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#ネタバレ 映画「秘密の森の、その向こう」
「秘密の森の、その向こう」
2022年 73分 フランス
2022.9.28
( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
田舎に家族とやってきた娘は、その森で不思議な体験をするのです。
これは、映画「さびしんぼう」の大林監督が作りそうな雰囲気もある佳作。
ドラマの8割ぐらいが、少女二人だけのお話です。
観ている内に、(良い意味で)ドキュメンタリーを観ているような気分になって行きました。
怖い話ではなく、秘密も童話的ですが、晩秋の森は、さみしさの中に魅力があります。
( コロナ過で約2カ月ぶりの映画館でした。この作品は満席に近い盛況ぶり。 )
追記 2022.9.28 ( お借りした画像は )
キーワード「森」でご縁がありました。池でしょうか。水に映った秋も美しいですね。そのままでも良かったのですが、少し上下しました。ありがとうございました。
追記Ⅱ 2022.9.29 ( 祖母の死が過去への視点なら、わが子は未来への視点 )
映画の冒頭、クルマを運転している母・マリオンに、後部座席の8歳の娘・ネリーが、自分の食べているお菓子を、手を伸ばして母の口元に運び、食べさせるシーンがありました。
子どもは母の生きるエネルギーになるのですね。
子どもは未来の記号なのでしょう。
子育てとは、大人が未来の視点を持ち続けるための、神様が与えて下さった装置なのかもしれません。
ならば、祖母の死は、過去への視点を持つ装置なのでしょう。
祖母に限らず、自分の親の死は、少なからず、そのようなものだと思います。
この二つはバランスが大切ですが、マリオンは過去に、死に、囚われ過ぎてしまったのです。
祖母が亡くなり、その心の傷も癒えない内に、祖母の実家の後かたずけをする事になったのもいけません。
想い出の数々にマリオンは耐えられなくなり、一人になりたくて逃げ出してしまいました。
私の両親が亡くなった時、火葬場でも、私は皆と離れ、一人外で待っていましたし、自宅では、(不謹慎と言われようとも)老病死の対極にある、若くて、健康で、生命力にあふれた、AKB48などの映像を音を消して眺めていました。視点を未来に切り替えるためにも。
追記Ⅲ 2022.9.29 ( 「気」という「テレパシー」 )
両手を広げたぐらいの大きさの「気」(内気)が人体を覆っています。
そして「気は情報であり、エネルギーである」と「気」の世界では言われています。
だから、幼子を抱いている母と、幼子の「気」は一体化していると思います。母の気持ちは子どもに伝わっていると思うのです。
なので、この時期のお母さんは、特に健やかでいてもらいたいと思っています。
さらに、この映画のように8歳になっても、いや、大人になっても、恋人や夫婦、親子などのように、強く想い合う者同士は、(内気)→(外気)→(内気)と想いが伝播していくのだと思います。それをちまたでは「テレパシー」と呼ぶのでしょう。
だから、この映画「秘密の森の、その向こう」の娘と母は、人体は別の場所にいましたが、「気」でつながっており、同床異夢とは反対の、別床同夢を見ていた可能性があります。8歳のネリーと8歳のマリオン(母のインナーチャイルド)との。
映画の冒頭、夜、ネリーのベッドルームで、足元の影に、母娘が狼を見るエピソードがありましたが、あれは伏線だったような気もします。
追記Ⅳ 2022.9.30 ( ふと思い出す、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」 )
親が子供を助けているように見えて、実は、子どもが親を助けていたとも言える佳作が、イタリアの映画「ライフ・イズ・ビューティフル」です。
どこかで読んだ話では、イタリア映画の伝統として「子供は救世主」として描くことがあるようです。映画「ライフ・イズ・ビューティフル」がまさにそうですし、フランスの映画「秘密の森の、その向こう」もそうなのでしょう。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)