えばあの6人が、月末の仕事に就くことは難しいと思います。

そして見逃していけないのは…杉山(北村一輝さん)と初対面の時、杉山が「缶コーヒー買ってきて」と、月末を子分のように使おうとしました。しかし月末は、(たぶん内心では怯えながらも)「自分で買って来てください」とキッパリ断ったエピソードです。

法律で動いている公務員は、「要望があっても、言うべきことは言わなければならない」という試練を日常的に受けているので、けっして押されっぱなしではないのです。

追記Ⅷ ( 境界線 ) 
2018/2/12 10:11 by さくらんぼ

吉田監督は「この物語は“境界線”の話だということは自分の中で決めていた」と語っている

映画の中では、それは「殺人」になっていますが、時代の空気を描くのが映画なら、その境界線とは、大地震、大津波、原発事故、北朝鮮、トランプ政権、そして失礼を承知で加えさせていただくならLGBTという言葉も入るのかもしれません。タブーがそうでは無くなったのですから。

(  参考:「ぴあ映画生活」 最新ニュース「日常にある最も身近な“未知”とは? 吉田大八監督が語る『羊の木』」 )

追記Ⅸ ( 映画「スリープレス・ナイト」 ) 
2018/2/26 17:08 by さくらんぼ

もし主人公・月末が、恋人や家族に手を出されて爆発したとしたら…

それを描いたアメリカのアクション作品が、映画「スリープレス・ナイト」になるのかもしれません。

追記Ⅹ ( 無くて七癖 ) 
2018/2/27 9:56 by さくらんぼ

この映画「羊の木」は、距離を置く公務員、差別をする住民、友が欲しい殺人犯など、「境界線」にたたずむ人々の、性(さが)を描いていた

>潜入捜査官でなくても、普通の公務員にも守秘義務があり(守秘義務のある職業は公務員以外にもあります)、職務上知りえた秘密は墓場まで持って行きます。だから家族や、民間人の友人にも、あまり仕事の話をしたがりません。

>そんな公務員の、恋人や家族に、度を越えて接近する、「自分が担当している住民」があったら、その公務員は言い知れぬ不安感を抱く可能性があります。それが公務員の性(さが)なのかもしれません。先日観た映画「羊の木」から、そんなことも感じました。(映画「スリープレス・ナイト」の追記より)

幼いころ思っていました。「なぜ大人は悪いことをするのだろう」と。子どもでさえ「ケンカも泥棒も悪いことだ」と知っているのに。

その答えが、最近になって、やっとわかりました。

「無くて七癖」と言うように、人には皆「生き方の癖」があります。先天的なものと、たとえば育児によって両親から植えつけられた(トラウマのような)、後天的なものが。

日常生活で遭遇する人々の個性、良くも悪くも、その多くは「生き方の癖」なのです。それは押さえきれない性(さが)のようなもの。

そして、時にそれは犯罪を誘発する種にもなっているのです。性(さが)ですから条件さえ整えば何度でも繰り返されます。

この映画「羊の木」には何人もの殺人犯が出てきますが、「手のつけられない乱暴者」はいません。しかし、その種にアクセスすると、突然、ある者は無慈悲に暴力をふるい、ある者は、そんな自分を恐れて逃げだすのです。

それなら再犯は不可避なのでしょうか。

いえ、そうではありません。

各自が己の性(さが)をハッキリと認識し、努めて距離を置けば良いのです。

例えば、酒乱の幅元なら、酒には近づかないことです。周りの協力も必要ですから、あらかじめ上司などには伝えておくことも必要かもしれません。

その点、酒乱の席から(酒乱の幅元が怖いのではなく、酒乱を殺めるかもしれない)「自分が怖い」と言って、一目散に逃げだした清掃員の栗本は優等生です。

栗本のアパート、ドアの内側には、拾ってきた「羊の木」のトレイがかけてありました。「羊の木」は管理の記号。栗本は朝晩それを見るはずです。

「掃除が丁寧すぎる」と上司から叱られた几帳面な栗本は、公務員の月末に頼るまでもなく、自分自身で管理人になっていたのです。

この映画「羊の木」は、距離を置く公務員、差別をする住民、友が欲しい殺人犯など、「境界線」にたたずむ人々の、性(さが)を描いていたのかもしれません。

追記11 ( 義兄弟 ) 
2021/2/25 14:06 by さくらんぼ

>この映画の主人公・月末は、絵に書いたような、真面目で優秀な市役所職員です。ある日彼は、上司からの特命で、「お互いに見知らぬ殺人犯6名を、秘密裏に市民として受け入れる仕事」をすることになるのです。それが、やがては市の復興にもつながるとして。(追記より)

>6人の内、宮腰(松田龍平さん)だけは、月末と初対面で、自発的に「自分は前科者だ」と言いました。「心の通う友が欲しい」と思ったからですね。だから年齢も近い月末に接近したのです。

>しかし仕事として前科のある人に公平に接しても、友だちになるとか、親せきになるとかは、本音と建前と言いますか、また別問題なのです。

>だから月末も困惑しますが、それでも宮腰から押されて、少しづつ接近します。

>そして、いろいろあって、宮腰はまた殺人を犯すのです。そして月末と三角関係での失恋も。

>「やっぱり、自分はだめだ」と思った宮腰は自殺を決意しますが(審判を神にゆだね)、親友である月末にだけは、死の間際まで側にいてほしいと思うのです。見送って欲しいと。(追記Ⅱより)

「 親の血をひく 兄弟よりも

かたいちぎりの 義兄弟 」

( 北島三郎さんの「兄弟仁義」より 抜粋 )

この歌詞は、知らない人はいないと思えるほどに有名ですね。

これは一般論ですが。

「子どもは親とうまく行かない」ことがあります。

「兄弟は他人の始まり」とかも申します。

ヤバい生き方をすれば、「親戚縁者、友人知人たちも去っていきます」。

「残ったのは、ヤバい世界の仲間だけ」、という事もあるはずです。そして、その中の一部から義兄弟が生まれるのでしょう。生きるために必要だから。

あの歌は、親族(表社会)に戻りたくても戻れない人たちへの鎮魂歌なのでしょうか。

追記12 2022.5.18 ( お借りした画像は )

キーワード「境界線」でご縁がありました。美しい構図ですね。多少上下しました。ありがとうございました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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