
パコ・デ・ルシアさんの路上ライブか
「パコ・デ・ルシアさんの路上ライブか」
2016/10/9 8:07 by さくらんぼ (修正あり)
2025年には「大阪万博」を誘致しようとの話がありますが、前回は2005年に「愛知万博」(愛称は「愛・地球博」)がありました。
その「愛知万博」の7月25日、長久手会場・EXPOドーム において、スペインイベント「パコ・デ・ルシア ギターコンサート」がありました。
これは、ちょうどその前後、名古屋市内でのお話しです。
休日の大須商店街を、路上ライブをするアマチュアの若いロッカーやフォークシンガー、それに曲芸師などが賑わせていました。
ところがその日、私は近くの若宮大通(いわゆる100メートル道路)を横断中、「道路の中州にある公園」で凄いものを見つけてしまったのです。
中年の欧米人が座り、クラシックギターでフラメンコのような音楽をガンガンかき鳴らしていました。脇では助手らしき中年男性が一人、CDを数枚箱に並べて売っていました。
PAなし、超絶技巧です。私もフォークギターをかじったことがありますので、すぐにあのテクニックは神業だとわかりました。
若い女性ロッカーらしき2人も、ギターを抱えたままフリーズしていました。でも客はその三人だけ。沢山の人が通り過ぎるけれど、足を止める人はほとんどいません。
そのとき私が感じた違和感。
「売れない音楽家は沢山いるけど、ほとんど若者だ」。
「売れなければ中年になる前に、生活の為にカタギの仕事に着くはずだ」。
「中年になってまで、カタギの生活を捨て、大金を使って異国にまで来て、音楽の夢を追いかけている人などいるのか」。
「あんなに神業(超絶技巧)で中年になるまで頑張っても路上ライブしかできない(売れない)のか」。
「なんで日本人は、みんな無関心を装って通り過ぎるのだ」。
私はそんなことを感じつつも、やはり帰りの地下鉄に乗るため、後ろ髪をひかれながら、そこを後にしました。
そしてプラットホームに掲示されていたポスターを見て「あっ」と声を上げそうになったのです。それは「パコ・デ・ルシア ギターコンサート」のもの。
そして、そのポスター写真は路上ライブの彼にそっくりだったのです。
私は思いました。
彼がもし、もしも本人ならば、名古屋市内の一流ホテルに泊まり、コンサートの前後には、街を散策したのかもしれない(大須商店街にも行ったのかも)。
そのときにアマチュア音楽家を観て触発され、遊び心で、自分も路上「ゲリラライブ」という腕試しをしたのではないか。
ちなみに彼はその世界では超一流です。ロックで言うと、サンタナやエリッククラプトンが路上ライブをするようなもの。
「はたして日本人は私の音楽(スペイン音楽)をどれだけ理解してくれるのだろう」。
おそらく彼はそうやって極東の島国、日本を試したのでしょう。でも彼は、少し落胆して帰って行ったような気がします。
もちろん本番の「パコ・デ・ルシア ギターコンサート」は満員御礼・大盛況との報道だったのですが、日本の大衆には無名であり、彼の音楽が理解できない事を路上で証明してしまったのですから。
彼が本人だったのかは謎のままです。私はコンサートも、映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」も観ていませんが、忘れがたい思い出として、ここに記させていただきます。
2025年の大阪・関西万博にも、世界中から超一流のアーティストが集まりますので、類似の事が起きても不思議ではないですね。
( これは2014/2/11映画「小さいおうち」の追記(路上ライブ)に、加筆再掲したものです。当時書いていたサイトは映画専門だったので、映画のレビューに、連想する話を追記していました。)
追記Ⅱ ( 訃報 )
2016/10/9 11:38 by さくらんぼ
新聞を開いてびっくりしました。フラメンコギターの世界的巨匠であり、情熱的な超絶技巧のスペインのギタリスト、パコ・デ・ルシアさんが、心臓発作のため66歳で死去されたと、2月26日にAFP通信などが伝えたそうです。
2月11日に彼のことを書いたばかりなのに…これも「シンクロニシティ」なのでしょうか。
10年ほど前、私が日本の公園で出会った謎のギタリストは、年齢的にも近く、風貌も、頭部が禿げ上がり(失礼)、眼光が鷹のごとく鋭く、爆竹がはじけるごとくの超絶技巧でフラメンコを弾きながら、でも異様なぐらいのゆとりと、自信にあふれ、威圧感を漂わせて、あたりを見渡していました。
例えれば、元レーサーのダイ・ハードな敏腕刑事が、時速300キロ出るスーパーカーに乗りながらも、高速道路を時速100キロで巡航、獲物を狙いながら、ゆとりでパトロールしているような感じです。
同一人物だとの確証はありませんが、獲物にされた、いえファンになった一人として、パコ・デ・ルシアさんのご冥福をお祈りします。
( これは2014/3/1 映画「小さいおうち」追記Ⅲ(訃報)に、加筆再掲したものです。)
追記Ⅲ ( 「矢場とん」 )
2016/10/9 11:41 by さくらんぼ
> ところがその日、私は近くの若宮大通(いわゆる100メートル道路)を横断中、「道路の中州にある公園」で凄いものを見つけてしまったのです。
ちなみにその中州とは、名古屋名物の「味噌かつ」で有名な、「『矢場とん』矢場町本店」のすぐ北、横断歩道を一つ渡ったところ、噴水のある公園です。
追記Ⅳ ( あの時私はどうしてあげたら良かったのだろう )
2018/1/5 18:15 by さくらんぼ
青年期に発症した難病のため、車イス生活で、何回か聞き返さないと理解不能なほどに、言葉も不自由な友人がいました。
そんな彼と、2年ほど前、偶然街で会い、ランチに誘われました。カフェで、彼はオムライス、私はコーヒーです。すでに私はランチを終えていましたから。
車イスが入れるように、テーブルを移動したり、メニューを選んであげたり、ひとしきり店員さんと私でザワザワとしました。
そして、料理が運ばれてきました。
ところが彼は上手に食べられないのです。スプーンを口に運べば、半分はこぼしてしまいます。テーブルも服も、汚れてしまいました。それでも、彼は苦労して食べ続けていました。
私は、スプーンを持って、赤ちゃんにするみたいに、食べさせてあげようかと思いました。しかし知恵遅れではなく、先輩・目上であり、自動車の運転を手だけで行っているほどの大人なのに、(若い女性ばかりの)公衆の面前で、それは失礼にあたるのではないかとの気持ちから、手が出せず、黙って見つめるしかありませんでした。見られていた彼も辛かったはずですが、私も辛かった。
人の何倍もの時間をかけ、あちこち汚しながら食事を終えた彼は、汚れた服のまま電車で帰って行きました。
私は今でも、自問自答しています。あの時私はどうしてあげたら良かったのだろうと。障害者と健常者の気持ちは違うかもしれませんから、善意であっても、喜んでもらえるとは限らないはず。
その数年後、彼が亡くなったとの知らせが届きました。平均寿命まで後15年は生きられたはずなのに。彼が亡くなって、私の中には大きな喪失感が生まれました。どこか寅さんみたいな温かな人でしたから。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)